竜の目
□第十三話・最高速度
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『死なないで死なないで死なないでッ』
『…。』
『やだやだやだ!名無し太までいなくなったら私どうすればいいの?!死んじゃやだぁ!』
『あたしは、もう死んだんだよ。』
『え、』
『いい?あたしは――――、』
(今のあたしは、名無し子。)
漆黒のコートが体を滑り、小さな音を立てて床に落ちる。
(・・・名無し太は、死んだ。それはあたしが事実にしなきゃいけない。なのになんで、)
晒しを緩めれば、タオルを解けば、鏡に映る自分は忽ち女になってしまう。
長く伸ばした髪は更に追い討ちをかけてくる。
(あたしは、止まってくれないの。)
何年かの月日はどんどんあたしと名無し子を離していく。体も心も、記憶さえも。こんなに手を伸ばしても名無し子のいる所には何一つ届かないのだ。
足りないものはいくらでも思い当たるのに、それを補うものはさっぱりわからない。
(なんであたしは名無し子を置いていくの。)
脱衣場の鏡に映る自分は、見れたものじゃない。
鏡に映る目を手で覆った。
───『名無し子と名無し太は目がちょっと違うかなー。』
もう隠せる程に小さな違いは一つだってなかった。
知ってる、知ってるよ。
あたしは名無し子にはなれないんだよ。
知ってるよ。
ぎりぎり、ぎり
言わないで。
ぎり、
首を絞めるような、
ぎりぎり、
知ってる知ってる、
ぎり・・・
知ってるから、
だけど、
だけど知らない振りをする。
首が締まったって、口封じにはちょうどいいと喉を鳴らして笑わせて。
(だって、)
(あたしにはそれ以外の存在理由が一つもないんだから。)
鏡に映るあたしが笑んだ。
(死んでるのに存在理由、)
「馬鹿みたい。」
堂々巡りは何年もの年月で浸食を進め、歪んでいく一方で、崩れる気配はちっともない。
死ねないのに、
「死にたい、」
あたしは笑みを深くした。