押入れ

□秋の憂愁
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「井上!」
移動教室へ行こうと教室を出かかったあたしの腕は後ろから掴まれて。
「なんだよ一護。アンタ移動教室の支度は?」
あたしを待っててくれたたつきちゃんの言葉に、
「悪ぃ、ちょっと話させてくんねぇか?」
と答えたその目は真剣で。

「『黒崎一護は頭痛がするので、保健委員が付き添って保健室に行きました』」
ぽそっと言って、くるりと向こうに歩き出すたつきちゃん。
「すまねぇ、たつき」



誰もいない屋上の手摺にはアキアカネ。
ふわりと飛び、また止まる姿は何故かシャボン玉の向こう側の様に遠く感じられて。
なのに誰と来たのかも忘れそうにじぃっと眺めていると。

ふいに後ろから抱きしめられた。
熱い、熱い身体。力強い腕。

「悪ぃ、今日迎えに行くんだった・・・!」
「・・・え・・・?」
「独りにさせるんじゃなかった、すまねぇ・・・」

言われている意味は取りかねたまま、でも熱がじわりと身体に染みてきて。
「黒崎、くん・・・どうしたの・・・?」
呟くような小さな声しか出ないあたし。
「俺、我慢出来なかったんだ・・・その服着てると、お前がまた・・・」
後の言葉は言いたくないかのように切られ、更に強くなる腕の力。
「その上お前はまるで一人ぼっちみたいな顔してやがるし。あんなに大勢の中にいるのに、一人だけガラスの箱に入ってるみてぇな・・・」


涙が一筋頬を伝わるのを感じた。
どうして、どうして分かってしまったの?

小さく俯いたあたしの髪に温かい頬が寄せられて、低くやさしい声が耳から頭蓋骨から響いてくる。
「井上・・・井上・・・俺が絶対護るからな・・・ずっと、ずっと離さねぇ・・・!」



アキアカネがつぅいと飛ぶ。
はっきりと羽音を聞かせながらも、あたしを避けるように。

ねぇ あたしは今
ちゃんと 見えて いるんだね?


あたしと世界との境界が崩れてゆく。
力強く確かなその声と、熱い熱い体温とに溶かされて。


その時。
黒崎くんの右手がぎゅっとあたしの右手を捕まえた。

 あの日せめてもと握りしめたあの大きな右手が

包み込むように、愛おしむように、指を絡めて繋がれた手がはっきりと教えてくれる。
触れることさえ出来なかった切ない日はもう遠い過去に過ぎないと。
今のあたしは、大好きな人の腕の中で慈しまれる、幸せなしあわせな存在なんだと。

「黒崎くん・・・!」
呼ぶ名さえもが胸を満たして、溢れて涙になり零れ落ちても。
あたしはそれを隠しもせずに、ただじっと恋しい腕に胸に自分の身体を委ねる。


今この世界で あなたといられる幸福を 
しっかりとこの身に心に刻み込むために


     end
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