押入れ

□春一番
1ページ/2ページ


どうしてあたしの手は縮こまってしまうんだろう。
この強く埃っぽい風が冷たいから?
ううん、それは苦しい言い訳。だって風は南から。


<春一番>


前を歩く背中を見失いたくなくて、風の中必死に目を眇める。
「待って」と一声かければいいのかもしれないけれど、その声さえ喉に貼り付いてしまって。

こうして一緒に帰るのは何度目だろう。
他愛ない話をしようにも緊張して。横に並んで歩きたいのに躊躇って。
結局つんのめりそうになりながらこの背中を追ってみることもしばしば。
そして優しい黒崎くんが立ち止まって振り向いてくれる姿を見るだけできゅうと鳴る胸。贅沢な時間。


グワァアアアアン、と一際強い風があたしの頬をコートの裾をなぶった。
「ひゃっ・・・」
身を竦ませやりすごすしかないなんて、なんて非力。

「すげぇ風だな、大丈夫か?」
いつものように振り向いた黒崎くんの声を夢中で聞き取って。
「う、うん!大丈夫だよ!」
あたしの口から出るのはカラ元気ばかり。
でもだって、心配かけたくないから。

「・・・もっとこっち、来ねぇか?俺、風除けくれぇにはなるぜ?」
「え、えええ?・・・だっ大丈夫だよっほらちゃんと歩けてるし!」
またビュウと吹いた風で目に埃が入りそうで、下を向きながら答えて。
「・・・そう、か?」
風の間隙にちらと上げた目に映ったのは、こちらに伸ばされた黒崎くんの手。

 『ありがとう』ってその手に縋って
 『どう致しまして』って笑ってもらえたら

一瞬の幸せな想像。裏腹に胸は苦しくなって。
ほらあたしの手は縮こまるばかり。

「・・・」
伸ばした手を行き場なく戻して、ふいっと向き直りまた歩き出す黒崎くん。
ああ・・・
悔やんだって遅いの、でもやっぱりどうしても。
そんな幸せすぎることなんて、臆病になってるあたしには出来やしないの。



玉砕覚悟で想いを告げて、まさかのOK貰って。
こんな幸せありえないって思って。
こうして一緒に帰る時、黒崎くんから笑いかけられることも、まして触れることなんて。
あんまりもったいなさすぎて、あんまり贅沢すぎて。
もしかして触れた途端に消えてしまう夢かもしれないって不安になってしまうの。

ずっと、ずっとあなたが大好きだったあたしに、神様がせめてもと見せてくれた夢。
それでもいい、どうか覚めないで、と願って止まない夢。


だからせめて、その背中を見つめることだけは許してと。
祈るような想いで今日もただ後を追う。

.
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ