夢小説
□単発集
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キューティクル探偵因幡
狼の姉
その日、【因幡 望(いなば のぞむ)】は不思議な足音を聞いた。
(……なんだ? これは……)
《火曜特売》のチラシを片手にスーパーを訪れていた望。
無事98円の卵を買い終えて、さぁ帰ろうかと帰路に着いた彼女は先の音を聞いたために足を止めたのだ。
今日は冷凍食品も買っているため、出来る事なら早めに帰った方が断然良いのだが、今まで聞いたことのないその音は望の好奇心を刺激する。
軽い音、堅い物質がコンクリートに着く度に奏でられるそれは女性が履くヒールに似た響きだが、それではない。足取りはやや重く、若者に比べては劣る。身長は一メートルもない。
二足歩行から小柄な人だとは思うが……しかし……人にしてみては……まるで……。
「――まるでヒヅメの様な足音だな」
ボソリ、そう呟いた望。だがそれは頭を振った事によりすぐ振り払われる。
「(蹄を持つ動物は様々だが……しかしそれらはどれも四足歩行が常だ。二足歩行、など――)」
「そこの女。お主が狼の姉かのー? 大人しくこっちを向くのが身の為だぞ?」
ある訳が無い。
そう思ったのも束の間、背中に当てられたモノと背後からの声に、久しく忘れていた緊張が望を支配する。
(これは、銃か? 本当にそうだろうか。そう見せかけているだけという可能性も――)
「あまり首領を待たせないで下さい。でないと貴方の身体のどこかに穴が開きますよ」
突き付けられる圧迫に舌打ちを零し、言われた通り振り返る。
一人はすぐに望の隣に移動して銃が死角になるような位置に着く。
スーパーから離れているとはいえ、人の通りが無い訳ではない。関係のない者は傷付けない主義なのか。なら私を巻き込まないでくれ……一体なんだって言うんだ……――憂欝になる状況でつい伏せ目がちになり、ため息を吐いた。
ああ、そう言えば犯人を見ていないな――と顔を上げた彼女は、目を見開いた。
(ヤギが、二足歩行をしている、だと……!)
衝撃の事実に固まる中、頭はその姿に納得していた。
なるほど、どおりで足音が当てはまらない筈だ。人≠ニして考えて特定出来るわけがない。ヤギなのだから。
いやいやいやいや……なんでヤギなんだよ。
(なんでヤギが人語喋って二足歩行して堂々と両手振って町を歩いているんだ?)
「何を考えているのかわからぬが、大方わしらが何者であるか。考えているのであろー?」
(まぁそうだ)
この世には不思議な事もある――埒が明かない現状に、適当に数多の疑問を片付けた望は、彼(ヤギ)に意識を集中させた。それから隣の袋にも、あまりのヤギのインパクトの強さに流していたが、この男も異常な出で立ちをしている。
「わしらの名は聞かずともいずれわかる。それよりも狼――おぬしの弟≠フ件、あの狼を叩き潰す為におぬしには餌になってもらうのであろー」
(弟=c…? どっち≠フ……?)
望には二人£がいる。
一体どちらの弟なのか。口を開いた望は、しかし当てられた布に声を発することはできず、徐々に落ちる意識に逆らえず目を閉じた。
◇◇◇◇◇◇
姉は全てにおいて諦めた目をしていた。
弟の退屈そうな目とは違う。常に憤りを感じているような、それでいて全てをどうでもいいと思っているような――何かを恐れている。
まるで親からはぐれるのを怖がる子供みたいな目をしていたのではないだろうか。その先(対象)のことまではわからないけれど……そしてそれがまた、どこか遠くを見ているように思わせた。
『――なぁ、姉貴。あんた、いつも何処を見ているんだ?』
ある月の煌めく晩。偶々窓から空を見上げている姿を見かけたので、これはチャンスとばかりに疑問を口にした。
隣に並び、横顔を伺うも姉は相変わらず虚空を見つめたまま、
『……そうだねぇ……夢を見ているのかもしれないし、あるいは何も見ていないのかもしれないよ?』
そう、おどけて言う姉は自分を見つめてふわりと笑う。
その瞳は自分をしっかりと映していて、とても綺麗な頬笑みだった。
◇◇◇◇◇◇
クリアになっていく意識に伴い目を開ければ、ぼやけていた視界は徐々に鮮明になり、数回瞬きをする頃にはすっかり目が覚めていた。
(懐かしい夢だな……久しぶりに見た)
寝ていたソファから体を起こした【因幡 洋(ひろし)】はそのまま大きく伸びをする。そして短く息を吐くと、キッチンの方から聞こえてくる足音と話声に耳を傾けた。
「――あれ? 因幡さん起きてた」
「先生、寝起きの気つけにコーヒーはいかがですか?」
黒髪の【野崎 圭(のざき けい)】、金髪の【佐々木 優太(ささき ゆうた)】――彼らはこの《因幡探偵事務所》の助手である。
それぞれがカップを手に持ち、湯気が立つ様と優太の言葉から察するに中身はコーヒーのようで、優太は洋の返事を待たずに圭に自分のカップを預けるとまたキッチンに戻って行ってしまった。
「因幡さん。いくらお客が来ないからって業務中に居眠りはどうかと思いますけどね?」
ジト目で洋を見る圭は、相も変わらず庶民心を忘れておらずこの事務所の収支を気にしてくれている。
お金にがめついとはまた違う。現実的な彼は自身の弟よりしっかりしていると洋は常々そう思っていた。
(……そういやぁ、姉貴は俺のみっつ上だったか。つーことは今二十六?)
「はい先生」と目の前に置かれたカップを眺めながら、もう随分あっていない姉のことを考える。
どうもさっきから姉のことばかり考えてしまう。これも普段見ない夢を見たからなのか。
「……? 先生?」
「因幡さん、さっきからどうしたんですか? ボーっとして」
ほら、二人にも心配されてしまっている。
「んー。いやぁさー、久しぶりに懐かしい顔を見たら、なんだか妙に気になって」
ここまで気になるのなら、もう話してしまったほうが逆にすっきりするのではないか、――そう思い。洋はカップを口に運びながら助手たちの様子を伺う。
二人は洋の人間関係に興味があるようで、そわそわと瞳を輝かせて落ち着きない。
「その懐かしい顔っていうのが姉貴のことなんだけどよ」
「え!? 因幡さんお姉さんいたの?!」
「それは僕も初耳です」
可愛らしい反応に兄貴心をくすぐられ話しをしだせば、案の定彼らは想像通りのリアクションを取ってくれて笑えた。
助手たちは洋の様子に気づくことはなく、特に圭は自分が知りたいことがあればすぐ質問する性質なので、早くも洋の姉について聞きに来る。
「お姉さんっていくつですか?」
「俺のみっつ上の筈だから今二十六ー」
「へぇー! 俺の兄と同い年ですね!」
「マジか」
身内が知り合い(助手)の兄と同い年……世界は狭いものだと感じた瞬間である。
それでそれで? と目で続きを促す圭、優太は洋の『姉』と聞いたあたりから「弟以外にも……障害……」などとブツブツ言っているが、たいした事ではないだろうと洋は放っておくことにした。それよりも今は姉の話しである。
「これがまた綺麗な黒髪でさぁー、癖っ毛なのに雑に切るからハネが酷いのに、艶がそれら全てをプラスにしてくれてるんだ! 滑らかなのにコシがあるっていうか――」
「因幡さん。髪以外の情報を下さい」
疲れた様な、拗ねた様な顔をする圭。なんだよ、人がせっかく毛について話しているのに……、洋は「えー」と非情に、残念そうに眉を下げた。
「毛以外に何を話せばいいんだよ?」
「他にもあるでしょ?! ほらっ、昔の話しとか!」
いつになく必死になる圭に洋も少し考える素振りを見せると、間延びする声を上げ「姉貴の話しかぁ、話し」と遠くを見つめた。
「そんなに無いもの? ……お姉さんと仲、良くなかったとか?」
反応の悪さに圭が心配になって聞いてみれば、洋は小さく首を振り「いや、仲は良かった方だと思う、一緒にいた時間も……」顎に手を当て、考えるときの仕草をする彼に、そんなに考えなければいけないほど彼の姉と過ごす時間は短かったのか? と圭は思った。
『――洋』
「……一緒にはいたんだけど、あまり話さなかったな。姉貴は元々無口だったし、仕事も別々に行動していたから話しの種にはならない。そうなると必然的に会話がなくなる」
「そうなんですか……?」
「うん。表情もそんな変化ない人だし、……あー、でも――目はころころ変わったな」
「え!? お姉さん目取れちゃうの?!」
「違う違う。感情の話し、『目は口ほどにものを言う』ってのは、姉貴みたいな人のことを指すんだなぁと思ったよ」
「へぇー」
圭はどこからかメモを取り出して「お姉さんは目で語る……」などと呟きながら筆を動かした。
そこで先ほどまで何やら考え事をしていた優太が顔を上げる。
「先生のお姉さんも、先生と同じように警察をやめたんですか?」
彼(彼女?)の問いに圭も「そういえば……」という顔をして優太を見た。
またライバル抹殺計画でも立てているのだろうか……? いざとなったら止められる自信がない。なるようになれ――優太のことは諦めて圭は洋に視線を移動させる。
「いや? 俺が警察を辞めるときはまだいたけど、その後のことまでは知らね」
「はぁ……」
「そうなんですか」
ということは現在も連絡もとっていないのだろう。あまり深く聞いていいのかどうなのか。圭は少し考えて、今はやめておこうという案で落ち着いた。
「じゃ、今聞いてみて下さいよ。先生、かけちゃって下さい!」
「――って優太くんが言っちゃうの?!」
人がせっかく我慢してたのに……――圭の様子に優太はにこにこと笑っていて、何を考えているのか全く読めない。
洋も洋で「えー……しょうがねぇなー」といいつつ顔は満更でもなさそうで携帯を弄っている。
「ああ、面倒臭いなこの人」と思いつつも、自分も因幡の姉≠ノついては気になっているので黙る圭だった。
《――〜♪》
今電話をかけようとしていた、まさにその時。洋の持っていた携帯が震えだし、突然の事に反応できなかった三人はじっと洋の携帯を見つめた。因幡事務所内には着信音が途切れることなく流れている。
流れ続ける音。ディスプレイに映るのは『姉』と淡白に記入された一文字だけだ。
「姉……姉=H!」
その文字の意味を漸く理解し慌てて通話ボタンを押した洋を待っていたのは、遠い記憶にある声――ではなく、つい最近から聞き慣れている金の亡者の怒鳴り声だった。
「出るのが遅いであろー!!! 狼の分際で何時までわしを待たせるつもりだ!!」
大変ご立腹な様子の電話の向こう側の主は、その後もギャンギャンと言いたいことを言い続け、ようやく落ち着いたころには既に携帯は洋の顔の横に存在せず、プツ――洋が通話を切った音が響いた。
「――いやいや因幡さんっ、切っちゃだめでしょ!?」
「いや……だって、ヤギだったし……」
瞬時に圭がツッコムも、洋は空ろな目をして携帯を見つめている。
そんななにもわかっていない洋に圭は「そうじゃなくて!」と言葉を続けた。
「どうしてヤギがお姉さんの携帯からかけてくるの! それってヤギがお姉さんの携帯を持っているってことでしょ! ヤバいよ、因幡さん。もしかしたら……お姉さんあいつに誘拐されてるとか?!」
「!?」
「それはそれで好都合……」
「優太くんは黙ってて!」
ようやく圭の言いたいこと――強いては事の重大さ理解した洋は慌てて携帯を見る。
嘘だろ……おいっ、もう一度かかってこいよ。頼む……! ――祈るように画面を見る洋は、普段は見せない焦った表情をしていて……その顔を見た圭は洋がどれだけ家族を大切に思っているのかを察した。
《――〜♪》
「きたっ――!」
再度かかってきた電話に、力み過ぎて携帯を落とすこととなる――かどうかはさて置き、いやらしい笑みを浮かべる首領の言葉に洋は息を詰まらせるのだった。
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