夢小説

□似ても違えど《乱世の子》
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うつつはまこと



 平和になったものだな。


 ぽつり、と石田三成は杯を片手にそう呟いた。杯の中で揺れる酒は青く争う空を写している。


「……だからと言って、昼間っから酒を飲む奴があるか」


 涼しい顔で酒を煽る友に、家康は苦笑しながら言葉を返す。しかし言われた本人は彼の言葉を気にする素振りは見せず、むしろ全く聞こえていない様子で新たな酒を注ぐ、徳利の中身がちゃぷんと鳴いた。


「平和になったものだな」


 三成は満たした杯をそのままに、また呟く。掌で杯をもてあそぶ様子から察するに、どうやら家康の言葉を待っているようだった。


「そうだな」


 無言で返事を要求された本人は彼の所望通りに言葉を返した。他に言うことがあった気がするが、特にこれと言ったものが思い浮かばず、ありていな言葉しか出てこなかった。


「………………」

「…………なんだ」


 やはりというか、家康の返し言葉が気に入らなかったのであろう三成はむっと表情を崩すと勢いよく酒を喉に流し込んだので、家康はお手上げだと三成に今までの態度の理由を問う。

 すると三成は杯に酒を注ぎ、徳利を家康に押し付けた。ぽかんと徳利に気を取られる家康、そんな彼を見て三成は「見事な阿呆顔だな」と言い。そのすぐ後に「貴様も飲め」と、些か高圧的に言うものだから家康はますます訳がわからなくなる。


「ただ酒を飲むだけに何をうかうかしている」


 何時までも酒を口にしない家康に三成は冷たい言葉を発した。そこで漸く我に返るものの、徳利から直で飲むのは少し抵抗がある。そんな家康の様子に「西の熱帯地域に住む豪老はそう飲むぞ」と言う三成はどこか得意げであった。
 それはもしかしなくとも島津殿のことだろうかと、家康は年齢に反してまだまだ元気そうな老人を思い浮かべる。彼の手には徳利、もう片手には背丈と同じぐらいの大剣が、言わずもがな徳利の中身は酒である。それもかなり強い酒だ。

 酒の度合いはともかく、三成は家康に飲めと強要している。今から女中に杯を頼むのも億劫であるし、ここは彼の言う通りにしてみようかと家康は徳利を上へと傾けた。

 暗く底が見えない徳利の中身は音をたてながら移動するので、まるで空ろから湧き出たかのように徳利の口から流れ出る酒を飲む。


「豪快だな」


 そんな家康の姿を見て、三成は静かに笑う。今度は家康がむっとする番である。


「お前が飲めと言ったのだろう」

「そうだな」


 家康の反発を軽く受け流す三成。そうされると家康はぐぅと押し黙るしかなくなってしまう。時に彼の面倒をよく見る家康は彼の兄的存在だが、いつもそうとは限らない。その立ち位置はこうして逆転することがあり、こうなると家康が何を言っても三成は、まるで聞き訳の無い子供の文句を聞く母の様に自分の言うこと全てを聞き流すのだ。


「……貴様はそうして、堂々としている方が性に合っている」

「はぁ?」


 家康の言葉など聞こえていない様子の三成は「だが……」と言い淀んだ。その憂える様な表情のまま、彼は空を仰ぐ。

 家康はただ、三成が話しだすのを待っていた。しかしただ待っているのは気不味くて、意味もなく徳利の口を指でなぞる。そうしている内に、やがて隣から息の吐く音が一つ聞こえると、まるで水面に落ちて波紋を作る一滴の水の様な声が聞こえて来た。


「私は、もしかしたら後悔しているのかもしれない」


 それから始まった一人の男の懺悔。家康は口を挟まずそれを聞く、彼が会話を遮る事をしなかったので三成もまた、最後まで話したのだ。


「私は私が天下を治められるとは思っていない。私にはそれに必要な技量もなければ器量もないとわかっていたからだ。だから、豊臣様が死んだとき、次は必然的に家康……貴様が天下を治めるに相応しいと思った。
 ……そうであるべきだと、本能的にそう思った。何より吉継も貴様を認めている。それが大きかったのかもしれない。が、後付けの理由を幾ら述べたところで変わりはない。何度も言うように、貴様は天下を治めるべき人間なのだ。

 そう思っていたのだが……もしかしたらそれはただの、私が臆病者で、貴様に何もかも押し付けたかっただけなのかもしれない。貴様は頼れる人柄だから……そうして私は貴様に重荷を背負わせてしまったと。なんでも最後は笑って許せる性格だから、私はそんな貴様に甘えているのだ」


 話している内に己を自覚したからなのか、最後の方になると三成はしきりに頷いた。そうして全てを話し終えると、かすれた声で「すまなかった……」と、そう口にした。

 普段あまり多くは喋らない三成だから、僅かな間で痛めてしまったノドを抑えて眉を寄せるその姿に、家康は微笑んだ。

 相変わらずこの男は、些細なことで真剣に悩んでいる。赤子の時から真面目だったに違いない彼は、まるで悪事を働いたことを告白する童の様にしょぼくれている。

 そんな様子を見て怒る気になどならないし、ましてや最初から押し付けられたなどと家康は思っていない。だから三成が謝罪する必要はどこにもない。しかし、彼はそこに己の罪を見出し、許しを乞うているのだ。ならば家康が言える言葉はひとつだけ、

「気にするな」

 のたった一言であった。

 それで納得する三成ではない。わかっている。家康もそれでやめるつもりはない。


「……ところで三成、こんど暇な時で良い。知恵を貸してくれ、出来れば執務も手伝って欲しい」

「また仕事を溜めているのか貴様。いい加減に一定の間隔で仕事をすることを覚えろ」


 仕事の話をすると直ぐに怖い顔になった三成は、「今度とは言わずとも、私はいつでも暇だ」と返す。

 昼間から酒を飲めるのは暇だからだ。だがその暇が三成を苦しませる。そのため三成は時々こうして、胸の内に溜まった塊を吐きだすかのように酒を飲み、家康に許しを求めその罪の対価として仕事を手伝う。彼はそれで漸く、一時的とはいえ許されるのだ。
 それはもう三成の性分であり、石田三成という人物を構成する本質の一部なので、今更性格は変えられないし、変わらない。死ねば変わるかもしれないが、そんな保証はどこにもない。

 家康は本音を言うと、三成を哀れんでいる。ほんの少しだけ、そう思う。どう考えても損をする性格を持つ三成に情をかけずにはいられないのだ。
 そのことについて、以前吉継に『過保護よな』と言われたことがあるが、あれだって体外である。人のふり見て我がふり直せ。……到底出来そうもない話である。

 やらなければならないことは沢山あるが、とりあえず今最も平和だと感じるこの瞬間が、家康は好きであった。





終わり
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