他ノ噺

□愛包自戻
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愛包自戻(あいぼうじれい)



 自分が普通の人間ではないと気づいたのはいつだったろうか。
 町の一角、公園のベンチに座っていた 岸谷(きしたに)は、そんなことをふと考えた。

 初めて血を飲んだのは、六歳のとき。喉の渇きを感じてふらふらと、何かに促されるように、それが当たり前≠セとでも言うように目の前にいたカラスを石で撃ち落として血を啜った。
 無意識に避けてか、それとも人気のない公園にいたことが幸運だったのか、初めての吸血を人間で体験しなかったのは良かっただろう。お陰で自分は、そこから十年の時を《人間》として生きることができたのだから。
 けれどそれまでだ。十年の時を生きていられたからといって、ずっと平穏が続く訳ではない。兆しはあった。厳密に言うと自分の人としての人生は十四歳のときに終わっていたのだろう。

 十六歳を迎えるその二年前から、自分の成長は止まっていたのだ。

 平均身長には達した、声変りも。童顔と言えばそれまでだが、しかしそれだけではもう隠せないところまで自分は生きている。戸籍はまだあるだろうが、いつ失踪宣告を受けるかもわからない身。そんな状態で今更、自ら危険を冒してまで人前に姿を現そうとも思わない。
 不信感を抱かれるギリギリまでバイトを続け、溜まったお金はネットカフェや食料に使う。この《食料》というのは、もちろん人間が食べる方の物だ。

 そして、限界だと感じたら余所の土地へ移る、これの繰り返し。時折 喉の渇きを覚えたならば、薄暗い路地裏にて口の中を血に染めた。
 なんて惨めな生活だろう。少しでも自分自身のことを理解しようと図書館で読んだ、あの本の中の吸血鬼たちは誰もが逞しく、品があり、狡猾であろうとも、それが己の性だと受け入れ誇りを持っていた。……だが、自分はどうだ? 《こんなの》が吸血鬼である訳がない。

 孤独は精神の癌だ。じわりじわり、と体を蝕んでいると思ったら、気づいたときにはもう自分ではどうしようもない深い場所まで入り込んでいる。治ったと思ったら、またいつの間にか孤独を感じている、完治がない。けれど本の中の吸血鬼たちはそれを感じさせない。

 本物の吸血鬼であればこの痛み、この辛さ。なくすことができるだろうか?



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 いつもと変わらない日々の筈だった。だが些細なところで違和感を覚えるようになってから、それまでの自分の平穏に影が差すのを確かに感じた。

 あるときは鞄の中の物が移動していたり、なくなったり、逆に増えていたり。体にできた身に覚えのない傷であったり、定期的に感じる喉の渇きがなかったり……決定的なのは《記憶がない》ことだった。
 記憶がない。断片的に自分の中に《空白の時間》があることや、酷いときには昨日一昨日の記憶がまるまるなかったりするのだ。

 これは「マズイ」と思った。けれどこんな身の上で病院になど行けやしない。ならばこのまま放置か。……いや それはできない。なにより自分の体である筈なのに、知らない間に《何か起こっている》という事実が気持ち悪くてしかたがない。
 その日から日記を書き始めた。するとやはり空白の日にちが浮き彫りになったが、しかしこれではまだ曖昧だ。となけなしのお金でボイスレコーダーを買った。そうしていつも、自分の意識があるときでも常に録音しておくようにした。

 そうして自分は決定的な証拠を手に入れた。しかしそれは同時に、知りたくない、認めたくない事実を手に入れたということになる。


《 「……――ハハハッ」 》


 ボイスレコーダーから聞こえたのは悲鳴と懇願、そして人間が息絶える瞬間と形容し難い不快な音。

 そして、それら全てを楽しむかのような高い自分の笑い声。全てを聞き終えた後の自分の行動は早かった。町中を駆け、近くのネットカフェに入ると急いでキーボードを打ち、検索に引っかかった項目に入力したのと同じワードを素早く見つけると、震える手に力を入れてマウスを動かしそれをクリックした。


「――っ!? これは……!」


 画面の中に並ぶ文字の羅列を見て息を飲む。どうしようもない絶望感が全身を支配し、声は掠れ、四肢に力が入らない。それと同時に「ああ。とうとうやってしまったな……」とどこか他人事のような言葉が頭を占めたが、先の見えない不安に怯えているのは紛れもない自分自身だった。


『路地裏。変死体。殺害。詳しい人数は不明。――警察は殺人事件と見て捜査を開始。』


 今回は内容が内容なだけに事件になったが、これ以前にも記憶のない日はある。もしかしたら、その日にも――……ありえない、ことはない。

 ポケットに入れてあるボイスレコーダーを握り、スイッチを入れた。それから自分は、記事とは違う、一般人が書き込む掲示板を開く。
 そこには事件に関する様々な憶測が書かれていて、真相に近い情報を書いている人間もいてドキリとした。どれもが憶測なので誰も信じてはいないが、それでも彼らの推理力には驚かされる。

 その中でも《犯人は吸血鬼!?》という書き込みに、頭の中が冷めていくのが自分でもわかった。


「……――なんだ、こりゃあ……」


 一体いつの間に知ったのか。頻繁に出歩いていたから、そろそろバレる頃合いかとは思っていたが、しかしこうも確信をつくような証拠は残していない筈なのに、なによりアイツ≠ヘ自分が行動している間の記憶はない。まあ、それは自分にも言えた話しだが……。
 けれど目の前の記事は、間違いなく自分≠ェ起こしたものである。だからと言ってどうしたという話しではあるが。

 自分が出ている間は、けしてアイツからの妨害はない。と確信しているからこそくる自信。今回自分の行動を知られたことにより焦りはあるが、しかしそれも一瞬だ。今はもうない。
 アイツが自分を出し抜くことは、絶対にない。

 掲示板を読み進んでいくと、何人かがその言葉に反応していて「本当にいるのか」「またまた」などとコメントを返している。


『――吸血鬼なんて、非現実的。』


 そのコメントに、自然と口角が上がるのを感じた。非、現実的ねえ……吸血鬼が。ふーん。そう……。

 ニヤける顔をそのままにキーボードを打った。掲示板に送った内容を読み返し、履歴をけしてから席を立つ。


「……ハハッ」


 歩きながら、自分は笑う。世の中バカが多くて助かる。お陰で自分は食料≠ノ困らずに済むのだから。


『本物の吸血鬼に合わせてやるよ。場所は――――。』





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