他ノ噺

□己望退化
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己望退化(きぼうたいか)



 おいたが過ぎる御先祖様たちの行いの所為で、私たちは故郷に住んでいられなくなってしまった。
 十字架に張り付けだけは免れたくて、空を飛べる者は飛び、できなければ海を泳いでひたすら安全地帯を目指した。――そうして、ようやく、私たちは新たな土地に落ち着くことができたのだった。

 出だしは順調。私――【シス・B・グリム】は『海外からの留学生』ということで、本来の下宿生に退場して貰い、その欠席を埋めるという形で人間社会に潜りこんだ。……とはいっても太陽の光に弱い私は、その学生生活をサボっていたのだが。
 ひたすら部屋にこもり本を読み。夜には狩りをし、ついでに資金を調達し――。

 そんな生活を送っていた私の目の前に、ある日かみさま≠ェ現れた。


「グリムくん、君ねぇ……学生なんだから学校に来なきゃダメだと何度言ったら――」

「先生。ぜひ私のことは『シス』と」

「いやグリムくん。君、私の話しを聞きなさい」

「はい、先生。『グリム』ではなく気軽に『シス』と――」

「そういう話しじゃなくてだね」


 気紛れに校舎へと訪れたある日。日光は闇に遮断され黒が支配する夜の中、一つだけ明かりのついたその部屋で、一人机に向かい仕事をしていた男。――その人の横顔を見た瞬間、私の中のなにかが弾けた。
 貴方が欲しい。今すぐ欲しい。――貴方≠手に入れたい。
 そう思ったら即行動。私は他の教師に催眠術をかけ、彼を私の担任にした。真面目な彼は不登校の私を気にかけこうして会いに来てくれる。

 彼は私のかみさま≠セった。
 神の姿なんて見たことがない。それは太陽も同じ、たとえガラスを通したとしても、その姿を見た瞬間、私の両目、顔は焼け爛れて潰れてしまう。私にとって神≠ニは太陽と同じ、――彼は私のかみさま≠セった。唯一見られる太陽。

 けれどまだ触れられない、触れられていない。
 ただ手を伸ばせばいいだけなのに、私はその行為を酷く怖がっていた。


「どうすればいいと思う? ――【リア】」

「知らないわよっ!」


 そうジタバタと暴れる少女の名は【リア・C・テイル】――私と同じ《吸血鬼》である。
 私の影で縛られた彼女は、女性であるのにはしたなくもがくのをやめない。リア、少しは慎みを持ちなさい。女の子でしょう?

 こんな相談をできる相手など他にはいなく、夜の町で待ち伏せをしてリアを捕まえ今に至る。だがそんな彼女も私を、まるで親の敵を見るような目で見てくる。なぜなら――、


「――放しなさいよ、《元人間》」


 そう、私がかつて《人間》だったからだ。
 大事な『純血』を汚した、厄介者。それが私。


「それは私の所為ではないわ、リア。すべてあの人≠ェしたこと、――あの人≠ェ私を《吸血鬼》にしたのよ。……どんな理由があったのかは知らないけれどね」

「そうだとしても、アナタは【ブラッド】の血を汚した。高貴で貴重な純粋な血統を台無しにしたんだ」

「それはすでに済んだ事。現にブラッド家は貴族でもなんでもない、ただの吸血鬼に堕ちたわ」

「ざまぁみろ」

「けれど私が今話したいのはそれじゃないの。あとねリア、私は別に階級にこだわってはいないからその言葉を私に向けるのは不適切よ」


 私の返しにリアはギロリ、とまた睨んできたけれど事実だもの、仕方ないじゃない。
 話しを聞かすのに彼女の態勢はフェアじゃない、そう思い私はリアの拘束を解いた。影が私の足元に戻るのを見送り、再度私は少女に向き直る。

 たとえ毛嫌いされていても、目の前の少女ぐらいしか相談できる相手が、私にはいない。


「――吸血鬼になって、もう何百年経つのか……。最後に家族とピクニックに行き見た太陽を今でも覚えている。直視できないくらい眩しくて、それでいて降り注ぐ光は温かかった……あの恋しさを、また私は抱いている。……教えて、リア。たった一人の人を考えただけで、どうしてこんなに恋しいの? 胸がとても痛いの?」

「…………ブラッド。アンタそれ、惚れてるんだよ」

「惚れて……?」

「てか、相手は人間? (うわっ、最悪)……だったら簡単じゃない」


 術をかけてしまえばいいのよ。

 そう、リアは当たり前のように言った。あるいは欲で支配してしまえばいい、と――、けれど違う。私が望んでいるのはそうではない。
 手に入れたい、欲しい。でもそれじゃ駄目。


「……――ねえ、ブラッド」


 両手で顔を覆い、苦悩する私を見てリアが言う。

 しかしリアが口にした言葉は私の望む答えではなく、解決案でもなかった。


「アンタは純血じゃないけどさ。みんなアンタの実力にはひと目おいてるんだ。なかなかいなんだぜ? 吸血鬼の能力を全て使える吸血鬼なんて、純血でも、――可笑しな話しだと思うけどさ……。だから、さ……こっち≠ノ来なよ。【エドワード】様が上層の――富裕層の人間と入れ変わった≠だ。そいつ大きな会社を持ってたから、アタシたちにとってもいい隠れ家になってるし、なにより【クリムゾン】家の加護を受けられる。リスクを負ってまで一人で人間を狩らなくてもいいんだ。アンタにとっても悪くない条件だろ?」

「………………」

「ねぇブラッド……。――知らなかったとはいえ、姉妹みたいに過ごしてきた時もあったじゃないか。これでもアンタを慕ってるんだ、完全に嫌ってる訳じゃないんだ。お願いだよ……いいかげん《人間》をやめて本物の吸血鬼≠ノなってよ」

「…………――」

「アタシたちを、そんな『化け物を見るような目』で見ないで――。……アンタだって、同じ吸血鬼だろう?」

「――…………」

「そうだって言ってよ、ブラッド……!」


 苦悩する私。悲痛な声を上げるリア。

 けれど貴女は私の望む答え≠くれない。私の質問に答えてはくれない。それじゃ駄目。私は――、


「……私が欲しいのはそれ≠カゃない」

「っ!」

「わかって、リア。……――ごめんね、リア」


 私が彼女の言う『優れた吸血鬼』だとしても、私はそのより優れた血を後世に残したいのではない。吸血鬼(同族)に囲まれたいのでも、恵まれた能力をさらに伸ばすことでも、人の上に立つことでもない。
 リアは、私がそれらであることを望んでいる。同族に囲まれ、大切なのは身内だけ、あとは敵か餌か、という区別のみ。餌をうらやむことも、お情けをかけることもなく、むしろ常に強者であることを――より《吸血鬼》らしい姿を私に求めている。


「私は貴女の望む《吸血鬼》にはなれないの」

「でも実際、アンタは強い! だから――」

「【ブラッド】の名はすでに堕ちたわ。もはやこの名が、再び上り詰める日は来ないでしょう。でもそれは『上』に固執したときの話し。――下に落ちる分なら、まだ底がある」

「ブラッド……? ――」

「ごめんね、リア。……私は《吸血鬼》より《人》を取るわ。この能力を捨てて、吸血鬼であることを世間に隠して……、――そしていつか本物の人間≠ノなるの」

「……そんなの……そんなの不可能よ! できっこない!!」

「世の中には『擬態』という言葉があるの、リアは知らない? ――みてくれだけでも人でいられるなら、それで十分」

「――!!!」


 リアはなにか言いたそうにして、けれど言葉がでないのかしきりに唸っている。私はそれを見つめることしかできず、リアの答えを待った。

 すぐにその場から立ち去る、という選択もあったのだけれど……。やはりリアはリア≠セから、妹のような存在だった彼女だからこそ、その後の反応に興味があった。
 心の奥底で信じていた。どこか期待を抱いていた。リアなら、と――リアならわかってくれる、私を肯定してくれる、――そう思っていた。

 けれど現実は厳しく、そして惨酷であった。リアは目に涙を浮かべ私を、まるで『親の敵を見るような目』で見ると――、


「アンタなんか、大っ嫌い」


 彼女は、今まで聞いたことのないぐらい冷めた声で私にそう告げると、そのまま夜の闇へと消えていってしまう。
 私は向けられた言葉にしばし呆然とし、言われた一言を混乱する脳で……それでもなんとか飲み込んだら、……そしたら急に足の力が抜け、私はその場に座り込んでしまった。

 どこかでリアに期待をしていた。《吸血鬼》であるリアを信じていた。……可笑しな話。彼女は《吸血鬼》なのに……そんなの自分が一番よくわかっていたのに、それを『信じていた』なんて――。


「………………帰ろう」


 誰に言う訳でもなく――あるいは自分に言い聞かせるように、私は呟きと共に立ち上がった。足が震えふらついたが、しかし立ち続けなくはいけない。
 歩き続けなくてはいけないのだ、私はこれから一人なのだから。今までも一人だった気はするが、心のよりどころを――《吸血鬼(仲間)》の繋がりを失くした今、私はどんなときでも一人で『痛み』と向き合わなくてはならない。


「――…………せんせぃ……」


 よりいっそう強くなる、彼の人への想い。
 どうか、どうか。私の傍に、いてくれませんか?


「――! グリムくん。君……」

「先生……。おはようございます」

「あ、ああ……」


 これまで一回も持ったことのない鞄を手に取り、明朝よりも早い時間に下宿先を飛び出した私は、日の光を避けて昇降口で待機する。

 生徒が来るには早すぎる時間帯にいる私を見て、彼は目を見開き驚いた表情を見せた。
 私はそれに気づかない振りをし、自分勝手な感情を目の前の人に告げる。


「好きです、先生」

「――――」

「好きなんです、先生。貴方が」


 どうか、どうか、どうか、傍に……――傍に!


「…………――グリムくん、すまない」

「―――――……」


 礼儀正しく頭を下げる彼を見て――告げられた言葉を聞いて、全身から力が抜けるのがわかった。でも私は意地で両足に力を入れそれを耐える。
 リアのときのように、その場で崩れ落ちるのだけは嫌だったのだ。

 知っていました、知っていましたよ。たとえ私が《吸血鬼》でも、それを告白しても、していなくても貴方はきっと――。

 彼に諭されるのが辛くて、私はその場を立ち去った。初めて足を踏み入れた校舎の中は寂れていて、まるで今の私の存在のよう……。私の足音と、それに混じる嗚咽。それが廊下に反響する度とても惨めな気分になる。
 自分の教室なんて知らないから、私は適当に視界に入った扉を開く。これ以上に廊下にいたくなかったのと、このまま廊下にいたら彼や他の先生に出会いそうで……それだけは避けたかったのだ。


「――――――……」

「――――――」


 涙で滲む視界の向こうに、人影がある。


「……なんだよ」


 見るなよ。

 不機嫌そうな声でそう言う彼。私はそんなことおかまいなしに教室に入り、後ろ手で扉を閉めると袖で涙を拭った。


「……なに? あんた泣いてるの」

「…………」


 席を立つ音がして、彼は私に近づいてくる。腕で塞いだ視界の向こうでこちらを覗きこむ気配がして、私は腕をわずかにずらす。
 すると……、とても綺麗な黒い瞳と目があった。


「……さっきまでは、ね……。もう引っ込んだわ」

「あーあ……目、赤くなってる……。ハンカチ持ってるか? 濡らしてくるぞ?」

「おかまいなく。……ずいぶん、来るのが早いのね」

「いつもだよ。俺、早起きだから」


 ふふん、と。どこか自慢げに言う彼に私は思わず笑ってしまう。
 そんな私に彼は、私がした質問をそのまま私に問い返した。


「そういうあんたは? 見ない顔だけど……」

「私、ずっと学校に来てなかったの。日の光が苦手だから……――私、吸血鬼なのよ」

「へぇ」

「…………ずいぶん冷めた反応をするのね」

「どうでもいい。しかもそれを言うなら俺のじいさん、沖で人魚を見たって言ってたし……俺が見たことないものに対して、俺は否定も肯定もしない主義だ」

「どんな主義よ」


 半ばヤケで正体を告げたら、私の予想を反して落ち着いた反応を見せる彼。
 今まで出会ったことのない人種に私が関心を示し、驚きに息を吐けば彼はケラケラ、となにが可笑しいのか笑う。

 変わった人。――彼を見た私の感想はその一言に尽きた。


「――で? 自称《吸血鬼》さん。あんたの名前は、なんてゆーの?」

「……シス。シス・ブラッド・グリム……」

「そ。シスさんね……。俺は【常磐 浄太郎(ときわ じょうたろう)】――よろしく」

「よ、よろしく……?」

「……なんで疑問形なの?」


 そう言ってまた、彼――浄太郎はケラケラ、と笑い出す。

 それから私と浄太郎は友だちになり、彼は私の『痛み』を受け入れ私に癒しを与え。私もまたそんな浄太郎に報いるため彼の『痛み』を受け止め癒しを与える。
 浄太郎は私から《吸血鬼》を知り、私という存在を確かなものにしてくれる。そして私は彼から《人》を学び、より私という存在を人に近づけて行く。より長く彼の傍に立ち続けるために。

 私という存在により堕ちた【ブラッド】の名。
 そして私はその血を、己で望んだ道を歩むために更に汚して行く。

 私の名前は【シス・B・グリム】――人に焦がれ、吸血鬼の道を自ら踏み外した愚者。
 愛した彼は、人間でした。




終わり
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