他ノ噺

□永眠病
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永眠病



 今夜眠ったら、キミは死ぬ。

 それは不治の病だった。
 ある日突然発症する病の名は『永眠病』と言い。脳から発せられる電気信号-ふにゃらら-(詳しいことはわからない)が日に日に、徐々に弱くなり最終的には死んでしまう、というものであった。
 まるで段階を踏んで度合を落としていくように寝る度にそれは進行し、そしてこれまでの犠牲で得た統計まで達すると人はその日を境に眠るように息を引き取るのだ。


「今夜眠ったら、キミは死ぬ」


 かくいう僕もその『永眠病』というやつにかかり今日が命日と申告された。そして先の言葉を医者から告げられたのである。
 兆しもなく、前置きもなく発症してはや一ヵ月、よくもった方だと医者は言う。どうやら僕は人より進行が遅かったらしいが、今日という日を向かえたこの身にとって、その事実はどうでもよいもののように思えた。

 その日はとても忙しかった。
 どうやらこれまでの記録から僕の死期を事前に知らされていた周囲は、医者の予想通り死期を向かえることになった僕のための『お別れ会』というものを企画していて、学生であった僕の周囲と言えば学校関係者、同級生がほとんどだった。よってこの会の参加者はそれなりに多く、会場は僕がかつて振り分けられた教室であった。この日、病院から外出届を貰ったのは言うまでもない。これでも僕は病人だ。いやもう『だった』だろうか?

 その後、僕は久しぶりに家に帰り両親と過ごした。両親はわざわざ休みをとってくれていて、家族三人親子水いらずで何気ない日常会話を楽しんだ。しかしそれさえもぶち壊すのが、僕の『死期』である。
 最後に両親から――学校の友人、お世話になった教師から「さようなら」の言葉をもらったとき、自分の胸から中心に体中が冷めていくのがわかった。

 気持ちが萎えた? 呆れた? 冷めた? ――どれでもないような気がするし、全部であるような感覚。これから死ぬ筈の僕は、しかし最後に楽しい記憶を手に入れられなかった。
 楽しくない。――それが原因なのだろうか? 僕は、この後も三日間死なずに生き続けることになる。

 眠れないのだ。

 死にたくないから眠らないんじゃない。『眠れない』のだ。
 医者は苦笑する、どうやら僕が『死にたくないから眠らない』と思っているらしい。
 その内周囲から「まだ眠ってないの、この人」という顔をされるようになり、両親はいつ眠るのかわからい僕に会いにこなくなった。

 まだ眠らないの?
 まだ死なないの?
 いつ寝るの?
 いつ死ぬの?
 早く眠らないかな。
 早く――死なないかな。

 言葉の裏に含まれたそれを受け続ける。最早僕にとって、これは苦痛の日々だった。
 そのうち病院内で開かれる講義に、半ば強制的に出席されられるようになった。内容はまじめに聞いていなかったのでよく覚えてはいないが『眠ることは怖いことじゃない!』――みたいな内容だった気がする。要は『死ぬことは怖いことじゃない』と言っているようなものだ。そんなに僕に眠ってほしいのか。

 楽しくない、とにかくここはままならない。まるで生き地獄のよう。
 僕が死ねば臓器が手に入る。それで僕以外の人間の命が救えるのだ。理屈はわかる、でも僕は死んでいない。僕が死ななきゃ救える命は救えない。それは悲しいこと? なら、僕が死ぬのは悲しくないのか。

 ベッドに入り横になってもそんなことを考える日々、頭の中が煮えそうだった。
 もう何も考えたくない。――僕は夜こっそりと病室を抜け出した。どうせ今日も眠れないのだから、なら起きている時間を有効に使おうと思ったのだ。
 まるで誘われるようにふらふら、と外のベンチに座り込み空を見上げる。心なしか呼吸が楽になり、そして光る星はきれいだった。そこに僕が求めているものがあるような気がしたが、しかし僕はそこにまだ行けていない。


「君も眠れないのかい?」


 やや斜め後ろから声をかけられ振り返る。そこには僕より年上であろう青年がいた。

 青年――おにいさんはどこか不安そうな顔をしている。僕はとりあえず体をずらし「どうぞ」と隣に座ることを勧めてみた。
 彼は「どうも」と言って僕の隣に座る。そうして、


「眠れない?」


 と再び僕に問いかける。僕はそれに素直に「うん」と答えた。おにいさんは「そっか」と言う。


「たぶん……僕は不眠症だと思うんだ」

「へえ。…………眠るのが怖い、とか?」

「いいや? 眠るのはどうってことないんだ、ただ眠れないだけで」

「そっか」


 おにいさんの視線は常に下を向いていて、僕に顔を合わせない。僕は時々おにいさんを見るけど、その視線が合うことはなかった。

 なんとなく、彼は僕から聞かれるのを待っている、そんな気がする。


「……眠るのが、怖い?」


 そして同時に、聞かれたくないような顔をしている。


「………………うん」


 長い間のあと、おにいさんは重く頷いた。そして「まだ生きたかった」とも。
 僕にはその気持ちはわからない。僕はただ、はやく眠りたい。眠ってしまいたい。

 この地獄から、はやく抜け出したい。


「……盛大にお別れ会をして」

「……」

「みんなに時間を作らせて穏やかな一日を過ごしたのに」

「……」

「僕はまだ死んでいない」

「それほど惜しんだじゃないか。周りも、君も。周りは君を惜しみ、そして君は周りを惜しんだんじゃ……?」

「違う」

「……」

「……『楽しくなかった』んだ……」

「楽しくなかった……?」

「うん」


 僕は最後まで笑っていたかった。

 それなのに会の途中でみんな泣きだし、惜しみの声と別れの言葉を聞かされて、まるで僕は『死ななきゃいけない』ように思わされた。――それって、笑えない。
 両親だってそうだ。僕はあの穏やかな時間を堪能し、そして微笑んだまま終わりたかった。最後まで和やかなムードで病院に戻りたかった。そして空が暗くなって、僕はベッドに入り、今日起こった出来事を振り変えながら思わず「ふふふ」と笑ってしまう。そんな楽しい――楽しかった出来事を振り返りながら、笑って、そしてそのまま眠りにつきたかった。

 けれどその日の夜、目を閉じてベッドで僕が思い出したのは全く逆の事ばかり。


「それって、酷くない?」

「……酷い?」

「酷いよ。酷い。……確かにさ、僕は死ぬし、それで悲しまれるのはある意味嬉しいことなのかもしれないけど。――けどさ、僕はこれから死ぬのに、どうして残された人のことを考えなきゃいけないの? その残される人たちが僕のことを考えてくれていないのに? 僕が望む最後を演じてもくれないのに? みんな好き勝手感極まって泣いているのに?!」

「……」

「自分が勝手なことを言ってるのは、自分がよく知ってるよ。でも事実、僕は楽しくなかったんだ。暗に『はやく死ね』って、そう言われているように感じたんだ。……僕は……僕はただ、最後まで笑っていたかっただけなんだ……」

「そっか……そうだよね。それは悲しいね……」

「悲しい……? うん、悲しい……」

「俺は死ぬのが悲しいよ」


 僕は望んだ別れができずにそのことに悲しんで。おにいさんは純粋に死が悲しい。

 どうすればいいだろう。このままでは僕もおにいさんも、一生悲しいままだ。ずっと暗いままで、暗いまま人生が終わっていしまう。それは――それが一番『悲しい』ことだ。


「笑おう」

「え……?」


 急にベンチから立ち上がった僕をおにいさんはポカン、という顔で見ていた。それの顔がおかしくて僕は笑った。久しぶりに笑った気がする。
 僕はおにいさんに手を差し出した。おにいさんは訳がわからない様子で僕を見上げている。


「一緒に遊ぼうよ、おにいさん。疲れたらよく眠れるだろうし、きっとおにいさんと遊んだら楽しいよ。――サッカーとかどう?」

「……二人で?」

「鬼ごっこでもいいよ」

「二人だけで……?」

「やろうよ。きっと楽しいよ」

「…………やろうか」

「うん」


 童心に帰る、だなんて、まだ子供の僕がいうのはおかしな話だろうけど、けれど本当にそんな感じで僕とお兄さんは遊びまくった。とくかく思いつく限りの遊びをやり、そして全力でそれに取り組んだ。

 お互い膝が笑うまで遊びつくし、汗だくでふらふらになった頃に、よくやく僕たちは再びあのベンチに腰かける。


「――しまった。これじゃ汗で気持ち悪くて逆に眠れない」

「えぇー……、それ今気づくの?」

「でも楽しかった」

「……そうだけどさ」

「そうだ!」


 いいことを思いついた。今日の僕は実に冴えている。
 僕はウキウキと体を揺らしておにいさんに向き直る。おにいさんは嫌な予感でもしたのか若干身を後ろに引いた。


「お兄さんの病室の番号教えてよ。一回、着替えに別れてさ。その後一緒に寝よう!」

「どうしてそうなるのかな。俺もういい歳なんだけど……」

「僕と少ししか違わないじゃないか」

「それだっておかしいだろう。普通、思春期で恥ずかしがるんじゃないの?」

「え? 修学旅行みたいで楽しいかなって思ったんだけど?」

「君の頭は常に楽しくする事でいっぱいなんだね」

「これまでが楽しくなかったもので」

「そっか」


 そう言うとおにいさんは「なら仕方ないな」と言ってベンチを立つ。彼は丁寧に部屋の番号と階を僕に告げると去っていった。
 僕はその場でしばし風を浴びてから、同じくベンチを立った。そして病室に戻り汗を拭いて着替える。それから物音をたてないようにまた病室を抜け出した。

 『永眠病』の患者は死ぬことがわかっているので一人部屋になることが多く、そして今日ほどそれに感謝した日はない。僕は、はじめて友達の家に行くときと同じドキドキに胸を高鳴らせ、おにいさんの病室へと早足に向かう。
 教えて貰った病室番号と同じ部屋の前に立ち、僕は静かに扉をノックした。


「どうぞ」


 先ほどの彼と同じ声がした。その言葉を合図に僕はするり、と病室へと身を滑り込ませる。
 後ろで扉がしまったとき、まるでゲームをクリアしたときのような、言いようのない達成感を僕は得た。


「そんなコソコソしなくても」

「でも楽しかった!」

「はいはい」


 おにいさんは僕を見て微笑んでくれたけど、それはすぐに呆れ顔に変わった。最初に会ったときよりテンションが違う僕が意外と面倒な人だと気づいたのだろう。昔は僕もこんな性格だったのだ。最近はそれを出す機会がなかっただけ。


「じゃ寝ようぜ!」

「寝る前のテンションではなさそうだけどね」

「大丈夫。こう見えても僕は意外と疲れてる、クタクタだ」

「なんじゃそりゃ……」


 ベッドに入るおにいさんに倣って、僕もベッド入る。当たり前だが狭かった。でも寝られないこともない。僕の身長は低い方で、そしておにいさんは意外と身体が細い。


「昔、兄弟に憧れてたときを思い出した」

「……へえ、ということは一人っ子?」

「うん」

「俺は上に姉一人、下に弟一人」

「まじで? いいなあ……」

「そうかな。上は何かとうるさいし、下はわがままでうるさい」

「結局両方ともうるさいんじゃないか」

「君も弟みたいだ」

「え、僕うるさい?」

「………………」

「そこで黙らないでっ」


 枕に顔を埋めるおにいさんは僕の必死の問いかけに「……うん」と眠たげに返した。寝る一歩手前の人間が出す声だった。
 欠伸はうつるとよく言うけれど、眠気もうつる。急に瞼が重くなったと思ったら、僕自身もウトウトしだした。死期は近い。


「……今日は、楽しかった……」

「…………うん」

「君のお陰だ。今は、ただ眠りたい……」

「……うん……眠い……」

「おやすみ……」

「……おやすみ……」


 今日のことを思い出して、僕は「ふふっ」と笑う。死に顔が微笑んでいるって、僕はすごく素敵なことだと思ってる。だってそれは、最後まで楽しかったってことだから。

 今日は、とてもいい夢が見れる、――そう思って、僕は眠った。




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