他ノ噺
□青蝕の行方2
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青蝕の行方2
サァサァ、と。
暗い灰色と墨色が混じった夜空から降り注ぐ軽い雨粒が全身に降り注ぐ。
いくら恨みをつくれども、いくら恨みを食べれども満たされない乾きが永遠と身体を火照らせる中、冷たい小雨はちょうど良い心地よさを与えてくれた。
何かが足りなかった。
その何か≠ヘわからなかったが、少なくとも自分の隣に彼≠ェいたときはまだこんな乾きは感じていなかった筈だ。
「――飢えているんだね?」
足音はしない。けれど雨の音に混じって聞こえてくる声音は懐かしいもので、その懐かしさに胸の奥からせり上がってくる何かを、しかし目を細めることで誤魔化した。
声は、そんなこちらの様子など気にもせず言葉を続ける。
「辛いかい?」
「……辛いさ。あんたが死ななければこんな思い、しなくてすんだのに」
「僕もそうしたいのは山々だったんだが、最初に君に喰われた&ェが痛かった。あれさえなければ僕はあと二十年生きられたかもしれない」
「…………」
「けれどそれも全部、終わったことさ」
終わったこと。そうだ、もう全て終わったこと……この声の主は、もうこの世にはいない。
今、自分に語りかけてくる男は死んだ人間なのだ。
「もう終わったことだが、しかし今の君をそのままにしておく訳にはいかない。道徳的な話しじゃない。僕が、君に人を殺めてほしくないだけなんだ」
「相変わらずだな。このお人好し」
「その自らの性に苦しむ君に言われたくはない」
「…………」
「今日は君に、先を示しにきた。僕はもう君の傍にいられないが、しかし僕の代わりに、君の傍にいてくれる人間を紹介してあげることはできる」
「そんな人間がいるものか。それに、そんなことをして何の意味がある」
「あるんだよ、それがね」
死してなおも変わらない態度に耐えきれず、無意識の内に首から下げた木箱を握る。
彼以上に自分を理解してくれる存在など、想像ができなかった。
男の言葉はまるで遺言のようで、だからこそこれ以上聞きたくなかった。聞いてしまえば、この男は消えてしまう。自分をおいて、今度こそ天へと逝ってしまう。
けれど耳を塞がなかったのは、その場から逃げださなかったのは、男の『自分のために』という心づかいが感じられたから。話しを聞く勇気はなかったが、しかし彼の想いを裏切ることもできなかった。
「君と長らく過ごしてきたが、その中で君が人を――恨みを欲したことはなかった。僕の前に初めて現れたあのとき以外はね。
だから僕はこう考えた。君は、何か『守る対象』があればその役目を全うし、逆にその対象がなければ恨みを求めるようになる、と……。おそらく君の中には『攻』と『守』の二つの性質が存在するんだろう。
君は人を守り続けることで恨みを求めずにすむし、人を守り続ければ乾きに苦しむこともない」
「……門を築いて、対象を守る=v
「それを仇為す者には復讐を=\―ね? 理にかなっているだろう? 君のその性質、それさえ満たせば、それさえ理解していれば大丈夫だ。僕の代わりもちゃんと用意したし、大丈夫だよ」
「…………」
「大丈夫」
大丈夫、大丈夫、と――。
門守の役目、役目があることの誇り。それを奪われた怒り、平和を乱した者への恨み。憎しみと殺意、戻らない平穏。
終わらない復讐はいつしか虚しさとなり、虚しさは己の業を認識させる。それでも消えない乾き、最初に得た恨みへの渇望は負の循環であり、自分が鬼に堕ちたことを告げていた。
そして恨みを求めないために、鬼は再び守護の役目を務めるのだ。
最後に見たその人は、まるで泣きたいのを我慢して笑っているような顔で私を見ていた。
「ごめんね」
それはこちらの台詞だよ。
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