他ノ噺

□石ころがし
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石ころがし



 昔から石を扱うのが仕事だった。

 石に関することを生業としているうち、いつしか自分たちは石渡=\―いしわたり、の姓を名乗るようになっていた。
 代を重ねていく中で自分たちは一つの職を貫くことはなかったが、それでも自然と皆が皆石から離れたことは一度もなかった。

 かくいう私も石の彫刻家で、石を彫っては売り生計をたてている。自分の作品たちは、まるで親元から独立する我が子のように私の元を旅立ち、その代わりに私の手元には金が残るが、彼らの形見であるそれでさえ消費してしまえば後には記憶しか残らない。
 しかしその記憶さえも次々に生み出す作品たちに埋もれ、やがては忘れてしまう。最近完成したあの作品も、いつしか記憶の片隅に留まる程度にまで薄れていってしまうのだ。

 そういうものなのだと思っていた。忘れることは当然で、手元に残らないのも当然で、いつか周囲からも認知されなくなる、そういうものなのだと思っていた。あの話聞くまでは。

 この世には不思議なことがごまんとある。たくさんの層が重なり大地を作るように、その地層の数だけ歴史がある、そしてそれと同じように不思議なことや不可解なことが存在する。
 それを解き明かすのは、それに携わる人間の役目だ。だから私には細かいことはわからないし、それをどうこうする権利も力もない。だが私にその役目が回ってきたのは、私が石渡の血筋の者であるからだろう。……とはいっても、私がそれを知るのはだいぶ後のことになるのだが。

 私が任されたのは石の処分だった。
 これがただの石ならよかったのだが、その処分しなければならない石というのがなんとも厄介な代物で、持ち主曰く『呪いの石』らしい。

 西洋造りの家――レンガ造りのそれは、小さいが趣のある立派な家だった。
 そしてその家に組み込まれたレンガの一つに、その呪われた石――レンガがある。

 持ち主が気づいたのは、だいぶ古くなったその家を解体するときだった。土地を売ることにした持ち主が家を解体しようとしたところ事故が多発、更にはあの家を建てたときから持ち主の家系は不幸に見舞われることが多くなったらしい。それは金にせよ、病気にせよ、運にせよ……今回も土地を売ることになったのはそれが原因なのだそうだ。
 最初はだれしもが家自体に原因があると思っていた。もしくは目に見えない悪いモノが取り憑いているのだと、だが家の造りがレンガであることに関係してか解体を担う人間の一人が他人ではあるが、その他人は私の友人と知り合いで友人にその話しをしたところ、その友人が石好きの石職人である私に「石のことなら」と話しを持ってきた。

 それでのこのこと現場に来た私も私だ。だが来るだけの価値はあっただろう。なぜならその家は素人の私からみても『素敵な家』だったのだから。
 まるでドールハウスのようなその家はけして豪華な造りではなかったがどこか高級感を見るものに与え、月日が経った現在でも寂れた雰囲気をだすどころか良い具合に味がでている。壁に蔦が這っているのが更に家を引きたてていて、ここだけが別の世界のようにさえ思えた。

 それほど人目を引く建物が、まさか人に酷い目をあわせているだなんて、道行く人はきっと思いもしないだろう。
 そんな家を縁起の悪くさせた原因が一つのレンガだとわかったのは、自慢じゃないが私のお陰である。家主と現場の人間(おそらく責任者)と一緒に外観を見て回っていたところ、ふと、ある一か所に違和感を覚えたのだ。


「ここだけ色が違いますね」

「え?」

「ほら、ここだけレンガの色がおかしいんですよ」

「……あれ? ほんとうだ」

「濃いというか……なんというか。これほど鮮やかなレンガを山ほど使っているのに、なぜここだけ……」

「凄いですね。石渡さんに言われるまで全然気づきませんでしたよ」


 それは赤茶色の中では異様に浮いている赤錆色。少なくとも私には浮いて見えた。私の発見に現場の人は感心したように頷き、家主は色の違いにわからず首を傾げている。
 わからないのも当然だろう。そのレンガは地面に近い場所に埋め込まれており、一見して赤茶色と赤錆色の違いなど見分けられる訳がない。ではなぜ私がわかったのかと言えば、例え元が粘土であっても目の前にあるのはレンガと呼ばれた個体――石であるからだ。石に関しては異様に鋭い石渡の人間だからこそ気づけたと言ってもいい。

 普通なら見過ごしてしまいそうなただのレンガが、私には異質に見えた。雰囲気というか、オーラというか……一言でいうなら気≠フようなものを感じたのだ。
 そして気は気でもそれは良くないもので、そのレンガは邪気を発していた。けれど私はその禍々しさになぜか魅かれ、レンガをもっとよく見ようと膝を折る。

 顔を近づけてわかったのは、そのレンガは『後から組み込んだ』ものであるということだった。


「上手く隠されていますが良く見るとここ、細かい傷や欠けた跡が、そしてそれを埋め直した修正跡がありますね。なんらかの理由でレンガを交換したのでしょうか……?」

「レンガを? 一か所だけ? ……どうなのですか?」

「家の人からそのような話しを聞かされたことはありませんから、後からこの家に何か手を加えたことはないとは思いますけど……」

「だ、そうです」

「でしょうね。そもそもこれほど芸術的なレンガが簡単に、そしてすぐに駄目になるとは思えない」


 膝についた土を払いながら私は立ち上がり、奇妙な修正跡を見て首を傾げている現場の人間にそう言った。
 私の言葉に彼は顔をしかめ考え込み、家主は気味が悪そうに眉を寄せる。


「まぁ理由がどうであれ、いいじゃないですか。これを取り除けば、おそらくですが家は取り壊せますよ」

「本当ですか。それは助かります、さっそく取り外しましょう」

「では私がやりますよ。私が気づいたのが偶然とは思えませんから、発見者である私が回収しましょう。道具を貸して頂けますかな」

「回収と言うのなら、そのまま引き取ってくれるとこちらとしてはありがたいのですが……」

「わかりました」


 と言って回収したけれど、私にとってこのレンガに価値はなかった。焼いて固めた粘土など彫るのには向いていないし、子供のように地面に擦り当ててチョークの代わりに使う必要もないからだ。
 けれど私はレンガを持ち帰った。別にレンガに魅せられた訳でも他に使い道がある訳でもないのだが、不思議とこのレンガに対して興味が尽きなかった。

 そして私はレンガを手に入れてから二カ月後、この赤錆色の理由を知ることになる。
 それは、年に一度開かれる親族の集まりに参加したことだった。

 石渡の人間は身内に対し適当で、浅くもなく深くもない、実に居心地が良い距離を皆が取る。そのため親族たちの仲は良好なまま現在に渡り保たれていた。また、皆が「石が好き」という共通の好みがあることが仲の良さに拍車をかけているのかもしれない。
 親族というよりかは友のように、長く付き合う親友のような関係。

 私はそんな親族たちが好ましくあった。


「悪いが、君たちの中にレンガに詳しい者はいないだろうか」

「……レンガ?」

「どれどれ」

「美人さんだね」


 年の近い者たちに聞けば、返ってきたのは率直な感想。

 わかるか、このレンガの異質さが……さすが石渡。って、そうではなく。


「……でもなんかこのレンガ、怖いな」

「美人だけと幸が薄そう」

「嫉妬深い女のイメージ」

「そう! そうなんだよ!」


 彼らの言葉にすかさず私はこのレンガを手に入れた経緯を説明し、それを聞かせた後また改めて先ほどの質問をする。
 うーん、と唸ること数秒。親族の一人が「それなら年上の人たちに聞けばいいんじゃないか?」と答えを出した。


「家が建ったとき、そのレンガを作った人間が二十歳以上ならその辺りの人間なら何か知っているかもしれない」

「なるほど……わかった。ありがとう、さっそく聞きに行ってくる」

「ガンバレよー」

「おー」


 彼らの声援を背に受けながら、私は酒盛りをしているじじばばができあがってしまう前にと急いで聞きこみに周る。
 さほど多くない親族の大半を占める年上の人たちは、顔を出した私に「お前も飲め!」と酒を勧めるが、それを軽く流して私はさっそく本題を切りだす。


「あの場所に建っていた西洋風の家に組み込まれていたレンガだ。何か知らないかな?」

「これは……まるで血吸い桜のような美しさだねぇ」

「そう思うとこの赤錆色も、血が渇いた色に見えてくるから不思議だな」

「…………あのー……」

「はいはい、わかっているからそう急かしなさんな」


 どいつもこいつも質問にすぐ答えないあたり、身内の扱いに適当な石渡の血を見事に受け継いでいる。

 マイペースの塊のような彼らはゆっくりとコップ一杯を開けて、わざわざ全員分を注ぎ足してから話しを再開させる。あまりの遅さに私も一杯付き合ってしまった。うめぇ。


「……で、何の話しだったか」

「それ、本気で言ってる?」

「冗談、冗談だ。ただ……あまり話すのはよくない類いだよなぁ?」

「ですよねぇ」

「なにそれ。人を殺したとか?」

「いやー……そういうのじゃないけどなぁ」

「確かあの人≠ニ一番関わりがあったのは『宝(ほう)さん』だったよね。……おぉい、宝さーん」

「……――あぁ?」


 と親族たちに呼ばれ、一人酒盛りをしていた『宝さん』は不機嫌そうにこちらを振り返った。

 宝さんは宝石に関わる仕事をしていて、石渡の中では数少ない成功を収めた人物である。若くして宝石を扱う企業の社長である彼は自他共に認める『完璧な人間』であった。
 厳つい顔から厳格なイメージを抱かせるが、その実最近三歳になる娘には甘々である、というのは身内しかしらない情報である。

 四十代以上しかいない輪に加わる三十代。誰が見ても一目でういているとわかる彼がこのレンガの秘密を握っているとは思えなかった。
 しかし私の思いに対して宝さんはレンガを見るとすぐ「ああ」と言うと、


「それ、俺の兄貴の」


 となんでもないように言う。


「詳しく言うと、死んだ俺の兄貴の遺品……つーか、自滅の産物」

「ごめん。余計にわからないです」

「……んー…………」


 宝さんは面倒臭そうにポリポリ、と頭を掻いて宙を見る。宝さんの様子に見かねてか親族の一人が「お兄さんは嫉妬深い人だったんだ」と私に耳打ちをした。
 たいして小さくもないその声は宝さんにも聞こえていて、彼は途端に嫌そうな顔をすると舌打ちを一つ零してから口を開いた。


「違う、単に馬鹿だったんだよ。努力もしないで人を妬んでばっかの人間だった。兄貴の知り合いだから俺は詳しく知らないけど、あの家の人間と兄貴が同級生で二人は友人関係だった。けど兄貴はそいつの優秀さを妬んでいたんだ、ただそれだけの話しだ」

「……つまり、嫌がらせ?」

「それよりもっと最低で、悪質なものだよ」


 そこで一度区切ると宝さんは「酒!」と身内の一人にコップへ酒を注ぎ足たせると一気にそれを飲み干し、新たに足された液体が入ったコップをワインのそれを同じように回す。

 そして右手で持ったコップを左腕に置く動作をして、彼は淡々とした口調で言った。


「兄貴は、自分の左手を切り落として、粘土に混ぜたんだ」


 そうしてその粘土を焼き固めてできたレンガが、それだよ。

 言い終えて再びコップに口をつける宝さんを、私は呆然と見ていた。

 腕を、切り落とした……? え……?


「嘘だろ……」

「いやほんと。……全く、馬鹿だよな」


 私の呟きを即答で返した宝さんから視線を外し、私は手に持つレンガを見た。
 布に包んだだけのそれは、皆に見せるために向きだし状態でここにあり、そしてそれは宝さんのお兄さんの血肉が入っている。

 一体、彼は何を思ってそんなことをしたのだろうか。このレンガに込められた想いとはなんなのだろうか。そうまでして作り上げたこれに意味はあるのだろうか。少なくとも。


「正気の沙汰じゃない……」

「……石渡の人間は、たとえどんな職種に就こうが石への情熱だけは忘れなかった。俺たちだけの話しじゃない。人間は皆、この両手で何かを生み出す、生み出せる。
 それを自ら捨てた兄貴は正気じゃなかったが、それなりに強い意思はあっただろうさ。じゃなきゃ生きたまま、それも自分で腕を切るなんて所業できる筈もない」

「結局、彼は首を吊って自殺したんだ……」

「しかも家でだぜ? 俺が学校から帰ってきたらリビングに兄貴が宙ぶらりん……全く、今でも笑うしかないわ。

 ……レンガのこと、俺は知っていたが、ただの悪質ないたずらだと思っていた。だから兄貴が死んで、わざわざ言って気味悪がせることでもないと思って今まで黙っていたが、まさか呪いが実際に起こるほど強い物だったとはな……あの家の人間には悪いことをした」


 お前が回収してくれて助かったよ。

 そう言って宝さんは私の頭を撫でた。この歳で頭を撫でられるのは気恥ずかしかったが、宝さんの悲しそうな、辛そうな顔を見ると何も言えなかった。

 親族たちは口々に「あんたの所為じゃない」「もう終わったことだ」と彼を慰めるが、宝さんは困ったように「ありがとう」と言って笑うだけだった。
 最初、みんながこの話しを渋った理由が、よくわかった。

 このレンガに価値はない。必要がない。けれど意味がない訳ではない。理由がない訳じゃない。

 忘れることなんてできない。だってこれは罪であり、一人の人間の業そのものだ。忘れてはいけない、まるで戒めのように私たちの記憶に残り続ける。
 一度は作り手のもとから離れたが、しかしこのレンガは私たち石渡″のもとに帰ってきた。このレンガと共に十数年のときを過ごしたあの家族も、自分たちの身に降りかかった不幸を忘れることはないだろう。

 これほど酷い作品は、この世のどこを探してもきっと存在しない。
 無銘のレンガ。私はこの作品≠ノ、『悪縁』というタイトルをつけた。

 忘れたくとも忘れられない、切っても切れない一生の繋がりだ。




終わり
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