他ノ噺

□きつねつき
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きつねつき



 老婆と幼子が一緒にいる。

 特別珍しい光景ではないのかもしれない。
 けれど、その動作がどうもあやしい。さっきから家という家をキョロキョロと見渡し、生垣や柵から敷地を覗き見ているのだ。

 あれが俗に言う「……挙動不審」という奴だろうか。

 後方からその様子を観察していた俺を、老婆がぎょっと見てくる。
 しまった……つい、声が出てしまったか――何か言おうと口を開いたが、すぐに閉じた。

 俺は何を誤魔化そうとしているのだろう。その役目は俺ではなく、俺の視界に映っている老婆がすべきだ。

 なんせ彼女は人の家を盗み見ていた訳だし、不審な行動を取っていたことはまず間違いない。
 だから俺は何も言わず、老婆を見ていた。老婆は居心悪そうに視線をあっちこっちへ送っている。
 そうしてついに堪え切れなくなったのか。老婆はそのままそそくさと何処かへ去って行った。

 必然に、ずっと老婆と手を繋いでいた幼子もつられて遠退いて行く。
 色落ちした着物から、辛うじて女の子であることがわかった。まぁだからどうしたと言う話であるが……。

 老婆と幼子。

 特別珍しい光景ではないのかもしれない。
 だから俺も後など追わず、ただ黙ってその後ろ姿を眺めていた。





 最近、老婆と幼子。その二人組の姿をよく見るようになった。
 あれは、俺が初めて目撃した際、堂々と「挙動不審」と言ってやった二人組だ。

 最初こそ「またか」という気持ちで眺めていたが、それが二週間も続くとさすがに気持ちが悪い。
 よって俺は、自身の数少ない友好関係を頼り相談事を持ちかけていた。


「――で、どう思う?」

「「どう思う」と言われても……ただ単に知り合いの家を探しているとか。新居を探しているとか、じゃないのかい?」


 縁側に腰掛け、二人。俺と、俺の数少ない友人だ。

 のほほんとそう言った友人は、友人である男は膝にのせた獣を一撫でした。
 ……その獣は、所謂『子狐』という奴で、毎年冬になると友人の家で見かけるようになったのは、もう随分前だ。

 不思議に思って訪ねてみれば「私の方からお願いしてね。冬に暖を与えに来てくれるんだ」と、これまた不思議な答えが返ってきた。
 こいつは昔から変な奴だと思っていたが、この白いモコモコ≠見かけるようになってからというもの、拍車をかけて変になっている。
 とはいっても、俺の友人と言えばこいつくらいで……また、こんな話しを聞いてくれるのもこいつくらいしかいないため、結局のところ俺はこの男を頼りにしなければならないのだ。


「それにしては挙動が不審過ぎるのだよ」

「そんなことを言われてもねぇ……ご近所さんたちからも苦情がないのだし、『近くに越してきた人が、たまたまそこを散歩道にしている』って思えば納得だろう?」

「だから、それにしては不審過ぎるのだよ。おまけに足が速い。よくあの歳であそこまで足早に駆けるものだ」

「――ほら、結局はそこなんじゃないか」

「…………何がだ?」


 そう言って友人は、俺の脚を――左脚を見た。昔事故に遇った俺は、脚を一本。失ったのだ。
 友人はどうやら俺が、いい歳こいた老婆が速く走れるのが羨ましいのだ。と捉えたらしい。

 そんなことは……ない。のかもしれない。


「……もし、あの老婆が善からぬ事を企んでいて、それであのような行動を取っているのだとしたら……したら、俺はあのババアに言ってやりたいね。
 『せっかく両足二本揃っているのに、お前は何をしているんだ!』とね……全く、羨ましい。どうして泥棒――悪人には二本あって、俺には脚が一本しかないのだ」


 ぐちぐちと文句を言う俺に、友人はうんうんと相槌を打っている。

 いつまでも過去のことを引き摺ることは、とても情けないことだ。けれど友人は優しく俺の――今はない脚の傷痕に手を乗せると、言った。


「お前だからこそ、だろうね。きっとお前以外の人間が同じように脚を失っていたら、そうそうに死を選択していたかもしれない。貴方だからこそ乗り越えられた。

 私はそれを誇りに思うよ。尊敬するし、好ましい。お前の友人でよかったと、そう思うよ」


 小っ恥ずかしい台詞を言う友人。だからこそこいつは『変な奴』なのだ。
 自然と熱くなる頬に気づかないふりをしていると、友人は「でもねぇ……」と子狐を撫でながら呟いた。


「善からぬ事を企んでいる人間が、果たして子供を連れ歩いているものかね……?」

「企みに嘘と偽造は付きものだろう?」

「うーん……」


 俺の言葉に納得しかねるのか。友人はしきりに唸った後、黙って子狐を見つめた。
 そうして唐突に子狐を持ち上げると、その腹に顔を埋めるという――奇妙な行動を取る。

 俺は驚いた――が、どうやらそれは子狐も同じなようで、黒い目をパチクリとさせて虚空を見つめている。
 暫くして子狐は「なんとかしてくれ」という風に俺を見つめてきたが、止めていいものかと躊躇する俺を見て、今度は恨めし気に見てきた。

 まさか狐にそんな顔をされるとは思わなかった……。

 硬直する俺の気持ちなど知りもしないで、一人だけ満足気な顔をして子狐を膝に戻した友人は、やわらかく笑うと俺を見て、


「まぁ、あれだ。そんなに気になるなら、まずは自分から声をかけてみなさい」


 と言った。

 俺の反応はもちろん、


「はぁ?」


 である。

 一人何かを納得した友人は、俺の反応になど意にも介さず子狐を撫でた。
 子狐も、先ほど奇妙なことをされたのを「もう忘れました」とでも言うように友人の膝で目を閉じている。
 自由奔放な猫とは違う。一種の信頼関係を見せつけられた気がした。


「懐かしい」

「何が?」

「匂い≠ナ思い出した。ああそうだ。この子と出会った時も、今も、ずっと嗅いでいる匂いだよ」

「それ、獣臭って奴だぞ」

「そうだ。狐の匂い」


 それから友人は、膝の上で寝こける狐――子狐との出会い話を話しだした。
 なぜ今、突然そんな話をしたのかはわからないが、わざわざ遮る話でもないので最後まで聞くことにする。
 時折相槌を打つ俺を、子狐が終始見ていた。心なしか、笑っているような眼で……。

 こっち見んな。





 吐く息も白くなる灰色の空の下、俺は帰路に着いていた。

 手には一つの包み――『繕い屋』を営んでいる俺に渡されるものといったら、着物だ。
 何でも、あの子狐が敷物代わりにし、気持ちが良さそうなのでそっとしておいたら遊ばれた……と、子狐といっても獣。じゃれられボロボロになった着物は悲惨な状態だった。

 最悪、直せようにないなら新しいのを繕って欲しい――と、新品なら『繕い屋』ではなく『呉服屋』に頼めばよいものを……多めに渡されたお金に苦笑が零れる。
 しかし、そう言えば返ってくる言葉は予想がつくので、ここは大人しく期待以上の物を仕上げるようにと、俺は自分の中で決めていた。


「………………ぁ」


 ふと、視線の先に老婆と――幼子が。
 幼子は、よく見れば両目を瞑っていた。そして老婆は、いつからだろうか。俺をじっと見ている。
 無い脚の代わりに突いている杖の音はこの乾いた空気によく響く、老婆は身構え、俺が一歩でも動けば去っていきそうだ。

 そんなに警戒することもないだろうに……もしかしなくとも、最初の印象が悪かったからか? にしても、寒そうだ――俺は慣れた足取りで二人に近づく、老婆は歩き出そうと幼子の手を引いた。


「待て」


 律儀に俺の言葉に止まった老婆はただこちらを睨むだけで、特に何の動作も行わなかった。

 俺はそれをいいことに自身の首巻きを外すと、それを幼子に巻く。


「こんな寒空の中、子供を連れて回すとはいい趣味持っているな?」


 意外だったのか。老婆はこちらを驚いたように見つめていたが、俺の嫌味にまた目を鋭くさせた。
 対して幼子の両目は閉じたまま……『狐目』とは、こういうことを言うのかもしれない。


「――好きで連れまわしているんじゃないさ」


 長い沈黙。やがて老婆が口を開いた。


「この子はご覧の通り、目が不自由でね。こういった子は人に憑くんじゃなくて家に憑く方がいいんだ。なのに、肝心の家が見つからないんだよ」

「そんなの勝手に入ればいいじゃないか」

「人の都合なんて考えちゃいないさ、いつだってこっちの都合を優先しているよ。この子に必要なのは、この子にとって都合がいい家だ。それが、見つからない」

「へぇ」


 適当に相槌を打てば、老婆は「可哀そうに」と幼子の頭を一撫でした。


「あたしは、もう長くないんだ。なのに、この子の母親――あたしの娘は目が見えないってだけでこの子を捨てた。あんまりじゃないか。目が見えないからそこ、この子には才能があるのに……勿体無い」

「化けるのに才能がいるのか?」

「化けるのは誰だってできるよ、馬鹿でもできる。あたしが言っているのは力≠フ方だ。お前さん、『神通力』って知らないのかい?」

「ああ、『神通力』ね。神通力――それなら知っている」

「本当に、勿体無い」


 そう言って老婆はまた幼子の頭を撫でる。
 なんだか。こちらの言葉を待っているような……些か期待が込められた目を先ほどから向けられているのは、気のせいだろうか……?


「しかし、先ほどから『家』、『家』と言っているが、ある日突然我が家に娘っ子一人増えていたら驚くだろう」

「あんた馬鹿だね」


 俺の言葉を老婆は鼻で笑った。
 歳相応の嫌な笑い方で、人がどうすれば不快になるかわかっているかのような笑みだ。

 事実、俺はその態度に苛立った。


「人に視られまいとしている狐が視られる訳ないだろう。

 あんただから視える≠だよ。あたしも、この子も……どうやらあんたとは相性が良い≠轤オい」


 老婆が微笑む。幼子が俺の服を遠慮がちに掴む。

 そこで俺は漸く、この老婆が俺に何を期待しているのか――何を言わせようとしているのかを悟る。
 気づいて、俺はため息を吐く。友人――あいつが今日、昔話を話した理由が、なんとなくわかった。


「……ここで遇ったのも何かの縁――宜しければその子の面倒、俺が見ますよ」


 老婆は俺の言葉に満足そうに笑い。「それじゃあ、頼むよ」と言うと一匹の狐になった。

 毛並みが悪い老狐は幼子を残し何処かへ去って行ってしまい。残った幼子は俺の手を握ってくる。


「じゃ、帰るか」


 その手を握り返しながら俺がそう言えば、幼子は嬉しそうに――花が綻ぶような笑顔をみせた。


「……あれ。そういえばお前、名前は――?」


 冷え込んだ空気が左脚の傷痕に障る。けれど繋いだ右手は温かい。

 コン――と地面に突いたとき、杖が鳴いた。




終わり
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