他ノ噺
□普通故に
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普通故に
心踊らない入学式を経験したのは、これが初めてだ。
(ついに、来てしまったかー……)
壇上に向かう代表生徒を見ながら、【風(かぜ)】はため息を吐く。
式は、まだ始まったばかり――。
震える空気、衝撃、揺れる卓上――
「ふざけるのも対外にしろ!!」
目を吊り上げ、風は渾身の怒号を浴びせた。
そんな風を見つめる二対の目――彼の実の兄である【そよ】と、義理の兄である【荒野 嵐羽(あらの らんば)】だ。
机の上に投げ出された分厚い紙束。
それを見てそよは困ったような顔で。嵐羽はニヤニヤと愉快そうに見ていた。
それが更に風のカンに障る。
「情報は微々たるものしかなし! おまけに生徒名簿に名前もないだと?!
嵐羽、お前は私に『調査』を依頼したよな?! これではお話しにならないわ!!」
バンっ――風は怒りのままに書類を叩く。
――そう。今回《照玖札(てるくさつ)学園》に入学することになっているクローン……【幸総院 真(こうそういん まこと)】の名前が、今年入学する生徒名簿に載っていないのだ。
念の為、教師のリストから上級生の名前全てを確認してみたが結果は上がらず……馬鹿デカイ学園なだけあって存在する人間の数も多い。
風の目元には隈ができており、そのことから彼が徹夜して調べたことが伺えた。
「入学式は明日だぞ?! 情報に関してはこちらにまかせろと豪語していたのは何処のどいつだったかな……!
その癖制服や備品の手配はお早いことで! 制服が視界にチラついて鬱陶しいんだよ!」
「まぁまぁ、風。落ちつけよ」
「うっせぇ!! 一週間前に資料を受け取って見たときから嫌な予感はしていたが、案の定だ! 自分で調べようにもセキュリティは固いわ、根も葉もない噂話程度の情報しか出てこないわ……お手上げだよ!」
「なんだ、話しが早いじゃないか。そうだ、お手上げだ」
「偉そうに言うな、馬鹿!」
勢いのまま書類を掴んで嵐羽へと投げるも、彼はあっさり受け止めてしまう。
嵐羽はケラケラと笑いながら――書類を破り始めた。
突然の行動に、激情を見せていた風も落ち着きを取り戻す。
「まぁ? もともと? 《荒野財団》はIT業界においては微妙だし? より優れたセキュリティに守られていちゃあこっちは手も足もでないけど? けれどさぁ……それなりにこっちだって頑張ったんだぜ?」
「弁解はいらない。結果を出せ」
「そう言わずに聞けや」
紙くずを床に捨てながら嵐羽は引き攣った笑いを見せる。
どうやら、彼も彼なりにこの状況に憤りを感じているらしい――風は散りばめられた紙たちを一瞥すると、そよを見る。
そよは苦笑し、顎で嵐羽を指す。まずは話しを一通り聞いてみろと――そう伝えているらしかった。
「――ま、この結果は予想できなかった訳じゃない。なんせ相手はクローン……世界的に成功してはいるが、道徳的な側面から今だ実用には至っていない――表上はな?
イメージ的にはペット、家畜が定着している。……なんにせよ。表だって「自分はクローンです!」なんて言えない世の中だ。隠そうとするのはむしろ当たり前!
そう、例えば――名前を偽っている可能性も考えられる。念には念をってことで、戸籍から書き換えているかもなぁ」
「………………」
「わかっていることは、クローンは今年入学する。これは確かだ」
「……今年の入学人数を、お前は知っているか?」
「もちろん。536人だろ?」
「…………」
それがどうした。とでもいうような嵐羽の態度に呆れを通り越して諦めがくる。
無理だろ――という言葉は、そよの発言によって喉の奥へと消えた。
「だからこそ、風にお願いしたんだよ。風は昔から観察力が鋭いし、落ち着いている。長期の仕事には持って来いさ!
ま……期間は卒業するまでの三年間あるんだし、風なりにゆっくりおやりよ」
「そういうこった。期待はそれほどしてはいないが、頑張れや」
「嵐羽は黙れ」
「なんで俺だけ?」
ピリピリとした空気は消え去り、残ったのは平穏な兄弟≠フ会話。
忘れ物はないか? 夕食はどうしよう? ――ありきたりな、どうでもいい時間ばかりが早く過ぎ去る。
夜が明ければ、暫くここともお別れなのだ――風は意味もなく机を指で撫でた。
月が真上にくるまで、もう少し――。
この身に高級感は合わない。
そもそも風は昔からあまり『眠れない』という。不眠症の気があるのだが、フカフカの寝具は更に眠気を削ぐ。
寝なくても健康だから問題はないのだが、ストレスがないと言われれば嘘になる。
そよが嵐羽と一緒になってからというもの、風は一人アパート暮らしをしていた。
これは自ら望んだことである。苗字も苗字なだけに、中学では風があの《荒野財団》と関わりがあるとは誰も気付かなかったようだ。
ちなみにそよと嵐羽が住んでいるのは――馬鹿≠ナかいマンションの最上階。
『――』は高いところが好きだというが、どうやら本当にその通りだったようだ――と、最初にマンションを訪れたとき風はまずそう思ったものだ。
風はこの「自分はお金持ちです!」と主張するこの建物が嫌いであったし、嵐羽はもっと嫌いである。
だから何か用事か無い限り避けているのだが……それでも今日は別だ。
なにせ――今日から寮生活になるのだから。
外出するにも書類――『外出届』が必要であるし、【学園】というだけあって閉鎖的だ。
規制が多いと予想される故、二人(主にそよ兄)と会える回数も減るだろう。
だからこの日ぐらいは……――と、風は初めてこのマンションで一夜を過ごしたのである。
「風、大丈夫? 忘れ物はない? 心配事があったらなんでも相談してね。会えなくても携帯があるから……せめて週一で連絡をくれ――」
「そよ兄、心配し過ぎ」
「まーあ、適当にやれや。あ、あとこれ追加の書類。必要ないと思うが念のため読んでおけ、それから報告は月一で、書類にまとめて送ってくれ。難しく考えなくていいぞー、レポートだと思っておけ……あ、お前まだ大学生やってないから知らないかーいやーごめんなー」
「嵐羽死ね」
「お前俺に厳しくない? まぁいいや。報告書は月一で、何か用があれば遠慮なく電話してこい。(……それと、寮に関しては手回ししておいたからな)」
「(助かる)」
最後の方は声を潜めて言う嵐羽……とはいっても、そよは車を取りに行っているからそこまで用心しなくてもいいのだが。それに、別に聞かれて困ることでもない。
風が嵐羽にそう伝えるも、「雰囲気だよ、雰囲気!」と何故か逆切れされた。
「あ! 二人とも急いで、時間になっちゃうよ!」
「おぉ! 入学式そうそう遅刻か? 悪(ワル)だね〜」
「黙れ」
茶化す嵐羽に蹴りを入れて、風はそよのもとへと歩き出す。
後ろから聞こえる抗議の声は無視した。
終わり