他ノ噺

□青蝕の行方
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青蝕の行方



 その奇病≠ェ村に流行り始めたのは何時からだったか……。
 突如として身体(からだ)にできた青疸(せいだん)は、瞬く間に村人全員に現れた。

 噂で、山を三つほど越えた先の村は疫病で絶えたと聞く。

 皆、死に怯えながらも……それでも元気な身体に首を傾げながら、今日の飯の為に畑仕事に精を出す。


 不気味なほど肌を覆う青疸がある以外は、至って普通の村だった。





 少年にその症状が現れたのは、村に青疸が見慣れた痕になっていた頃であった。


「……あれ? お前、顔の左……青いぞ」


 気付いた時にはそれはすでに手の平の大きさまで広がっており、顔の左半分を青く染めていた。

 最初は小さな痣程度のものの筈だった。
 けれど少年は村はずれに住んでいたし、一緒に住んでいる彼の祖父はもう随分前から目が見えなくなっている。
 そのため、久しぶりに村に下りてきて……そこで少年は漸く、自身の体も青に侵されていたことを知ったのだ。

 念の為、最初に指摘をした友人に背中を見て貰ったが、どうやら青疸が現れたのは顔だけであるらしい。
 村のみんなが言う通り身体に不調も感じられず、対処のしようがなかったので周りと同じように放っておいた。





 昔は村の入り口を守っていたとされる少年の家は、彼の祖父が現役だった頃に起きた崖崩れにより村の出入り口が変わった為お役御免となった。

 現在では狩りの役目を担い。山で狩をし、村に干し肉を売りに行っている。
 それに祖父は不満らしいが、昔から狼や熊と戦ってきた自分たちには最適な仕事であろう。
 それに、祖父だってそれを副業にしていた。副業が本業になっただけなのだ。


「――じいじ。俺にもできたよ、痣」


 既に右脚のほとんどを青に浸食されていた祖父は、少年の言葉を聞き「そうか……」と呟いた。
 その声音が悲しそうに聞こえたのは気の所為ではないだろう。


「本当に、これは……なんなんだろうなぁ……」


 もうほとんど見えていない目で右の脚を見つめて、確かめるように撫でる祖父の姿はどこか落胆しているようで……実際、祖父は落ち込んでいた。

 祖父は死にたいのだ。

 彼はもう六十年以上も生きている。それなのに彼の息子――少年の父は死に、父の代わりに少年を育てていかねばならないのに、それに反して足腰は弱くなるばかりで今では目も不自由になってきている……誇りの高い祖父にとって、守るべき対象に生かされる自分が許せないのだ。


 ――いっそ、この痣が己を殺してくれればいいのに……。


 少年は寡黙な祖父のことを理解している訳ではないが、それでも彼の考えていることはなんとなく察せられたので、刃物や縄といった道具は全て隠した。

 代わりに、まだ自分たちが胸を張って『門守(まもり)』と名乗っていた頃の武器――家宝でもある刀は、常に祖父の元に置いてある。
 けれども祖父はその刀を抜かなかった……きっと、この先も抜くことはないだろう。

 少年はそれで良かったので、祖父に対して特になにも言っていない。
 祖父は少々不満そうだが……大方、今の役割にせよなんにせよ、少年のやり方が気に入らないだけだろう。


 誇りの高い祖父とその孫……肌を覆う青疸がある以外は、至って普通の家族だった。





 その日、家の鳴子(音具)が鳴った。
 鳴子と言っても、鳥を追い払う為のモノではない。
 これは村はずれに住む門守を呼ぶ為の道具である。予定よりも消費が早く、肉が入り用になったときなどに鳴らされることが多い。

 基本、狩りは必要最低限しか行わない為、備蓄の干し肉を持って少年は山を下った。――しかし、麓に待っていた人物が要望した物は、全く違うものであった。


「薬草……?」

「そ、この人医者みたいでな。薬に使う材料が欲しくて、わざわざこの村まで来たんだと」

「しかし山に入ろうとしたところ止められまして……なんでも、危険だそうですね……?」

「危険だよう。ここら辺の熊は狂暴だし、狼は人の味を覚えてる。山のことなら門守≠ノ任せるのが一番さ、なぁ?」

「そうだな……(門守は『万屋』じゃあ、ないんだがね……)」


 そうは思っても、困っている人の頼みとあれば無視はできない。

 更に男は『医者』だと言うではないか。これはありがたいことだ。自分が依頼をこなせば村のみんなを診察してくれるかもしれない。


「それで? どんなモノを探してくればよいか」

「あ、ああ……これなんだが……」

「どれ」


 模写された用紙を受け取り、特徴を覚える。山で何度か見かけたことのある草だった。

 これならすぐ採ってこれるだろう……――紙を返そうと顔を上げた少年は、男と視線があったことにより動きを止める。


「……。なにか」

「あ、いえ……――、その、失礼ですがその痣は……」

「……――これですか」


 左手で顔の半分に触れながらも、持ってきた籠と道具を背負う。
 そうして友人に視線を向けながら「そいつに聞くといい、俺に聞くのと大差ない」と言って、二人に背を向けた。

 後ろから聞こえる会話にほくそ笑んでしまったのは、しかたのないことだろう。





 山から採取した薬草を持って、少年は再び村に足を踏み入れる。

 一日に二度も訪れることなど頻繁にはないので、再度見る村の景色はなんだか新鮮で見慣れている筈なのについ見入ってしまう。


「――あ、門守! いたいた!」


 そう言ってこちらに駆けてくるのは先ほど医者を紹介した友人で、彼は近くまで駆け寄ると少年の腕を掴んだ。

 早口に告げられる内容から、どうやら医者はこの村の青疸に興味を持ったらしく、薬草のお礼もあって――場合によっては無償で診てくれるらしい。
 これは良い機会だ。お前も診て貰え――と、少年の腕を引いて歩きだす友人の背を眺めながら、彼のされるままに連れて行かれる。

 微かに聞こえる少年の笑い声に、友人も口元を緩めた。





 村で唯一宿の役割を担っている家に訪れ、そこに泊っている医者のもとへ行くと彼は宿屋の主人を診察している所であった。
 しかし、その顔は暗い。宿屋の主人に伝える内容から、どうやら彼もこの青疸を診るのは初めてなようだ。
 宿屋の主人は気落ちした様子で――だがそれもすぐに消えると、いつも通りの雰囲気に戻る。

 正体不明の痣が身体にあるというのは不気味なものだが、しかし体調に支障はないので誰もそこまで重要視していないのだ。


「――薬草を」

「ありがとう。……うん、確かに」


 薬草を触りながら「これはノドの痛みに良く効くんだよ」と医者が言う。
 私物であろう荷物に薬草をしまう医者に、友人が遠慮がちに声をかけた。


「あの……」

「ああ、もちろん。君と彼には礼がある。僕でよければ診よう」


 医者は荷物の中からいつくか道具を取り出すと、まず友人から診はじめた。
 そして少年の番になって、彼は一通り痣をみると「他には?」と聞いてくる。


「…………」


 少年は黙って、袖を捲り左腕を差し出した。


「! おい門守、お前……」


 友人が左手を凝視する。
 彼に顔の青疸を指摘されてすぐ、左腕に青い痣ができた。

 痣はすぐに広がり……手の平を、甲を、そして指のほとんどを染めている。
 村の全員にあるものだから別に隠す必要はなかったのだが、どうしてか――特に友人には知られたくなくて、隠していた。

 酷く、不気味に思うのだ、この痣が――。

 医者は少年の患部を診終え、口を開く……言うことはきっと、宿屋の主人に告げた内容と同じだろうに、どうしてか期待してしまう自分がいた。
 きっと、この痣を不気味に思う自分に自信が欲しいのだ。

 そう、いっそ、病(やまい)であると言われた方が、救われるぐらいに――。


「……僕は医者だが、君達のような症例はいままで診たことがない。
 だからこれから話すことは、あくまで僕個人の意見だ。真に受けることはないし、受け入れなくていい。いいね?
 ……この痣は、広い枠で捉えるなら病だろう。
 でも誰も身体の不調を訴えないあたり、きっと皮膚の表面――何かを癒そうと……あるいは攻撃しているのかもしれないね」

「癒す=A攻撃=c…?」

「誰にでもある基本的な治癒能力だよ。体内に悪いモノが入ってきたら攻撃して殺す、傷がついたら癒す。
 どちらかはわからないし、不明だが……しかし稀に、この治癒力が強く働き過ぎる人がいるということは知っている」

「……どういうことで?」

「過剰に身体が治療される、ということさ。過ぎた薬は毒となる。元々身体に備わった治癒能力とてそれは同じさ、君達は今、自分達で毒を作り、自分で自分を攻撃しているんだ。
 ……もちろん、死ぬ程度の毒じゃない。――ただ、皮膚が変色するぐらい行き過ぎている≠ニいうことは確かだ」

「…………」


 少年は医者の話しを黙って聞いていた。友人も、何かを考えているようだった。

 過剰治癒。


「…………では、では。これは病ではないのか」

「いや、厳密に言えば病だ。病って言うのはね、症状が重いかどうかじゃないんだ。君たちみたいに元気な人で病人だって言うこともある。
 それに、これは僕個人の意見だからそう真面目に捉えなくてもいいんだよ」


 医者はそう言うと、荷物の中から小さな丸状の木箱を差し出した。

 手の平にすっぱり納まるその箱を開けてみれば、丸薬が数個入っている。
 医者を見れば「それは漢方だよ、ようは薬だ。気休めにしかならないかもしれないけど、一様、ね……?」と、気まずそうに笑った。

 その笑みから、彼にはこれ以上対処のしようがないことがわかってしまった。


「……ありがとうございます、先生。――門守。おれ、そろそろ仕事に戻るわ……じゃあな」


 友人はそう言うと、静かに部屋を後にした。
 きっと彼は、話しを聞いたことを後悔したのだろう。

 少年は目だけで友人を見送り、そして居住まいを正すと友人同様医者に一礼する。


「感謝する」

「何もできなくてすまないね」

「いいや、少なくとも俺は満足した」

「……そうかい」


 その言葉を合図に少年は立ち上がり、部屋の出口へと向かう。
 部屋を出ようとしたとき――後ろからかけられた声に、足を止めた。


「君は、今幾つだい?」

「……十年と、二年……今年で三年目を迎えます」

「十三歳か……いや、気にしないでくれ。ありがとう」

「――こちらこそ、ありがとうございました」


 そう言って、今度こそ部屋を出る。

 少年は立ち止まらず歩き、呼び声がかかることも、もうなかった。





 あの日から三度目の満月が顔を出した。
 まだ蓄えを用意するには余裕があり、二カ月後あたりの狩りの為に道具を手入れしていたときである。

 鳴子が鳴り、門守を呼ぶ。

 肉の追加か。あるいは思わぬ頼み事か……既視感を覚えながら、少年は山を下る支度をするのだった。





 村に訪れた少年を待っていたのは肉の追加でもなく、頼み事でもなく――診察の御誘いだった。


「なんでも都から来たんだと」


 どこか興奮気味に語る友人は嬉しそうで……いつ、どこで噂が流れたのか。この村の症例を聞いた偉い連中が村に数人の医者を連れて視察に来たらしい。
 『らしい』というのは、村がある場所と山の入り口はそれなりに距離があり、ここからでは村の建物もあって全く見えないのだ。

 ――ただ、いつも長閑(のどか)な村が騒がしく、その音だけでいつもとは違うのだとわかった。


「俺は行かないよ」


 何故か――嫌な予感がしたのだ。

 誘いを断る少年を、友人は訝しげに見つめる。


「なんで?」

「医者にはもう診て貰った」

「あの医者か? ……あの医者はきっと似非だよ、おれたちを騙すつもりだったんだ」

「騙す医者が金も取らずに患者を診るか?」

「…………」

「ともかく、俺はいい。お前も気を付けた方がいいぞ……嫌な予感がするんだ」

「門守は、あの医者に診られて頭がおかしくなったんだ」

「なら俺はとうの昔から正気じゃないさ。……いいか、その医者の診察は受けるな。絶対だ」

「……――」

「……誘ってくれて、ありがとな」


 じゃあな――そう言って少年は、山の中へと戻って行く。

 背中に感じる友人の視線には、気付かない振りをしながら――。




続く
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