他ノ噺

□生い風
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生い風



 広野に伸びる一本道を歩く若者。
 背には大きな木箱――身の丈と比べると重そうに感じられるそれは、実際に重いのか笠から覗く頬には汗が流れた痕がついていた。

 俯きがちな顔を上げ、笠を指で持ち上げると先には小さな建物が見える――町だ。

 ようやく目的地が見えてきて、若者はホッと息を吐いた。





 お飾り程度に建てられた竹柵は膝程度しかなく、それを越えると静穏な町の風景が広がっていた。

 まずは宿かな――仕事≠したいのはやまやまだが、久々の長旅に足が疲弊している。とにかく今は休みたい。
 だるさを感じる脚を一度叩き、若者は歩き出す。
 途中、畑からの帰り道なのか鍬を持った人たちと行き違い。彼らは外から来る人間が珍しいのかチラチラ見とてくるが、声をかけてくることはなかった。

 しかし歩きながら建物を見渡しても宿らしいものは見当たらず、しかたなく道行く町人に声をかける。


「――すみません。旅の者なのですが、この辺りに宿屋はありませんか」

「ん? ああ、宿屋? あるよ。ほら、あの小川の向こう側の……って、ここからじゃ見えねぇか」

「え、ええ……小川の向こうですね?」

「ああ、このまま道を真っ直ぐ行って、右の道を進むと見える筈だよ」

「ありがとうごさいます」

「いいっていいって、何にもない町だけど、ゆっくりしていってくれや」

「はい」


 呼び止めた中年くらいの男性は嫌な顔を一つせずに宿への道を教えてくれた。

 気さくで、良い雰囲気の町だな――そんなことを思いながら歩きだした若者の後ろからかかる声……振り返れば、先ほどの男性が言いにくそうな顔で――


「宿屋はそこしかねぇし、こんなこと言うのもあれなんだが…………あー、……なんでもねぇ! 忘れてくれや」


 結局はなにも言わず、男性はそれっきり若者を振りかえることなく歩きだして行ってしまう。

 逆に若者は、先ほどの男性の言い淀みに「まさかこれから止まる所は、所謂『曰くつき』の宿なのか……」と心配になった。
 だが疑問に答えてくれる者はもうおらず、若者はしかたなく顔を青くさせながらも先を進む。

 男性は『右の道を――』と言っていたが、足を進める毎に建ち並んでいた家はまばらになり、広く開いた空間から会話にあった『小川』が遠くに見えた。
 その川を目指して若者は歩く。川にはそれ相応の木の橋があり、小川の風景をいっそ引き立てている。
 しばらくその景色を眺めていた若者は「よし」と呟くと、止めていた足を動かした。

 突如として吹いた風は水面を揺らし、若者を包む。

 宿屋まであと、もうちょっと。





 赤い屋根がよく似合う建物は『宿屋』だけあって他の建物よりも大きかった。きっと、この町の建物の中では大きな分類に入るのだろう。

 そんなことを考えながら、若者はドアノブに手をかける。


「――ごめんくださーい……」


 開けた扉から光が差し込み嬉々として光の線を伸ばすが、対して宿の中は薄暗い。

 男性から聞いた話では、ここは宿屋の筈……もしかしなくても、今日は休業なのだろうか――人気のない宿に若者がだんだん不安になっていると、帳場の奥にある扉からわずかに音が聞こえた。
 音は段々と大きくなると扉の前で止まり、木製の扉を軋ませる。


「……やっぱり、お客さんでしたか。――すいません、待たせてしまって」

「あ、いえいえ……その……今日はお休みでは、ないですよね……?」


 奥から出てきたのは青年で、彼は「すいません、暗いですよね……少々お待ち下さい。今明かりをつけますので――」と言うと、また奥に戻って行ってしまう。

 若者は帳場へと移動し、扉の向こうに疑問を投げかけた。


「よっ、と……はい、営業していますよ。ただ今は宿主が留守にしておりまして、僕が店番をしていますが」


 青年は扉の向こうからハシゴを持って現れ、若者の疑問に答えた。そして再度、「少々お待ち下さい」と若者に告げると慣れた様子でハシゴを上り、ホールの中央に設置されたペンダントライトに火を点け始める。

 若者は青年に言われた通り、マッチの擦れる音を聞きながら作業が終わるのを待った。





 すっかり明るくなった空間は、最初の光景が嘘のように華やいでいる。


「……この町は見ての通り、あまり外から人が来ることがありませんので、それに連なり宿屋も気が緩み、現在この様な営業状況に……見苦しい所をお見せしてしまい申し訳ありませんでした」

「いえ……気楽にくつろげる空間みたいで、わたしは良いと思いますよ?」

「……そう言って頂けると助かります」


 帳面を開いた手をそのままに青年は苦笑を零す。
 口でこそ謝罪の言葉を述べるものの、若者の言う通りこの空間に満更でもないのか。さして重要視していないあたり宿屋はきっとこの先も変わりはしないだろう。

 青年は広げた帳面とペンを若者へと差し出す。


「ここにお名前とご職業と……差し支えなければ旅の目的を教えて下さい」

「――……はい。これで大丈夫ですか?」

「【旋風】? さん……?」

「『旋風(せんぷう)』と読みます。紅売りです」

「失礼しました。紅売り……では、目的は商売で?」

「ええ」


 宿代を受け取りながら青年は「これは町の女性陣が喜びそうですね」と笑った。


「化粧の類いの品は珍しいのですか?」

「化粧する時間とお金があったら仕事や他のことに使いたがる連中は多いですよ……なんせ、こんな田舎ですし……西の外れでは中央都市からの品も望めません。この町はほぼ自給自足の生活を送っています。だから、紅を作る暇も、塗る暇もないんですよ」

「そうなんですか……」


 相槌を打つ旋風を、青年は可笑しな者を見る目で見てくる。
 失笑する青年に旋風は理由を聞こうとするが、旋風が口を開く前に――


「そんな人事みたいに……っ、貴方だってあの、何にもない原っぱを歩いて来たでしょう?
 見たところ連れも馬も見当たらないし……馬に乗っても一週間かかる道のりを歩いてこの町に来た人なんてそうそういませんよ……ふふっ」


 堪え切れなくなったのか、ついには腹を抱えて笑いだす青年に、最初はポカンとしていた旋風。

 しばらくして我に返ると旋風は、今だ笑い続ける青年に慌てて言った。


「そ、そんなに笑わなくても……わたしは、その……行商人ですし、普段から歩き慣れていますので……あ、でも、今回の旅はキツかったと言えば、キツかったですね……」

 言いながら旋風は先ほどの、町中で自分を見る視線の数々を思いだした。

 彼らは旋風を見て、珍しい者を見るような――驚いた目で、見ていなかったか……?


(うかつだった……)


 この町でこの手の話しを聞かれたら誤魔化さなければ……一週間。

 旋風の前で笑う青年……彼は旋風が一週間とは言わず『四日』で来たとは思いもしないだろう。


「――ああ、こんなに笑ったのは久々ですよ……鍵はこちらになります。犯罪とは無縁の町ですが、念のため戸締りにはお気をつけ下さい」

「……はい」

「何かございましたら宿主と……失礼。そういえばまだ名乗っていませんでしたね。ここで働いております、【留(とめ)】です。――に、お申し付け下さい」

「わかりました」


 青年――留は「どうぞ、ごゆるりと――」と言って扉の奥へと戻って行く。

 男性の名前にしては意外なモノに首を傾げながらも、旋風は宛がわれた自室へと急いだ。


 今はとにかく、早く休みたかった。




続く
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