他ノ噺
□寛大故に
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寛大故に
私には兄がいる。
頭が良く優しい兄は私の自慢であり、おまけに顔も良い兄は私の憧れだった。
だから、顔も良く賢い兄に浮いた話がないのが不思議だった。不思議でたまらなかった。
まぁ、その疑問は私が小学五年生のときに判明するのだけれど――
「【風(かぜ)】、今まで黙っててごめんね。私、実は同性愛者なんだ」
衝撃的過ぎる実兄からの告白に、時が止まったのかと思った。
実際には時なんて止まってはなく、兄は拒絶される恐怖に怯えながらもどこか期待を込めた瞳でこちらを見ていた。
その目に、私はスッ――と冷静になる。
そもそも、兄が暴露を――暴露せざる負えない状況にしたのは私の責任と言えよう。
私はそのとき属に言う「反抗期」とやらで、やたら秀でている兄に敗北感を覚え苛立ち、幼稚な癇癪を起していたのだ。
そんな兄の弱点。あるいは弱みを握ろうと、兄の留守を狙って入った兄の部屋――そのベットの下で見つけた、あきらかに男である兄が読むものではない筈の本があり絶句した。
そして、時の神様の悪戯により早めに帰って来た兄に、驚きから動けなかった私は隠れることも忘れて見つかる。
だから、けして兄に非はなく、むしろ非があるのは私の方なのだ。
「【そよ】兄(にい)、そんな顔しないでよ。わたしは別にそよ兄が……同性愛者……? でも平気だよ? それから、勝手に部屋に入ってごめんなさい」
幼いながらに兄の感情を悟り、その言葉をかけた当時の私は神か仏かと自画自賛するほど気のきいた子供であっただろう。
途端、兄は先ほどのまでの表情を消すと「じゃあ、もう兄さん隠さなくていいよね? 今日からオープンでもいいよね? あと、部屋に勝手に入ったことはこの際、水に流すよ」と、頭にウジが湧いたのかと思わせる発言をしたのだが、幼い私は兄を悲しませたくなくて何度も首を縦に振った。
あのとき、兄を否定していたら、なにか変わっていただろうか……?
誤解しないで欲しい。兄自身≠否定したい訳ではない。
ただ、『同性愛者』という。社会的に障害と判断される病気(?)をただ受け入れ放置する、という私の選択は正しかったのだろうか。
つまりは、あのとき問題を後回して、本当に良かったのだろうか。そういうことである。
あのとき、きちんと兄弟で話し合っていればこんなことには――少なくとも今≠フ事態は避けられていたのではないだろうか。
さっきから「あのとき」、「あのとき」とうるさくて申し訳ないとは思うが、そう思わずにはいられない状況に、今、私は置かれている。
「お前、ちょっと男子高校に行って来い。あ、ちなみに学園≠ネ」
いきなり人のことを呼びだしたかと思えば、急におかしな発言をする目の前――いかにも社長が座りそうなデスクに腰かけている男の名前は【荒野 嵐羽(あらの らんば)】、蜃気楼のように掴めない謎の財団の御曹司であり、だいぶ前に世襲した事実《荒野財団》のトップである。
何故この男が私の連絡先、かつ私と繋がりがあるのかと問われれば、それはこの男の伴侶が私の兄であるからだ。
この男も同性愛者だった。
私の身内にはこの類いの人種が集まる呪いでもかけられているのだろうか?
兄は己の趣向を暴露し、その二年後にこの男を紹介してきた。
彼等は私が知らなかっただけで、紹介される二年前には既に付き合っていたらしい。
なんでも嵐羽の方が兄に一目ぼれしたとかで、その後の猛烈なアプローチに兄は興味を示し彼との交際に――と、聞きたくもない馴れ初めを聞かされたときは「これは新手の拷問か?」と、自分の頭は狂っていないと自己暗示するのに必死だった。
惚気話は犬も食わないというのはこのことかと思った瞬間でもある、そもそも話の内容が中学一年生には重過ぎるのだ。
その後、本格的に一緒になることを決めた二人は、主に嵐羽が権力を揮い。兄は【安道 そよ(あんどう そよ)】から【荒野】の姓に変えた。
ちなみに私は全力で否定した為に、戸籍上嵐羽は私の『義兄』(それはつまり奴と『家族』であるということを意味する)になるが、兄が後世に己の姓を残す気がないなら、せめて私が安道の名を残す為に私の姓は未だに変わらず、私は【安道 風】のままである。
「おい、聞いてんのか? 風」
「聞いている」
馴れ馴れしくも名を呼び捨てにする嵐羽に返事を返せば、彼はそのジャラジャラと鬱陶しいシルバーアクセサリーの様に話し始めた。
その話をまとめるに、かの有名な《幸総(こうそう)医科大学総合病院》の院長――その『クローン』が男子高校《照玖札(てるくさつ)学園》に通うという情報を手に入れたため、私にその学園に行きクローンの監視、観察し、そして記録、報告せよ。とのことらしい。
標的のクローンの名は【幸総院 真(こうそういん まこと)】、現在十五歳、ちなみに現院長の名は【幸総院 誠】というらしい。どうでもいい。
「ふざけるなよ、嵐羽。いくら家族とて、お前に私の進路を決める権利は無い。例えお前が財団のトップでもだ」
「不可能を可能にするのが俺だ。風、俺とそよの為だ。《照玖札学園》に入学してもらう、これは絶対だ」
「私には、ついに己の人生を決める権利すらない、と?」
「じゃあ、逆に聞くが。風よ、お前はどこか行きたい学校があるのか?」
「…………」
「ほら見ろ、どうせ流されるお前のことだ。今の中学の友人(笑)と同じ学校にでも行けば良いと考えていたんだろう?」
「そうはさせるか」、嵐羽はおかしそうに笑った。
「そよが俺に相談してきた。いつまでも流され続ける風の将来が心配、とな。
そこで俺は閃いた。最近入ってきた情報、その調査を名目に甘ったれた金持ちのお坊ちゃまが通うことで有名な《照玖札学園》にお前を入学させれば、俺とそよの未来にも繋がるし、お前の履歴表にも社会的に強力な名前を刻むことができる。
どうだ? なかなか素晴らしい考えだろう?」
「ああ、実に利己的で己の欲望に忠実な愚かな考えだ」
「どういたしまして」
「褒めていない」
間を作らずにバッサリと嵐羽の発言を切り捨てれば、彼は懇願するように(とてもそうとは見えないふざけた態度で)「頼むよ、俺とそよの未来の為だ」と、ここまでで何度か聞いた台詞を言ってきた。
一体なんのことだと疑問を持って見つめれば、嵐羽は嬉々として小難しい内容を話しだす。
ざっくりまとめると「俺とそよの子供を作るんだ(爆)」である。
果てしなくどうでもいい。
そしてそんな理由で彼の言う「甘ったれた金持ちのお坊ちゃまが通うことで有名」な学校に通わされることになるのかと思うと、とたんに目頭が熱くなった。
「なんだ、風。嬉し泣きか?」
「いっそ朽ち果てろ」
これ以上は話しにならないだろう。私の事情など関係無しに嵐羽の一存で自身が行く高校は決まってしまった。
今日最大の呪いの言葉を吐いて、私は部屋を出る。
後ろから聞こえてくる愉快そうな笑い声が不愉快だった。
あの男は兄の相方としてはどこか腑に落ちなくて気に入らないが、別に兄、強いては同性愛を否定してはいない。それに対して嫌悪の念は湧いてはいない、かといって好ましい感情も湧いてはいないが。
兄が幸せなら、それはそれでいいと思っている自分がいる。
ただの一方で自分達の都合でこちらを巻き込むなと言いたくなるが、特に嵐羽は酷い。
彼は私の流される性格を――下手すれば兄よりよく知っているため、なにかと理由をつけては利用しようとするのだ。
今回もその枠に入ろう。彼が私をパシリの如く使う頻度は多い。
……まぁ、従ってしまう自分も自分なのだが。
まだ見ぬ学園、それからクローンの人物について模索しながらこれからのこと、嫌な未来に、私は疲労感からため息を吐かずにはいられなかった。
終わり