他ノ噺
□体求現実
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体求現実
《イナジマ・B・グリム》――その男は吸血鬼だった。非凡なりに血を求める健全な吸血鬼だ。
男は自分が吸血だと言う事をもちろん知っていた。男の先祖に吸血鬼がいたからである。しかし長年の月日により薄れて来た血により母は吸血鬼の特徴を持たずして生まれ、母は人間と変わらない生を謳歌し、そして父と出会った。
だが二人の間に生まれた子供は吸血鬼だった。所謂『先祖返り』と呼ぶものである。
両親は『人間』で、見習うべき『先祖』は所詮先祖、手本が既に他界していた男に『吸血鬼』がどう在るべきなのかを示してくれる者は誰もいなかった。
そうして自然と男は『人間』を手本とし、吸血鬼であるはずなのに人間臭くなった半端者は、同じ吸血鬼の友人に偶然¥o会うまで『人の首から直接血を飲む』という行為自体知らなかったのだ。
それは男の無知というより、彼の両親がそう仕向けたことであるが――始めてその事実を知った時、男の友人は驚いたように笑い。そして吐き捨てるように見下した。
その時、男は自分がどれだけ異質な存在であるかを気付かされたのである。
ここで話は変わるが、吸血鬼と言えば特殊な能力を持っていることでも有名だ。
人の記憶を消したり――媚薬効果をもたらしたり――姿を変えたり――しかし『飼いならされ』、『野生』を忘れた男はそれらの能力を扱えなかった。正しくは、『自分の意思で自由自在に扱えなかった』であるが。
種族の血を己の力に出来なかった。
それらは人間の子供が幼いころから学業をさせると物覚えが良いように――吸血鬼の本能も幼いうちから根付かせるものなのだ。
男が幼い頃から両親がそうしてきたように、輸血された血を小分けにした容器から摂る日々……それが嫌だった訳じゃない。嫌だったのは、人間か吸血鬼かを選べない自分自身だった。
人間の悪いところを知り、吸血鬼の悪いところを知った男は両方の良さ≠ノ憧れ――結果、どちらかなど選べるはずもなく、その都度その都度――都合が良い理由を選ぶのだ。
そうする事でどちらにも居場所を求めようとした。両方の特性が理解できるのだと優越感を抱くのと同時に、人間にも吸血鬼にも距離を感じていた。
男は、まるで自分がこの世に存在していないような……存在してはいけないような錯覚さえ起こしていたのだ。
そんな時――高校で男はある女性と出会う。出会うといっても一方的だった。
またそれが間抜けな話で、いくら指定ジャージが男女同じとはいえ、ジャージを着た彼女を男友達と間違えて声をかけてしまったのがきっかけだった。今思い返してもあれはないなと思う。
常に疎外感を抱いていた男は、まさか自分が一目惚れ≠ニいうベタな展開を起こしていることも知らず、無意識に彼女を探し視界に映す回数だけ男の恋心は育ち続けた。
同じ頃だった――吸血鬼の友人が男を狩り≠ノ誘ったのは、何かと卑下しながらも面倒見がよい友人は、全く吸血鬼らしくない男に見ていられなくなったのだろう。友人は幼い頃に男が出会えなかった指導者の役を買って出てくれたのだ。
友人が狩り場≠ノ選んだ場所は、ネオンの光が眩しい喧騒な歓楽街であった。
『こういう場所』は酔っ払いが多く、更に死角になるような裏路地が多い為狩り≠ェしやすいのだと、友人は慣れた様子で語る。
確かに、友人の言う通りだった。男を路地裏で待たせ、友人は手本として素早く身を翻すと、あっという間に戻って来る。二人の女を軽々と両肩に担いで戻って来たその小気味好い一連の動作に、男は感嘆の息を吐いた。
女二人を地面に下ろす友人に、ここに居る女二人もそうだが人に正体がバレてしまった時の事を考えて、男は急に不安になり「大丈夫か」と聞いた。
男の言葉に友人は「意識はないから、記憶を消すまでもない。そうビクビクするな」と呆れた声音で返す。
友人は二人の内一人を抱き起すと、噛む場所やその時に押さえておく点、吸える血の量の目安、例え相手に意識があったとしても、噛むと毒蛇の様に歯の裏から麻酔兼媚薬効果のある毒が出るのだという事など、今まで知りえなかった吸血鬼としての姿を男に教えてくれた。
友人は見本を男に見せた後、次はお前の番だと倒れている女を指差す。驚く男に友人は「何の為に二人捕まえたんだよ」と笑う。
たしかにそうだと苦笑いし男は、まるで怪我人や病人を助け起こす様に女を優しく抱き起す。それを見た友人は眉を寄せたが、『始めての吸血』に自分の事で精一杯だった男はその視線にも、己の無意識の行動にも気付く事はなかった。
ショートヘアであるにも関わらず髪の量が多く、仮面の様に顔を覆っていた黒髪が重力に従い女の頬を撫でて下に流れる。
露わになった顔を見て、男は息を飲んだ。同時に夜目が効く吸血鬼の特性に感謝し、そして恨んだ。
気付かなければ、自分は惚れた女を傷付けてしまう所だった。
気付かなければ、何も知らずに存在を確定することができ、名誉を挽回できたのに。
二つの想いが男の胸を駆けまわり、せめぎ合う。
血の気が引いた顔を青白くさせながらも気持ちは高揚し、彼女を支える手が震えた。
彼女に触れられることへの喜びが熱となって表れる。なのに、どうしてこんなに体は震え、寒いのだろうか。
「? どうした。早くやれよ」
友人の声がとても遠くにあった。
裏路地は暗く、目隠しの役割を果たしている。
換気扇から香ばしい匂いが運ばれてくる。
ネオンの光は頼り気なく夜の街を照らしている。
歓楽街の喧騒がこれから行う悪徳を許しているように思えた。
けれども男は、自分は、この人の血を飲めない。飲みたくない。
「……悪ぃ――」
吸血鬼の本能を誇りとするならば、
その捕食対象の人間性を己は尊重しよう。
男は彼女に恋している。
自分は彼女に恋していた。
「やっぱ、飲めねぇや」
彼女に見られても恥ずかしくない仁徳を持った人格となろう。
彼女を抱き起したまま立ち上がる男に、友人は一瞬、何を言われたのかわからないような顔をして、だが直ぐに面を怒りの表情に塗り替えた。
「――半端者が」
まるで始めて出会った時の様に、冷たい声で吐き捨てた友人は、そのまま裏路地の闇に溶けるように姿を消してしまう。――それは、彼が生粋の吸血鬼であることの証だった。
「そうだな」
男の掠れた肯定の言葉が友人に届く事はなかった。
恋心を自覚しても、男の振る舞いは以前と変わりはしなかった。
変わった事と言えば、唯一の吸血鬼の友人と会わなくなったことと、常に感じていた人間との隔たりが薄く感じられるようになったことだ。
その分、吸血鬼との間には大きな溝が出来た気がする。現に、どこへでも現れることが出来る筈の友人に会わなくなった。
以前は偶然≠ノも町中で出会うことが幾度と会ったが、それは男の勘違いだった。
鬱陶しげに顔を歪めながらも、嫌そうに言葉を返しながらも、友人は――彼は、男を気にかけてくれていたのだ。彼はわざと男と偶然≠装い会ってくれていた。男と話す機会を作ってくれていたのだ。
それに今更ながらに気が付き、どんなに後悔しても、男が友人を、たった一人の理解者を失った事実を覆すことはできなかった。
選択を誤ったなどと思ったことはない。そしてこれからもないだろう。けれども、後悔していることもまた、濁せない事実なのだ。
どうしようもなく寂しいと感じるのは、現状になんの進展もないからであろう。
男の振る舞いは以前と変わりない。つまりは彼女≠ノ告白もしていなければアプローチすらもしていない。ということである。男は、唯の『クラスメイト』の立場を甘んじて受け入れていた。
嘘である。満足などしていない。
本音を言うなら彼女の隣に立ちたい。ただ、それを手に入れるのに、どうしても躊躇してしまうのだ。
男は吸血鬼で、『あの日』の出来事から正体を知られた訳でもないのに彼女に恐怖を感じてしまう。正しくは、今後『彼女に自分の正体を知られる』のが怖かった。
仮に男が告白し、良い返事が貰えたとしても、恋人として付き合うからには、いつか必ず明かさなければならない時が来る。
隠し通すにしても、定期的に血を摂取しなければならない男にそれは難しかった。
そう、彼女と付き合うことが大前提であるが、男は出来るならその先を望んでいた。
自分の母親がそうであったように、温かい家庭を持ってみたい。
母親を、両親を恨んではいない。けれども吸血鬼の基本すら教えてくれなかったことに、時々ちいさな怒りを覚える。
望むのは、それをも受け入れてくれる未来だ。
しかし想いは告げられないまま男は高校を卒業し、彼女は大学へ進学した。
さて、恋の行方は何処へ?
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