他ノ噺
□まめぎつね
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まめぎつね
枯葉が積もる小春日和。
私は縁側に腰を落ち着けて日光浴を堪能していた。
たいして忙しい日々を過ごしてはいないが、こんな日は特別ゆっくりしたいと思う。白い太陽に、人肌を思わせる風が優しく体を撫でる。けして強い風ではない。しかし、それでも徐々に動いて行く枯葉を見ると季節の循環を感じずにはいられない。
枯葉はやがて風化し土と混ざり土は新しい命を芽吹かす。今から薄紅の五弁が舞う景色が想像できる。今の季節を楽しむのも良いが、未来の季節を想像するのもまた楽しみである。今年もあの老木は立派に花を咲かせてくれるだろうか。
そう思うとまだ桜の季節には早いが気になってしまい。無駄と分かっていても私の足は自然と、やや駆け足で一本の桜の木の下へと向かった。
その桜の木は私の家には無い。水路に沿って進み、お粗末な竹柵を通りぬけ、雑木林が生い茂る小さな丘にその桜の木はある。
凛と立ち生きる一本の桜はどこか神々しさえ感じるが、それでいて儚げだ。
実際この木は弱弱しかった。桜の木は元来脆く、少しでも枝を持つ手に力を加えれば簡単に折れてしまう。
それもあるが、それ以外にもこの桜は木の幹に所々傷がついているし、枝が何本も折れている痕がある。割れた枝先から裂けて覗く傷口が痛々しい。
去年は咲いた桜の木。満開の花弁は元気よく咲き乱れた。まるで傷を隠す様にたくさん……だからこそ、春以外の季節で見る姿がいっそ脆く見えるのだ。
陽の光が程良い温かさを与えてくれる。それでいて空気は冴えわたっているものだから周りの音が良く聞こえた。風により葉と葉が擦れる音、小鳥の囀り、私の胸の鼓動。その中でも特別聞きづらい音があった。
それはとてもか弱い鳴き声で、小さく鳴いては間を開けて、また小さく鳴く。その繰り返し。
その鳴き声が気になって、私はよぉく耳を澄ませて声の主を辿った。だがその必要はあまりなかったかもしれない。何故なら声の主は桜の木のすぐ後ろにいたのだから、木の根元でぐったりとしているそれは獣――狐であった。
それも小さい狐だ。豆みたいに小さい。鳩と良い勝負、それぐらい小さい。それが苦しそうにふうふう息を荒くしている。今にも死んでしまうそうだ。
――なんてか弱い。
私はすぐさまその子狐を抱えて我が家へと走った。
それから私はその子狐の面倒を五日間見た。
始めは痛々しい子狐は看病が功を成したのか四日目には歩けるようになり、今では元気に走り回れるぐらいまで回復した。
最初の内はそうしていたのだが、また冬に逆戻りした天気に参ったのか今は鞠のように丸くなって寝ている。またこれの毛色が白く雪みたいなので、ぼた雪がえらく大きくなった様にも見える。触ったら溶けてしまいそうだが、実際触ってみると溶けないどころかぬくい。子狐は、この冬には丁度良い暖の友となっていた。
子狐のお陰で今年の冬は暖かく過ごせた。
やがて季節は生温かい風を運んでくるようになり、庭先には花の蕾が膨らみ始め、枯れ木だった枝にも徐々に緑が戻り始める。
そんな時である。ふと、庭先を見た私の目にたくさんの白いモノが映ったのは……私はぎょっとして、持っていた湯飲みを床に落としてしまった。その音を聞いた子狐は丸まっていた状態から顔を上げると、いつもは黒い大きな瞳をゴマ粒の様に小さくしていかにも「眠たげ」な顔で私を見上げている。
私の目には、私のすぐ傍でその眠そうにしている子狐に似た……いや同じ子狐が十匹以上の群れで佇んでおり、みんなそろって私を凝視している……そんな姿が映っていた。
黒く大きな眼は春の日差しを反射させキラキラと輝いている。それを見ていると妙な罪悪感に襲われる胸を無意識に抑えて、私は傍らで寝ている子狐を起こしにかかった。狐のことなら狐に任せろと、私の中で誰かがそう言ったのである。
やっとこさ起きた子狐は狐の群れを目にすると、嬉しそうにかれらの下に駆け寄って行った。体を擦り合う姿は愛らしいものであったが、私は何故かれらがここに来たのか理由が分かってしまい。胸にすっと冷たい――冬の日に吹く様な風が吹いた。
一通り再開の交流が終わると、子狐は私を振り返った。やはり、行ってしまうようだ。
私は何も言わず手を振った。それを見て、子狐も尾を振り返す。自身の身の丈よりも大きく太いふさふさの尻尾が左右に揺れる。
冬が開けてしまった。けれど春が来て夏が過ぎ秋を越えると、また冬が来る。冬はきっと寒い。去年と同じ様な寒い冬になるのだろうか。
想像して、私は身震いをした。そして去り際の子狐に向かって「今年の冬はお前のお陰で温かく過ごせたよ。お前さえ良かったら、また冬に来て欲しい」と言った。子狐は鳴いて何処かへ帰って行ってしまった。
桜が散り、蝉が死に、葉が落ちて、冬が来る。
――の前に、あの子狐が来た。約束通り、暖をくれに来たのである。
これから毎年、冬の季節は暖かくなりそうだ。
終わり