他ノ噺

□盲目真実
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盲目真実



 自分が時々わからなくなるのだと彼は言う。


 「自分がわからなくなる?」と私はオウム返しに言った。私の返答に「そうだ」と彼も頷く。

 私は彼の言葉に言葉を返してみたものの、実はその意味を理解してはいなかった。


 彼は一体、何を言っているのだろうか?


 それが話を聞いて思った率直な感想である。私は彼の親友であり、彼も私のことを親友とまではいかなくとも、少なくとも友人関係ぐらいには留めてくれているだろう。私と彼はそんな仲であった。

 つまり私達はお互いの事を何一つ知らない。という仲ではないのである。全てを知り尽くしているという仲でもないが、何も知らないということはない。
 なので、私は今、目の前の彼に違和感を覚えている。

 明確な理由はない。ただ漠然と疑問に思うのだ。例えば声が少し低かったりすれば機嫌が悪いときであるし、声が掠れていたら風邪を拗らせたときであり、元気が無ければ落ち込んでいる。私が彼に抱いている違和感というものはそれらに近く、そして遠い。良い事ではない、悪い事である。彼は今、彼にとって良くない事に悩まされているのかもしれない。

 しかし、私は彼の不具合を言い当てられず、また彼の言っていることもわかっていなかった。


 なんとなく、私が知っている筈の彼が彼でないように思ってしまう。

 一度そう≠ニ思ってしまうと疑念は感情の底から浮かび上がり不安となって私を襲うので、考えすぎだと思う私の抵抗も意味をなさず疑惑はより深くなり、私は彼に疑いの眼差しを向ける。

 不思議そうにする彼にとうとう我慢が出来なくなり、私は「貴方は誰なんですか?」と震える声のまま聞いた。すると彼であるはずの彼は驚いたように体を揺らし、同時に椅子も軋み不快な音をたてた。


「……どうして分かったんだい?」


 彼は予想外のことの様に、心底不思議そうに尋ねてくる。

 「なんとなくですよ」私は答える。私は彼の親友だ。彼がそう思っていなくとも、彼が私を必要としていなくとも、私はそう思っているし、私には彼が必要である。

 私は彼を必要としている。彼に嫌われることに憶病になり常に彼の雰囲気を察しようとするからこそ、私は彼が彼でないことに気付いたのだ。

 それを聞いて、目の前の彼は「なるほど」と呟いた。


「いや参ったよ。白状しよう。僕は君の待ち人の兄だ。兄と言っても、僕と彼は腹違いの兄弟でね。まぁ僕にとっては実の弟と変わらないほど愛しい大切な弟なのさ、その弟から君の話を良く聞くものだからジェラシーが湧いちゃ……あ、いや違うよ? 興味が湧いちゃって、君が待ち合わせの三十分前には来ていることも把握しているから、僕はその三十分で君とお喋りをしようと思って来たんだ」


 彼の話に私は「へぇ、そうなんですか」といかにも興味が無い様に返事をした。しかし実際はその逆で、私は彼に興味津津である。


 これまで一度も彼から自分に兄がいると言う話は聞いたこともなかった。彼の兄は兄で、弟さんのことが大好きらしい。その愛がありありと伝わってきた。

 私はなるべく余裕のある笑みを見せようと努めたが、しかし彼の兄から見て私が余裕ぶった笑みがちゃんと出来ているかどうかは怪しかった。口が引きつっているのが自分でもわかる。


「さて、僕は君のことを話には聞いていたが、今日ぼくが来たのは君が僕の弟に相応しい女性であるかどうかをこの目で確かめる為に来た」


 人が悪い笑みを浮かべる彼に私は首を傾げた。


「私と彼はあくまで友人関係です。いくら弟が可愛いと言っても、恋人関係に口を出すならともかく、友人関係にまで口を出す兄なんて……嫌われますよ?」


 私の言葉に彼は「覚悟の上さ」と言った。彼は笑っていたが、声音は堅かった。やはり覚悟の上とはいっても可愛い可愛い弟≠ノ嫌われるのは兄として堪えるのだろう。


「僕としても君達の関係が君の言う通り友人に留まるのなら、今までと同じ様に弟の話に相槌を打っているだけだったさ。ところがそうではなくなろうとしている。友人ではなくなろうとしている関係に兄として口を出すのは同然のことだよ」


 兄として≠フ部分を強調して彼は言った。

 何か引っかかる物言いに、私は首を傾げながら「…………? ですから、私と彼は――」しかし、私が全てを言い終える前に彼は可笑しそうに「君は鋭いんだか鈍いんだかわからないなぁ。まぁ弟が密かに計画していた事なんて君が知らなくて当然だろうけど、こういうのはサプライズと言うのかな? とにかく、弟はあるサプライズを君には内緒で計画していた。そしてそれを相談された僕としては、是非ともそれをぶち壊したくてねぇ」そこで一度区切りると、彼はそわそわと落ち着きない様子で咳き込んだ。


「ククク……弟は、今日君に告白するつもりなんだぜ?」


 荒い呼吸を落ち着かせて直ぐ、やや早口で告げられた言葉に、私の耳は暫くの間機能しなくなった。


(彼が、私に――告白?)


 無音の世界で暫し考える。彼の言葉を反芻する。


「……なんの――なんの冗談ですか。私をからかって楽しいですか! 私が可哀そうな女だと見下して、そうやって遊んでいるんでしょう?!」


 自分の声に怒気が含まれているのを自覚した。しかし落ち着こうとは思わない。やめてなんかやらない。


 この人は今まで出会った人達を同じ様に、私を哀れみ面白がって意地悪をしているのだ。私はそんな人間が許せなかった。最低な人間だと認識している敵に私は屈する訳には行かない。私はそうやって生きて来たのだ。

 私の怒りに「いやいや――そうじゃない。落ち着いてくれ、僕は君に冗談を言いに来た訳でもからかいに来た訳でもないから、頼むから泣かないでくれ」ぼやけている視界がより一層歪んでいることに気付いた時、彼は先ほどまでのふざけた態度と違い。やわらかい口調で私の手を撫でる。その手つきは彼≠ノ良く似ていた。


「確かに僕は君を良く思っていない。僕から見れば、君は弟にとって荷物にしかならない。弟の為を思うなら、君は告白を断って身を引くべきだし、僕は嫌われるのを承知で君を諦めさせようと思っていた。……けれど、その必要はなかったね。君は僕の想像以上に想ってくれていた。それが分かった時点で、もういい。だから君はこの後告げられる告白に、必ずはい≠ニ応えてくれ」


 どこまでも自分勝手な弟思いの兄の言葉に、私はシニカルに笑って見せる。


「……そこまで言うなら、いいでしょう。こうなったらとことん迷惑をかけて面倒を見て貰います。私は――彼なしでは生きていけませんから」


 私の返事に彼はくすくすと笑う。


「それを聞いて安心したよ。ようやく、残りの人生を共に過ごしたいと想える人に出会えたんだからね。……おっと、もうこんな時間だ。じゃあね、僕はもう行かなくてはならない」


 彼の足音が遠ざかるのを、ただ黙って聞いていた。


 私は動かず、じっと待った。彼の足音が聞こえなくなって暫く経った後、同じ方向から慌ただしい足音がこちらに向かってくる。


「いや――ごめん。待った?」


 待ち人が漸く現れた。


 彼はわざとらしく謝ってくる。荒い呼吸、きっと急いで走って来たのだろう。

 何も言わない私に、彼は申し訳なさそうに「ごめん」と繰り返す。


「ううん――私も今、来たところなの」


 私は嘘を吐いた。彼は笑った。嬉しそうに笑む声に、私は落ち着かない心臓に酸素を与えるため深呼吸をする。


「――というのは嘘で、さっき貴方のお兄さんが来たのよ」


 そう告げると、彼の笑い声はとたんに消え「……ええ?! 嘘だろ! おいっ、アイツに何か変な事言われなかったか! むしろセクハラされなかったか?!」想像していたよりも大きな驚き様、予想外な発言が帰って来た。


「本当よ。大丈夫、なにもされてないわ――言われはしたけれど、ね」


 そう答えると、彼が焦っているのがわかった。


「じゃ、じゃあもしかして……今日、その……」

「ええ――ご親切に全部教えてくれた」


 今度は私が笑う番だった。どんよりと気落ちしている彼には悪いが、散々笑われたのだ。その分同じ様に笑わないと私の気が済まない。


「えっ、えー……ちぇ――じゃあしょうがないか。あのクソ兄貴め、覚えてろよ。…………それにしても、よく俺と間違えなかったな。アイツ、俺と顔は似てないけど声は昔っからそっくりだって言われるんだよ」


 私は彼に少し意地悪をしたくなる。


「あら、間違えた方が良かった?」

「まさか! 止まれてくれよっ」

「……本当に、良く似ていたわ。まるで同一人物みたいに、一人二役演じていたって言われたら、信じちゃうかも」


 彼は私の言葉に、静かに「君は音だけが頼りだからね」と優しく言った。私を傷付けないように、気を使っての言葉だった。


「……で? 貴方は誰?」


 私は警戒心が人一倍強い。

 でも彼≠ニなら一緒になりたいと思う。




終わり
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