他ノ噺

□腐乱の果て
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腐乱の果て



 ある時代のとある場所、そこに一人の男が居た。

 男は偉人である主に仕え、己(おの)が主君の為にわが身を顧みず尽くす。

 全ては主が納める國の為、そしてそこに住まう親しい者の為、己が生まれ育った故郷を守る為、忠誠心が無かったわけではないが、それでも男の一番は、親を早くして失くした己を愛し育ててくれた故郷に居る人達であった。

 小さいが故に温かかった故郷を想う。それだけで男はなんでも出来る気になるのだ。

 努力を惜しまず、誠実に生きて来た男は周りから信頼され、己の主君の右腕と称されるようになる。

 己で掴み取った地位に、言いようの無い達成感を得た。
 己には勿体無いほど高い地位である。

 だが、それは周りが下した己の評価であると考えると、下手な謙遜は返って失礼にあたる。またそう考えると無下には出来ない。男は甘んじて受け入れた。

 しかし、そんな充実した日々は突如崩れ去る。

 始めは唯の風邪であった。
 こほこほと、咳き込んでいた内は皆(みな)心配してくれた。

 大事を取って仕事を休んだ。始めは三日休んだら良くなると思っていたが、拗らせた風邪はそんな生易しいものではなかった。

 少し前、疫病が流行る村に視察に出かけた記憶が甦る。
 医者が言った言葉がそれに良く似ていたからだ。

 噂は瞬く間に広がり、男は己の主人から暇を出される。

 療養の為に帰った故郷にも居場所はなく、遠い昔に接してくれた人々は男を避けて陰口を叩くようになった。

 休養も、重く踏ん切りが効かなくなった体では思うように出来ず。手助けが必要でも、誰も手を貸してはくれない。

 日に日に衰弱していく己の身を感じながら、男は為す術も無く、哀れ一人死んで逝った。

 その身は気味悪がられ、御山の奥に棄てられる。

 土の中にすら埋められなかった男の体は狼が喰った。
 僅かに残った肉片も雨風に晒され腐り落ち土に還える。

 いよいよ骨だけとなった男、後は長い時間をかけ、全てが地へと還る日までそう遠くはない。

 一方、男の故郷で、ある疫病が流行り始める。
 それは男が患った病とは似ても似つかない代物で、その病にかかると血を吐き、目玉が抉れ、最後には死んでしまうという、恐ろしいものであった。

 故郷の地に屍の山が出来る。
 その屍の山を狼が喰う。
 数十人以上もの死体を、たった一匹の狼が全て平らげた。

 己の腹を病持ちの血肉で満たした狼はある場所へと向かう。
 それは男の骸骨がある所だった。

 しゃれこうべを咥え、砕く、狼は欠片となった骨を土ごと喰う。

 そして、パタリと倒れた。
 狼はそのまま息絶え、動かなくなる。

 それから幾年の月日が流れ、男の骸骨も、狼の亡骸も綺麗さっぱり無くなった。
 だが、それで終わりではない。

 小雨が降り注ぐある日、男と狼の骸があった地面から、一本の手が伸びた。
 肉が付いていない骨の手が地面に手をつき、ずるりと土の中に埋まった残りの体を引き摺り出す。

 漆黒の骸骨が姿を現した。
 本来の骨の白さが無い骸骨は、右手に持っていた狼のしゃれこうべを頭に被せると、とたんに枯葉や土が骸骨の全身を包み始めた。

 土は肉と成り、枯葉は皮膚と成る。
 土と枯葉で肉付けされた体、狼のしゃれこうべから覗く瞳が爛々と黒く輝く。


 はらがすいた
 けがれがほしい
 やまいがくいたい
 やまいをくわねば


 そのまま男は各地を放浪する。

 時には獣のしゃれこうべを被った人の姿で
 時には漆黒の骸骨の姿で
 時には白い毛並の狼の姿で

 穢れた黒い霧纏い、病を喰い、男は雨を降らせた。

 男が降らせた雨は様々な病が宿り、その雨にあたった人間は忽ち具合を悪くさせる。

 男が降らすその雨を人間は『病雨(びょうう)』と呼んだ。

 やがて男の存在を見た人間が現れ始める。

 獣のしゃれこうべを被った人の姿を人間は『禍人(まがつびと)』と名を付け、
 漆黒の骸骨の姿を人間は『病骨(びょうこつ)』と名を付け、
 白い毛並の狼を人間は『病狗(やまいぬ)』と名を付けた。

 それが一つの原因であるとわかると人間は新たに『霧疾(きりと)』と呼ぶようになる。

 それまで亡霊であり、人外の端くれであった男の存在は人々に姿を見られ、肯定され、名前を得ることにより完全なものと成った。

 物の怪《霧疾》、病を喰い、病を呼ぶ雨を降らす禍モノである。



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