Short

□モデルの仕事で忙しい黄瀬が未来の好きな人とライバルに出会う話
1ページ/1ページ




夕日で赤く染まったある日の放課後、人気のない校舎を歩く。

教師から渡された資料を社会準備室の棚にしまい、教室にある鞄を取りに足早に廊下を過ぎる。

社会科係に頼めばいいものを、あの教師、余程探すのがめんどくさかったのだろう。

たまたま通りかかった自分に資料を渡しお願いなんて言われてしまえば、生徒である自分が教師からの頼みを断れるわけはなかった。

自分が教師から信頼されているというのは嬉しい事実なのだが、いささか間が悪いというか何というか。

今日は仕事があるのだと断れたら、どんなに楽か。

しかし学生の本分は学業であるため、最優先は学校のこととなる。仕事のために学業を怠ることは許されないのだから、文句なんて言っていられない。


鞄を取り教室から出て、無意識に溜め息をついたとき、近くの教室から聞こえてきた声に、ふと足を止めた。


「うっは、マジか!」

「おー、マジマジ」


やたらテンションの高い、騒がしい声が聞こえてきた。声の低さからして、二人とも男だろうということがうかがえる。


その声はどうやら、教室を一つ跨いだ、隣の隣の教室から聞こえてくるようだ。

けらけらと笑う声の大きさに、思わず眉をしかめた。もう少し声を抑えて、静かに話せばいいのに。きっと誰もいないと思っているんだろう。


「何お前、全然バレてねぇの?冗談抜きで?」

「だから、バレてねぇんだって!言っただろ?俺の演技力なめんなよ?」

「いや俺正直、すぐにボロがでると思ってたけど…お前、案外すげーんだな」

「今さら気付くなんて、お前ばっかだなぁ」

「うっせぇよ」


その、どこか全体的に笑いを含んだ言い合いから察するに、その二人はとても仲が良いようだ。


放課後に友達とお喋り。なんて羨ましいシチュエーションなんだろう。

俺だって本当は、仲の良い友達と放課後に喋ってたら外は暗くなっていた、だとか、放課後ショッピング、放課後カラオケなど、したいことはたくさんあるのに。

小さい頃から始めたモデルという仕事のせいで、放課後、時間があることなんてめったにないのだ。

周りの女子は、自分の都合を気にすることもなく、あそこに行こうだとか、いやこっちの方がいいだとかくだらない話をしてくるし。
*

男子は、女子にモテることをひがんできたり、妬んできたりで、ろくな人生を送っていない気がする。


学校、仕事、学校、仕事。


目まぐるしく過ぎてゆく毎日はしかし変化など特にはなくて。

青春とは、一体どこに言ったのだろうかと考えたことなど、山ほどある。

それでも、モデルという仕事をやめないでこれまで続けているのは、やはり楽しいからという理由があるためだ。


「にしても、お前が部活やるとはなぁ…意外だわ」

「そうか?つーか、お前も入りゃいいのに。生で見れるぞ?俺の演技が」

「いや、それはいいわ」

「何でだよ」


相も変わらず楽しげなその声が織りなす会話に、少し面白くなって笑った。

不思議なことに、この時確かに自分は、顔も知らないその二人の会話を、もう少しだけでも聞いていたいと思ったのだ。

今までに聞いたことのないその声は、一人は優しくて、もう一人はどこか尖っている。二人ともいささか口が悪いようだが、下品な感じはしない。


そこまで考えて、はたと、自分の考えがおかしいことに気がついた。

何故自分は、どこの誰とも知らない野郎の声をもう少し聞いていたいなどと、奇怪なことを考えているのか。

最初は大きなその声に、確かに苛ついていたはずなのに、いつの間にかその会話に笑っていたり。

きっと忙しすぎて頭がおかしくなっているのだと結論付けたところで、こんなところで立ち止まっている時間などないことを思い出す。


急いで廊下を走ろうと思った矢先、再び二人の男子の楽しげな声が、耳をかすめる。


「でもさ、ホントに部活入んねぇの?ショーくん」

「ショーくん言うなクロちゃん。入んねぇって」

「てめ、クロちゃん言うな。…もったいねーなぁ」


ショーくんと、クロちゃん…か。


(あだ名で呼び合うって…いいな)


って、違う違う。


*
このまま廊下を歩いて行けば、必然的に二人の男子がいるであろうその教室の前を通らなければならないのだが。

それは避けたかった。理由はなんとなくという、なんとも曖昧なものだが。

時間があるなら、廊下を反対側に進んで出るだろうが、生憎今はそうしている時間がないのだ。

先ほどメールで確認したが、正門にはマネージャーが車をとめて、いつもより遅い自分を待っている。そのため、なるべく遠回りをして時間をかけたくない。

強いて言うなら、うだうだと考えている今のこの時間も勿体ないくらい急いでいる。

そうだ、自分は急いでいるのだった。

気にしている暇なんていない。

教室の前を通るしか道はないのだから。



未だ二人の楽しげな声は聞こえてきていたが、それになるべく意識を向けないように足早に廊下を過ぎた。


正門にとまっていたマネージャーの車に乗り込み、遅くなりました、と一言謝罪を入れて、車は発進した。

だんだんと学校から離れていく中で、俺の目はいつの間にか、先ほどの二人の男子がいたであろう教室に向かっていた。

あの二人は、いつまでいるのだろう。もしかして、毎日放課後喋っているのだろうか。でも、片方は部活に入ったと言っていたから、今日だけ、もしくは時間があるときだけなのか。

ぐるぐるぐるぐると、ただ、あの二人のことを考えていた。

自分の足音は、二人には聞こえただろうか。もしかして誰かいたのか、なんて会話をしただろうか。

珍しく信号で止まることなく進み続ける車の中で、謎の自信が湧いてきていることに気付いた。

自分はあの二人のことを、少なからず他人よりは知っている。

そのことが、何故か嬉しい。

どうしてこんなことを考えているのだろうか。考えても、分からなくて。あちらは、自分のことなんて知りもしないというのに。

きっと、話をしたこともない。

これから先、話すことはあるのだろうか。

そのことばかり考えていた自分の口元が少し笑っていたことに気付くのは、なかなかに厳しいマネージャーからミラー越しにあなたが笑ってるなんて珍しいわね、と言われてからであった。



だからだろうか。


廊下を過ぎていくとき、断片的に聞こえてきた二人の会話の中に出てきたバスケという言葉が、頭から離れなくて。

バスケやりたいな、なんて思った。

*

黄瀬涼太、中学二年生。


彼がバスケ部所属という肩書きを持つのはこれより少し先のことであるが、そのきっかけは青峰への憧れだけではない。

間違いなく、この一日が原因だったのだろうということは、これから先も黄瀬以外は知らない事実である。


クロちゃんと呼ばれた、記憶に残る優しげな声が、将来自分の教育係、はたまた大切な人にまで発展するということも。


ショーくんと呼ばれた、記憶に残るどこが尖ったような声が、将来の自分の大嫌いな相手、ライバルであり、こいつとは永遠の恋敵になるということも。



黄瀬はまだ、知らない。

*
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ