烏野学生食堂
□君がいる夏
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夏休み。ジーワジーワと蝉がわめく中、第二体育館では今日も男子バレー部が練習していた。
窓は全開だが、風はなく、体育館の中は外の熱気と部員たちの熱気の相乗効果でサウナ状態だ。
「よし!休憩ー!」
「「あっす!!」」
主将の声に全員が反応する。汗かきすぎてノドがカラカラだ。みな一斉にドリンクに群がる。
日向が一気飲みしていると、外から楽しそうな声が聞こえてきた。
見ると、田中と西谷が水道の蛇口を全開にして、それに指でふたをして勢いを増し、水鉄砲のように相手を狙い撃ちしていた。
「うわぁ!気持ち良さそー!」
日向は目をキラキラさせて、すぐさま水道にむかった。
「オレもやりたい!」
「来たな翔陽!くらえ!ジェットスプラッシュ!」
「オラオラオラァ!」
二人から一斉攻撃をうけて一瞬でずぶ濡れになる。
「ひゃあー!つめてー!でも気持ちー!影山も来いよー!」
何の気なしにその名を呼んだら、体育館の入り口にもたれてドリンクを飲んでいた影山が、心底嫌そうに睨んだ。そりゃそうだ。影山が喜んでじゃれあいに混ざって来たら、逆にこっちがビックリする。
でも影山も汗だくで見るからに暑そうだ。
「じゃあタオル濡らしてやろうか?冷たくて気持ちいいぞ!」
そう言ったら影山は汗を拭っていたタオルに視線をやって、ちょっと悩んだあと日向の方を向いた。
無表情だけど、日向には影山の考えていることがすぐわかる。
「タオル貸せよ、ほら」
日向が手を出すと、影山がゆっくりと階段を降りてくる。タオルを投げるにはちょっと遠かったからなげれる位置まで近づいてきた。
その瞬間。
「かかったな影山!」
「いらっしゃああああい!」
田中と西谷の一斉放水が影山を襲う。日向はまったくそんなつもりはなかったから単純にビックリしたあと、やばい!と身の危険を察した。
完全に自分が影山をだました格好になっている…。
「か、影山、ち、ちがうんだ!おれはそんなつもりで呼んだんじゃない!だましたわけじゃ…!」
青ざめて引きつりながら必死に弁解する日向の後ろで、田中と西谷が爆笑している。ひどい先輩だ。
影山は全身ずぶ濡れでうつむいたまま、タオル片手に直立していた。前髪からポタポタと滴が落ちている。影山の顔は見えないが、立ち上る不穏なオーラに日向は完全に怯えていた。これは完全にキレてるやつだ。
「…おい」
地を這うような低い声が響いた。
「ひぃ!」
おもわず後ずさる。
「こらぁ!お前らなにしてる!」
主将の声が響いた。全員が反射的にピッと背中を伸ばす。
「まだ部活おわってないだろうが!今すぐ着替えて来い!」
「やべぇ!」
「ふざけすぎたか!」
田中と西谷がバタバタと慌てて部室にむかう。
「あ!ちょっと田中さん!のやっさん!待ってくださいよ!」
日向は慌てて2人のあとを追おうとしたが、うつむいたまま立ち尽くす影山に気づいて足を止めた。
「か、影山!とりあえず着替えようぜ!な?」
引きつった笑顔を浮かべながら、離れたところから影山の顔をのぞきこむ。だが、前髪が影をつくっていてよく見えない。
「……ない」
「え?」
「着替え持ってない…」
影山が顔をあげる。恨みがましい視線が日向に鋭く向けられる。
「ま、まじで?」
今は夏休み。部活しかないから影山は家からジャージで来てジャージで帰る。他の部員たちも同じだが、日向などは部活後に友達と遊んだりすることがよくあるため、一応着替えを持って来ている。
だが友達もなく、ただ部活だけをやりにきている影山は着替えなんて持っていなかった。
「こんなずぶ濡れになる予定もなかったしな…」
嫌味たっぷりに吐き捨てられて、日向はいよいよ真っ青だった。
「ご、こめん影山!でもあれはおれのせいじゃなくて、田中さんたちが勝手にやったことで、決しておれの意思では…」
しどろもどろになりながら弁解していると、体育館からひょこっと菅原が顔を出した。
「どうしたのお前ら。早くしないとまた大地に怒られるよ」
場を和ます、ほのぼのとした声に日向の緊張が少しほぐれる。
「あ、あの菅原さん!影山着替え持ってないみたいで!誰かにかしてもらうことできませんか?」
「着替え?えーと、俺のでよければ貸そうか?Tシャツと短パンぐらいならあるよ」
にっこりと笑った顔は神様のように神々しかった。
「あ、あざす‼︎よかったー!よかったな、影山!」
「…あざす…」
影山が不本意ながら頭をさげる。
「いいよいいよ。じゃあ部室行くべ」
ニコニコと笑う菅原に先導されながら日向は心の中で助かったー!と叫んでいた。
部室につくとすでに田中と西谷が新しいTシャツと短パンに着替えて出てきていた。
「お前ら悪ふざけはよくないよ。影山にちゃんと謝れ。ついでにとばっちり受けた日向にも謝っとけよ」
菅原が呆れ顔で優しくさとす。田中と西谷はイタズラを咎められた子どもそのものの顔で、悪かったなと2人に頭をさげた。
部室に入り、日向はすぐに着替え始め、菅原はかばんから着替えを出して影山に渡した。
「はい、これ。別に返すのはいつでもいいからな」
「あざす…」
影山が少し申し訳なさそうに礼を言う。そんな影山を横目に見ながら、影山って菅原さんにはすげぇ素直なんだよなと日向は思った。なんだか少し面白くない。
「いいんだよ。お前は被害者なんだから。じゃあ先行ってるから早く来いよ」
菅原は濡れた影山の髪をわしゃわしゃとなでて出て行った。
いいなー…。
菅原はスキンシップが得意だ。さりげなく頭をなでたり肩をだいたり、日向はもちろん、影山や月島のような、自分よりでかくてとっつきにくい性格の後輩でもすんなりとてなづけてしまう。
特に影山は高慢だが、自分より上の立場だと認めている相手にはとても素直で従順なところがあるため、菅原は特に影山を可愛がっているような気がする。
そりゃあ誰にも懐かないような野良猫が自分だけになついたら可愛くないわけがない。
いいなー。
日向は再び思った。自分はあきらかに影山より格下に見られていて、もし頭なんか撫でようもんなら全力で投げ飛ばされるかアイアンクローで沈められるのがおちだ。ていうかそもそも立ったままじゃ手が届かない。
くそう…。
なんだかやたらと悔しい気持ちになった。おれも影山に慕われたい。なつかれたい。それが無理でもせめて対等な立場で素直な影山と接することができたなら…。
素直な影山というものを想像してみる。例えば影山がトスをミスった時。
『悪い日向…』
眉をひそめて伏し目がちに、心底申し訳なさそうに謝る影山。
悪くない…。
例えば部活の休憩の時。影山にドリンクとタオルを渡すと、一瞬とまどったあとにおずおずと受け取って、
『サ、サンキュ』
と照れながら受けとる影山。
悪くない…!
例えば試合前夜。2人きりの帰り道で、明日も絶対勝つぞ。なんたってお前がいればおれは最強なんだからな!っていったら、ちょっと目を見開いて、笑うのをこらえるみたいに口のはしをゆがめながら、
『お、おう!』
って、少し誇らしげにほっぺを赤くする影山。
悪くない…!!!
「おい日向!なにニヤニヤしながらボケっとしてやがる!気色悪りいな!さっさと着替えろボゲ!部活はじまんだろがアホ!」
一気に現実に引き戻された…。
そうだこれが現実だ。だいぶ聞きなれたとはいえ、あいかわらずの暴言満載のセリフ。よくもまあ他人をここまで罵倒できるもんだと、呆れを通り越して感心すらする。
しかもこんなに罵られてるのってオレだけじゃん。同じ一年でも、月島とは喧嘩はするけど、暴言ははかないし、山口にも普通だ。
日向は凹んできた。
「…なんだよ」
無意識に影山を睨んでいたらしく、ものすごい目付きでにらみ返された。
「影山はさあ。オレ以外のやつにもボゲとかアホとか言うの?」
「あ?どういう意味だ?」
影山が目つき悪いままで首をかしげる。
「おれにはすぐ暴言吐くけど、月島たちにはそこまで言わないじゃん!なんかひどくねぇ?」
思わず不満をぶちまけたら、影山は怒るでもなく、目を見開いてきょとんとしていた。この顔をするとやたら無防備であどけなくて、日向はけっこう好きだ。
「オレ、そんなにお前に暴言吐いてるか?」
やけにマジメな顔で聞いてくるからカチンときた。
「ふざけんな!めちゃくちゃ吐いてるっつの!なんかあればボゲとかクソとか!絶対余計な一言ついてくんじゃん!他のやつには言わないのに!なんでオレだけ…!」
そこまで言って、目の前の異変に気づいた。影山の顔がカアーッとみるみる赤くそまって、慌てて影山が片手で口を覆ったけど、隠し切れるわけもなく、耳まで真っ赤にして影山が目線を横にそらした。
それをみたらこっちにまで伝染したのか、日向まで真っ赤になる。
なんだこれ、なんだこれ!
日向はプチパニックになった。心臓がバクバクして今にも飛び出しそうだ。
「…それほんとか?」
「な、なにが?」
影山がちらりと日向を見て、すぐに視線をはずす。その仕草にすら日向の心臓がはねる。
「お、お前にだけやたらひどいこというっていうの…。お前の気のせいじゃなくて?」
「気のせいなわけあるか!他の人にも聞いてみろよ!あきらかにオレだけ対応がちがうぞ!」
影山が大きく目を見開く。青みがかった瞳が揺れていた。顔はあいかわらず赤いままだ。こんな影山見たことない。
「チッ…!」
「なんでいきなり舌打ちすんだよ!ほんとひどいな!」
「うるせぇ!好きなやつには無意識にやたらと暴言吐くくせがあるって昔母親に言われたのを思い出しただけだ!別にお前が特別ってわけじゃないからな!勘違いすんなよ!オレはお前だけに暴言吐いてるつもりはなくて…それで…えーと…!」
まくしたてている内に自分でも何を言っているのかわからなくなってらしい。
あーうー言っている影山の顔を見ながら日向は今影山が言った言葉を反芻していた。
好きなやつには無意識にやたらと暴言を吐くって…?
影山はオレに暴言吐いてるつもりはなかったって?
それってつまりはそういう解釈でいいのかな?でも影山は勘違いすんなって言ったけど…?
でも…!でも…!じゃあなんで影山はこんなに真っ赤なの?
「クソッ!」
影山が悔しそうに顔を歪めた。それをみたらなんだかたまらない気持ちになった。そんな顔をされてしまっては、隠した想いが溢れ出てしまう。
「か、影山!!!」
「!?」
「オレ影山が好きだ!!」
「は!?」
「友達とかそういう意味じゃなくて、恋人にしたいとかそういう意味の好きだ!!か、影山は?!オレのことどう思ってんの!?」
一世一代の告白だ。まさかいきなりこんなことになるなんて思ってなかったけれど…。でもこんなチャンス2度と巡ってこないだろう。だったらせめて…影山の気持ちを確認しとかないと!!日向は腹をくくった。
もし影山の言うとおり、ただの勘違いだったら……死ぬ!!
「ど、どうってお前…!そんなの、急に、言われても…わかんねーよ!アホ!ボゲ!死ね!」
影山の顔は赤すぎて熟れ過ぎたトマトみたいだった。これ以上赤くなったら影山の頭が破裂しちゃうんじゃないかって心配になる。
思わず影山の手をつかんで引き寄せていた。油断し切っていた影山はバランスをくずして、日向のほうに倒れこむ。
それを受け止めようとして、日向は影山を抱きとめながら後ろの壁に頭を強打した。なかなかの痛みだったが今はそんなの関係ない。
菅原に着替えを借りた影山からは、菅原の匂いがした。
それがものすごく癇に障った。別に菅原さんは悪くないけれど…。影山から他の誰かの匂いがするなんて許せない。
「影山…。好きだ。オレ影山のことすごい好きだ。影山が他の誰かとしゃべってるとなんか嫌だし、嫉妬する。だからオレだけいつもひどい扱いされて、正直凹んでた。でも、今影山が言ったことがほんとなら…オレ…勘違いしちゃってもいいのかな?」
黒くて丸い頭をギューッと抱きしめる。タオルでふいただけじゃかわいてなくて、生乾きの匂いとかすかにシャンプーの匂い、それから影山の汗の匂いがした。たったそれだけなのに、胸が幸せな気持ちでいっぱいになった。
「…っ!このボゲ…!」
胸にうずめた黒い頭からくぐもった声が聞こえた。
「勘違いじゃねーんだよクソ!好きじゃなきゃこんなに…!」
お前のことばかり考えねー…
聞こえるか聞こえないかの声で吐き捨てられた言葉は、蒸し暑い部室の空気をかすかに震わせて、日向の鼓膜に届く。
外ではけたたましく鳴きわめくセミ達の声がこだましていた。夏の暑さに負けないように懸命にはりあげる、命がけの求愛の声。
抱きしめた影山の体がまるで熱のかたまりみたいで、真っ赤に染まったうなじがやけに目について、暑くて暑くて目眩をおぼえた。
ああどうしよう。まだこれから部活があるのに…。
影山の体がピクリとはねる。勢いよくあげられた顔は相変わらず赤いけど、その目つきはいつもの凶悪なそれだ。いや、それ以上の剣呑さでもって向けられている。
「おい…!お前…!」
だって仕方ないじゃん。男の子だもの…。
ちょうど影山の胸のしたで兆したそれは、夏と恋と影山のせいで、一向に冷める気配がしない。
「責任とってよ影山」
淫靡な笑をにやりと向けたら、
「ざっけんなクソボケ日向ああああ!!!」
全力のアイアンクローによる激痛により、日向も日向の下半身も完全に鎮火した。
「とっとと部活戻るぞアホ!主将に怒られたらお前のせいだからな!」
すっかりいつもの王様に戻った影山の背中を追いかけながら、日向はちぇーっといじけていた。
でももう一度よく見たら、黒い頭からちょこんと生えた耳の先が赤くて、日向は嬉しさを隠しきれずに笑った。
「影山!」
「あ?」
「暴言吐くの、オレだけしろよ!」
「〜っ!うるせぇ!ボゲ!死ね!」
相変わらずレパートリーの少ない悪口を聞きながら、こんなに幸せな気持ちになったのは初めてだった。
End