短編

□静かなる
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今日も今日とて、彼は安定した可愛さを保っていましたね。がやがやし始めた教室で、一人表情に出さずにほくほく午前中までの彼の言動を振り返りながら、お昼ご飯の準備をしていたところ。



「あちゅし、一緒にお昼食べないか?」



…………………………、あちゅし?
突然耳に入って来た言葉に一瞬固まってしまった。耳を疑う。今なんて…?
誰がそんな事を言ったのかと声がした方を見れば、私は呆然としてしまった。なんてこった



そこには、この学校で噂に上がらない日は無いと言われている、紫原くんと同じ男子バスケットボール部に所属する氷室先輩であった。今も、このクラスに来てから僅かしか経っていないのに、女の子たちに囲まれてキャーキャーと騒がれている。「一緒にお昼食べませんか?」とまで声をかけられているじゃないか。それに対して、「ごめんね、今日は先客が居るんだ。また今度、誘ってもらえると嬉しいな」と優しい笑顔で紳士な対応をしちゃっている。



なんだ、私の聞き間違いか。あんな紳士でイケメンな先輩が、あちゅしだなんて変な呼び方する訳無いか。私じゃあるまいし…



「室ちん、オレ意外に一緒にお昼食べる友達いない訳?」



「あはは…、お前のお菓子の保管にオレの部室のロッカーの使ってるってこと、忘れてないよな?」



「………きょ、今日はどこ行くの?」



「そうだな、天気も良いし裏庭にでも行こうかあちゅし」



んんんんん?あれ…?
溜息を吐きながら嫌々と言う雰囲気を醸し出しつつも、いつものお菓子の袋を持って氷室先輩のもとへ行く紫原くん素直じゃないけどちゃんと行ってあげるなんて可愛いなぁ…と見惚れていたら、またも聞こえてしまった。そのことに気が付いた頃には、二人は仲良く並んで行ってしまっていた。



「今日は、お弁当なんだけど名前はどう?食堂行く?」



ツッコミが神かかっている友人が、一番クラスでまともな私の所にやって来た。



『氷室先輩があちゅしって呼んでたんだけど…』



「アンタが一番まともだって信じてたのに!!」



ひどく悔しがる友人に、冷静に話を続けた。



『いやいや、ホントなんだって。ホントに、行こうかあちゅしって言ってたんだって。まさか、私意外に紫原くんをあちゅし呼びしてる人が居るなんて…』



冷静に感動していると、友人は普段の私と同等かそれ以上の無表情をしていた。



「待って、よく考えて?あの氷室先輩だよ?スーパー紳士って名高いあの氷室先輩が、アンタみたいに紫原くんを変な呼び方している訳無いでしょ?ほら、ここからだとドアまで距離があったから、聞き間違えたんじゃないの」



友人が肩をすくめて、それでどっちなの?と聞いてきたので、購買でパンを買うと伝えた。
そりゃあ、ここから氷室先輩がいたドアまでの距離は少しあるけれども、日頃聞き間違いの酷い私ではあるが、紫原くんのことに関してだけは普段より聴力が何倍か増しになるという、素晴らしい反射が起こるのである。だから、氷室先輩あちゅし呼び疑惑が、ただの聞き間違いの可能性は極めて低い。でも、友人にこんなことを言われるような、氷室先輩が…
うーむ、と考え込みながら黙々とパンを食べる横で、友人は久々の静寂(ボケが無い時間)に心からリラックスしていた。



昼休みが終わって紫原くんも裏庭から戻って来たのを確認して、午後からの授業が始まった。
授業が始まって十数分、周りがこっくりこっくりし始めた頃、ちらりと同じ列の彼を横目に見ると、少しうとうとしていた。Yes,My Fairy!!!!!
感情を抑えきれず、思わず机の下で勢いよくガッツポーズをとってしまった。横顔が美人過ぎる。



ふう、と荒ぶりが収まったところで、昼休みの氷室先輩のことを思い出した。やっぱり、あれはあちゅしって呼んでいたと思うんだけどなぁ。舌が回らなかったのかな?でも、二回連続って有り得るか?
悩んでいても仕方無いから、今度機会があれば氷室先輩に聞いてみよう…、なんて無謀な発想か。色んなことに疎い私でも、氷室先輩に話しかけることがどれだけ大それたことであるかは把握している。



もし、仮に氷室先輩が本当にあちゅし呼びをしていたのなら、同志として仲良くやれるかな…



いつも嫌々話を聞いてくれる友人では無く、私の意見に賛同しながら熱く語り合える同志。そんな人が居たなら、語り甲斐があるんだろうな。
それを想像すると、口の端が少しだけ緩んだ。
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