お題2

□喫茶・金木犀の涙へようこそ
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喫茶・金木犀の涙へようこそ
タイトル提供 星山藍華さん



『困った事があれば、この香りを辿ってごらんなさい』

 ◆  ◆  ◆

 きらびやかなイルミネーションが並木道を照らす下で、スーツを身につけた若い女性が重たい息を吐き出した。
 どういうわけか。クリスマスソングが華やかに流れ、正月の餅やおせちのコマーシャルが流れるようになった頃から、がたがたという物音が押し入れから響くようになった。
 はじめの頃は気のせいだと思っていたそれも、今では物音がする度に気が滅入るくらい迷惑な物になりつつある。原因はなんだと覗いて見ても、押し入れの扉を開けた途端鳴りやんでしまうので、音の正体はわからず。
 仕事で疲れているのに、家に帰るのが億劫だ。
 すっかりむくんでしまった足を引きずるようにして歩いていると、この季節にはない香りがふわりと鼻を掠める。
 ぴたりと足を止めて辺りを見渡してみるが、香りの元となる植物の姿は見当たらない。
 耳だけでなく、鼻までおかしくなったか。
 自嘲まじりに唇を歪めてみると、再びあの香りが鼻を掠める。
 気のせい……ではない……!
 はっと目を見開いて、再び周辺へ首を巡らせる。
 先程までは無かった【もの】が、視界に飛び込んで来た。
 赤い頭巾を羽織り、アルプスにいる少女を思い出させる衣装を身に着けた女の子だ。銀杏の木の下で佇み、じっとこちらを見ている。
 手に持っているのはランプだろうか。イルミネーションの人工的な灯りの下で、優しい色をした橙色の炎が揺れている。
 現代ファッションの大人たちが多く行き交う並木道で、彼女の存在は極めて異質だった。
 女性が女の子をじいっと凝視していると、女の子は表情筋を一切動かさないまま、女性に向かって「おいで」と手招きした。
 普段の女性ならば、おかしな子だと思って無視していただろう。
 だが、不思議な音に悩まされている今は、原因を見つける鍵になるかもしれないという思いに駆られ、導かれるように、引き寄せられるように、足が彼女の方へと動いた。




 たどり着いた先は、赤い三角屋根の古民家であった。
 ビルとビルの間に無理矢理押し込んだ形で建てられていて、見るからに窮屈そうである。
 このビルの前を毎日通っているのに全く気づかなかった。そもそも、この古民家はここにあっただろうか。
 首を捻りながらも頭すれすれの玄関口を通り抜ける。
 建物の中は、見た目通りこじんまりとしていた。
 狭い部屋の中は、中央に応接用のセットが一つ。周辺に小さなティーテーブルが乱雑に並べられ、植木鉢や欠けたティーカップ、表紙が破れた和綴じの本が置かれている。
 壁に目を向ければ、びっしりと本棚が並べられ、題材も順序もばらばらに図鑑や地図が詰め込まれていた。中段には、小瓶が並べられている。中身は、あえて見ないことにした。これだけ乱雑に物があると、中身がちゃんとしたものか不安になる。
 角に置かれている小さな赤い鳥居に気を取られつつ、テーブルを避けながら奥へと進んでいくと、カウンターらしき物が鎮座していた。
 こちらも物が乱雑に置かれていて、一枚板の表面が見えない。
 ここの家主は片付けが苦手なのかと頬をひきつらせていると、若い男の声が耳の鼓膜を震わせた。

「これ、梓。また拾ってきたのかい?」

 呆れと苦い笑いがまざっていたが、丁寧な物言いであった。
 カウンターの奥にあった引き戸を開けて出てきた男は、はっと息を呑んでしまうほどに美丈夫であった。
 すらりと伸びた背丈に、きりりとした目鼻立ち。髪は短く、清潔さを感じられ艶もある。俳優、モデルにいるタイプではない。どちらかと言うと、弁護士や刑事にいそうな雰囲気の男だ。
 男の顔を物珍しげに眺めていると、男の黒い瞳が不意を突いて女性に向けられた。
 美しい男に正面から見据えられ、びくりと体が震える。
 男は口の端をつり上げ、興味深そうに女性を眺めた。

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