俺は案外ガキの頃から現実主義者で、サンタクロースもネッシーも信じちゃいなかった。
もちろん中学生になった今もだ。
まぁ大抵は誰だってファンタジーな幻想が現実になるなんて思わねぇだろう?

自ら経験するまではな。


俺としたことが油断した。
手塚は何時もの無表情でそう言った。

4月某日。普段は全くと言って良い程に重ならない跡部と手塚のスケジュールがやっと重なり、(言うまでもなく跡部の血の滲むような努力の賜物だが)今日は跡部の部屋で一日中思う存分いちゃいちゃする予定、だったのだが。

油断した。と手塚はもう一度言うと、跡部宅の玄関に律儀にお邪魔します、と言ってから上がり込んだ。
宮殿と呼ばれるだけあって呆れるほど長い廊下をこれまた長い沈黙が走る。
跡部は取り合えずやっと息を吐くことを覚え、再び大きく息を吸った。
そして

「お前何だよそれ」

手塚の「耳」を指差し言うと、丁度その時跡部の部屋の一室に着いた。
ドアを静かに閉め、手塚がやっと口を開く。
「俺はどうやら人間の耳を失ってしまったらしい」
「明らかに問題はそこじゃねぇだろうが!」

そう。手塚の耳が本来あるべき所には髪の毛が続いていて、代わりに、随分上の位置に髪の色と同じ深い茶色の毛並みの所謂『猫耳』がぴんと覘いていた。
「ちょっと触るぞ」
手塚が悪ふざけでこんなことをするとは思えないが、一応本物か確かめなくては。
みなさんご存知の色っぽいお約束(忍足伝授)を期待しなかったわけではないが、至極真面目に触ってみる。
「ふっ、ん」
ふにふにとした感触は正に猫のそれで、ちゃんと神経も通っているようだ。
抑えた声に微妙な感情が沸き上がってきたが、今まで築いて来たプラトニックな関係をなし崩しのようにして終えるわけにはいかない。
ぐっと我慢し、改めて手塚に向き直った。
その瞬間、手塚の顔が付き合いの浅い人間なら全く気付かない程度に曇ったが、色々精一杯な跡部がその時気付く事は無かった。

そういえば猫は顎の下が好きだった気がする。
喉仏あたりに指先を当て、顎に向かってつい、とすべらせる。と、やはり気持ちいいのか手塚は目を細め、軽く喉を鳴らした。
そしてそんな反応に自分で驚き、軽く赤くなる。

これは、可愛い。
今更再認識すると、逆に劣情が吹き飛んでしまった跡部は、男の自分には無い筈の母性本能をくすぐられてしまたようで、無言で手塚の髪に指を絡ませ、頭をなでた。

跡部と手塚が二人きりで居るときは、跡部が黙ってしまうと必然的に無言になる。
しかしその沈黙は長くは続かず、それまで好きにさせていた手塚が口を開いた。
「乾に相談したのが間違いだったか」
「ああやっぱりあの眼鏡の仕業か、って」
は?
と、跡部にはおよそ似つかわしくない声があがる。
「お前原因分かってるのか?」
「ああ。乾から貰った薬が原因だろう。」
「あいつさらっととんでもねぇ発明するな!」

そうだな、青学の勝利に必要な人材だ。と少しずれた答えを返した手塚は、怪訝な顔をしたままの跡部の両肩を掴むと、今までの会話の流れを綺麗に無視してそのままキングサイズのベッドへ押し倒した。
呆然としている相手をよそにネクタイを引き抜きーーー引き抜こうとしたのだが、それより先に跡部が我に返った。
「待て!手塚、早まるな!」
手首を掴み必死で訴えると、意外とあっさり退く。
「・・・いきなりなんなんだよ」
いつもに輪をかけて予想の斜め上を行く行動に焦りつつ、今日何か不味い事を言っただろうかと記憶を探る。
「乾に」
「あん?」
「どうすればお前を誘えるか相談した」
「・・・へぇ」
字面と跡部の表情だけ見ればこの状況に見合わない冷静さにも見えるが、彼の明晰な頭脳は珍しくも容量オーバーで悲鳴をあげていた。
「それで、言われた通りにさっきから誘っているのだが」
「何に」
「言わせるのか?」

なんというか、手塚の知らない一面を見てしまったような気がする。跡部は知らないうちに、手塚は堅物で純情で、そっち方面の話題はおろか、行為になど及ぼうものなら町内を何周走らされることか、と思っていた。
思えば手塚も中学生。性欲が有り余っていて当然くらいなのだ。しかし、いくらなんでも潔すぎやしないか。

そう心の中で呟くと同時に、恥じらう手塚をリードしつつ抱く、という理想の初夜は脆く崩れ去ったのだった。

「その耳も演出の一環かよ?」
なんとなく敗北感を覚えつつ問うと、よくわからないが、そうらしいな、とアバウトな答えが帰って来た。
手塚は、未だ違和感のある耳をふにふにと触りつつ、自分でしていても気持ちいいのか小さく息を詰め、目を細めた。
そんな手塚を見て、ようやくさっきまで跡部の脳内を占領していた母性を退け雄の本能が頭をもたげたので、据え膳食わねばなんとやら、今度は手塚を押し倒した。
「優しく出来る自信は無いぜ」
「は、」
「何だよ」
まだ何かあるのか、と若干うんざりしつつ問うと。
「お前がその・・・抱く側なのか」
と、物凄く今更な事を酷く驚いたように言われた。
全く驚きなのはこっちである。
「・・・もういい。お前、とりあえず俺様に任せてろ。」

耳が生えた時点で何となく気付けよとか、もしかして俺様が喘ぐ姿でも想像してたのかとか、色々言いたい事はあったが、惚れた弱みと言うやつだろう、呆れる程鈍感な手塚が愛しくて仕方ない。
とりあえず、跡部の完全なる敗北であった。

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ