1章「そして彼女は目を覚ます」

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アンジュがその予言の話を聞いたのは、まだ教会で神官見習いをしていたころである。

「世界に危機がせまったとき、世界樹は一人の救世主…“ディセンダー”を生み出すのです」

教えてくれたのは普段は物静かな神官だった。しかし、この予言の話をする時の神官は頬を紅く染めてやけに熱っぽかったのを覚えている。

「ディセンダーのことを、予言は次のように記しています。

『ディセンダーに過去の履歴は一切ない。国も家族も記憶もなく、あるのは自由と命のみ』

『何も知らぬ無垢な者。不可能も恐れも知らぬ者。・・・・それは、自由の灯なり。』

『自分に対する幻想を抱かない者、幼子のようにその瞬間を生きる者』

『かの者は光を奪わず、惜しみなく光を人々に分け与える』

これが、教会に世界の創生の時より伝承され続けている予言です。一字一句、忘れることのないように覚えておきなさい」


アンジュは、この神官の教えを誠実に守り、予言についての学びをさらに徹底的に深めた。そして教会から神官として働くことを認められ、現在は巡礼の旅に出ている。

彼女は聖職者にして現実主義者だった。
したがって、彼女はディセンダーをあてにしてはいなかった。

予言を信じていないわけではない。ただ、いつ生まれるのかわからない、たった一人の救世主にこの世の全てを救ってくれと願うことはあまりにも無責任だと考えている。

全てを救うことなんて不可能だ。
そのことを、アンジュは聖職者であるがゆえに痛いほど理解していた。


今日もアンジュはきれいな神官の服に身を包み、世界各地の貧困層にある教会を訪ね歩きながら、慈悲を願う信者の声に耳を傾ける。

「聖女様」と、薄汚れた服に身を包む信者は彼女のことを呼ぶ。

「お助けください!」
「子どもの熱が3日も引かないのです!」
「友人が銃撃戦に巻き込まれて…」
「もう一週間もろくに食べていません!」
「ガルバンゾ国に村を追い出され…これからどうやって生活していけばよいのでしょうか?」
「ウリズン帝国のやつらめ、私の孫を…」
「ディセンダー様はまだなのでしょうか?」
「今が世界の危機ではなくて、いつが危機だというのでしょうか?」
「教えてください、聖女様!」
「聖女様、お助けください!」

信者の列は後を絶たない。次から次へと、まるで教会に全てを解決する義務があるかのように押し寄せる。

もちろん、彼らは救われたいのだ。
だが、その「救い」が何を意味しているのかは人によって全く違う。

ある者は、ただ平穏な生活を望み。
そのために自分たちの平穏を奪おうとする大国を滅ぼしてくれと願う。

ある者は、ただ大切な者を奪った者への復習を心に刻み。そのために失った右手を元に戻してくれと叫ぶ。


私にできることは、一人分の量が決められた教会からの食事の配給を配ること。経典を読むこと。そして治癒術を使うこと。
ただ、それだけだというのに。


全てを救うことはできない。
私は救世主にすがらない。

この人たちが誰かの力にすがるのではなく、自分の力で立ち上がることの手助けくらいは私にだってできるはずだ。

アンジュは、自分にそう言い聞かせながら、今日も信者に向かって笑顔を向ける。




やがて、自分がその救世主に救われ、共に世界を救うことになるなんて、このときの彼女が知る由もなかった。
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