1章「そして彼女は目を覚ます」
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ルーク、アッシュ、ナタリアもまた、幼いころにたった一度だけ救世主についての話を聞いたことがあった。
これからのライマ国の未来を担っていく3人の子どもたちにむかって、ジェイドが情け容赦なくこう言い放ったからである。
「今日は楽しい楽しい抜き打ちテストをしまーす」
「ふざけんなぁあああああ!!!」
「このくずがぁあああああ!!!」
「まぁ、いきなりテストだなんて!ひどうにもほどがありますわっ!!」
「おやおや、何を熱くなっていらっしゃるのでしょうか皆さん。日々の積み重ねがあれば、このような不測の事態簡単に対応できるはずですがねぇ。
はい口を閉じる!その棒きれをしまう!椅子に座る!ペンをもつ!」
どこか楽しそうな(いや、完全に楽しんでいる)ジェイドに怒りの眼差しを向けながらも彼らの言葉に従うのは、子どもたちの中に「この男に逆らってはいけない」という言葉が不文律のように心に刻み込まれているためであった。
過去のトラウマから人は学ぶ。
しかし、配られた用紙を見て、彼らは再び叫んだ。
「おいこらジェイド!まだこれならってぬぇーじゃねぇか!なにがひびのつみかさねだごらぁ!」
「復習だけでなく予習も大切ですよ、という大切な学びになればと。」
「おれたちがいまやっているのは『せいじがく』だ!こんな1ミリもかんけいねぇはなしをだしてくんじゃねぇよくずが!よしゅういみねぇじゃねぇか!!」
「あんまり屑屑って連発すると自分が屑になっちゃいますよー。まぁ、ルークと違って予習してきているだけアッシュはマシですが」
「ディセンダー…?これは、きょうかいのはなしですわね。こんなことをまなぶのにいみがあるのでしょうか?」
「『こんなこと』とは頂けませんねぇ、ナタリア。国民が何を信じ、何を行動の指針としているのかを把握することは、王族にとって重要なことです。
さぁ、わかる範囲でいいから書いてみなさい。わからなかった問題の数だけ、みなさんのおやつが私のものになります」
「「てめぇっっ…!!ぶっころす!!!」」
「旋律の戒めよ…死霊使い(ネクロマンサー)の名のもとに具現せよ…ミスティ」
「わー!わー!わー!!わ、わわわわるかった!もうしません!」
「きゃぁああああ!だれかっ!ジェイドに殺されますわぁああ!!!」
「ちっ!ナ、ナタリアには手を出すなぁぁ!」
大人げない。
非道。
外道。
そんな言葉がよくにあう男、ジェイド・カーティス。ライマ国軍に所属し、その頭の良さから王族の家庭教師にまで抜擢された男は心底楽しそうに笑いながら、「テストを始めなさい」と子どもたちに声をかけた。
「では、答え合わせといきましょうか…おや、ナタリア。わりとよく答えられているではありませんか。アッシュは…まぁ、努力は認めましょう。ルーク、あなたはせめてもう少し努力をしなさい。私を馬鹿にしているんですか?」
「ば、なんだよそれ!今日はめちゃくちゃ頭つかったんだぞ!」
「で、この回答ですか?」
「わ、わりぃかよ!!」
「…はぁ。」
先が思いやられる。
そう心のなかでつぶやきながらジェイドは子どもたちに向き合う。
「いいですか。先ほども言いましたが、王族にとって国民が何を信仰しているのかを知ることは、政治を動かしていく上でも非常に重要なポイントになります。
我が国で一番の信徒数を有しているのは、『アーシア教会』です。アーシア教会は、このライマ国だけでなく世界中に点在しており現時点で最も巨大な宗教集団といっても過言ではないでしょう。
世界樹を信仰しており、『世界の創生記』から伝え続けられているという予言に記された『ディセンダー』という救世主の誕生を待望している、というのが教会の基本姿勢になりますが、教会内でも様々な派閥がありますので一律に同じとはいえませんね。
…ここまでは、わかりましたか?」
「まったくわかんねぇ」
「せつめいがたりん」
「むずかしすぎますわ」
この糞餓鬼ども。
もちろん、ジェイドはそう思っても口には出さない。相手は一応王族であるという自覚くらいはある。
「要は、世界中でいちばんたくさんの人が信じているのが世界樹と救世主を信仰する『アーシア教会』という教会なんです。」
「きなんてしんじて、なんのとくがあんだ?」
「人間を造ったのは世界樹なんだから、人間が大変な目に会った時は守ってくれるだろうと人々は考えたわけです。
人生で大変な試練に直面しても、世界樹に祈れば助けてくれる。その人間の祈りこそが世界樹の力の源であり、祈れば祈るほど世界樹が力を増す。そして、いずれ救世主が現れて自分たちを救ってくれる…
と、大雑把にいえばこんな感じのことを信じているわけです。」
「きゅうせいしゅってなんですの?」
「世界の危機に世界樹から救世主が生まれるという予言があるそうですよ。名前以外の自分に対する記憶を一切もたず、ただ世界を守るためだけに存在し、世界を平和に導いた後は再び世界樹に還っていくそうですね」
「あ、おれしってる!すーぱーまんって奴だろ?…あれ、うるとらまんだったっけか?」
「…ルーク。その言葉をどこで覚えたんですか?」
「ガイの本」
「……まぁ、そのことは今は少し置いておきましょう。とにかく、このディセンダーはそのようなものではありませんよ。むしろ我々にとっては警戒すべきものでもありますね」
「なぜですの?せかいをすくってくださる方なのでしょう?」
「そうですね。では質問ですが、『世界を救う』とはどういうことだと思いますか?」
「「わるものをぶっとばし(ぶっころし)て空をとぶ」」
「…アッシュ、あなたもガイの本を読みましたね?」
「なっ…べ、べつにおれはあんな子どもだまし…おもしろいとはおもってねぇよ!」
「はいはい。ではナタリア、あなたの考えは?」
「そうですわね…やっぱり、わたくしもみんなをくるしめるわるものをこらしめることだとおもいますが…」
「ええ。そう考えることが普通でしょう。では、その『悪者』が…私達だった場合はどうなるでしょうか」
「「はぁ?」」
「ど、どういうことですの!?」
「この教会の信者の多くは、日々の食べるものにも悩む貧しい者です。自らの苦しい生活の責任を国に求め、この国を『悪だ』と考える可能性は大いにありえます。
そんな時、国を背負うものとして彼らにどのような対応をするべきか。
このような事態を引き起こさないために自らが何をすべきか。
よくよく考えながら、日々を過ごしなさい」
しん、と静まり返った子どもたちの真剣なまなざしを見つめて、ジェイドは満足そうにほほ笑んだ。
実は、すでにアーシア教会から派生した宗教団体の一つが『救世主の誕生は近い』という声を上げ始めている。この意見に賛同する国民は少しずつ増えており、やがてライマ国に刃を向ける可能性がある。もちろんたかだか一般人に、小さいとはいえ一国の軍隊にかなうはずはないが、警戒はしておくに越したことはない。
ジェイドはもともと、世界が世界樹によって造られたことは認めているとしても予言に関してはまったく信じていない人間である。
よって、たとえ救世主が現れたとしても民衆が強い力を持つただの人間を英雄に仕立て上げようとして生まれるものだろうと考えていた。
もし、本当にその救世主が世界樹から生まれたものであろうとも、かの存在がこのライマ国を悪とみなし剣を向けるというのであれば、ジェイドは躊躇なくその救世主を殺すだろう。
ディセンダーにとって世界を守ることが役目であるように、ライマ国を守ることが彼の役目なのだから。
「…では、『政治学』の方の授業を始めましょうか。」
ジェイドはそう言って分厚い教本を開く。
この後の授業は、いつも不真面目なルークですら静かだった。
この時は誰も予想していなかった。
ジェイドが子どもたちに投げかけた仮説が現実のものになることも。
彼ら自身が救世主と共に世界を救うことになるとということも。