1章「そして彼女は目を覚ます」
□18話
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アデルが記憶を取り戻すことを決意したことと、その理由である「人を殺したかもしれない」という言葉はすぐにギルド内に広まった。その日の夕食の席はその話でもちきりであり、食堂はやけに重い雰囲気に包まれていた。
「アデルの奴、こんどはいったい何を言い出すのかと思えば…人を殺したかもしれない、か」
カイウスは、沈んだ顔で皿の上のミニトマトをフォークで転がす。先ほどから、同じ動作しか繰り返していない。
「まったく、冗談も休み休み言えってのよ!あの子、この船にきたばっかりの時はろくに戦えもしなかったくせに!」
イリアはそう怒鳴ると、ヤキクソ気味にフライドチキンを取ってかじりついた。
「そ、そうだよね。素振り10回で手に血豆ができてたくらいだし…」
「夜中に筋肉痛になって、わめいたりな」
「ただの夢だってのに、オーバーに騒ぎすぎなんじゃない?どうせ、また依頼で外に出るようになれば忘れるわよ」
ルカは自分に言い聞かせるように、リッドは楽観的に、マルタはやや不機嫌にそう言いながらパンを食べる。
「...すごいなぁ、アデルは」
「ファラ?」
「すごいよ。私だったら、そんな夢見たら...忘れてしまいたいって思うもの。」
そう言うファラの表情は、いつになく暗い。食事もなかなか進まないらしく、好物であるはずのオムライスも半分しか食べていない。
「そう、ですよね。…忘れたいのに、忘れられないということも…苦しいことですから」
ミントもファラと同様に食事が進んでおらず、珍しくその顔から頬笑みも消えている。
「でもさ、アデルの記憶が見つかれば万事解決なんだろ?アデルが人を殺すはずがないって、俺達は信じてるわけだし」
「そうだよ!アデルだって、記憶が戻ればあれはただの夢だったって確信できるもんね」
対照的に、スタンとシングは至っていつも通りである。もちろん食欲だっていっさい衰えていない。
「……あんた達って…」
「「え?」」
「いや、なんていうか…今日ばかりは、あんた達のノーテンキさがまぶしくみえるわ」
「ふふっ、そうだね。二人の良い所だよ」
スタンとシング、そしてその後のルーティとコハクの言葉に、少しだけ笑い声がおきて場の空気がなごむ。
「じゃあ、私達も協力してあげなくっちゃ」
「ところで、記憶取り戻すって具体的に何をしてるの?」
「さぁ…研究室組は朝から部屋にこもりっきりで食堂こねーしなぁ」
「俺らだってクレスから話聞かなきゃこの話知らなかったし」
「あれ?そういえばクレスは?」
「まだ修行を続けたいとおっしゃってましたので、甲板だと思います」
「まだやってるんだ。夕飯なくなっちゃうよ?」
「大丈夫ですよ、来ていない人の分はちゃんと取り分けてありますから」
「さすがロックス。じゃ、遠慮なく」
「ちょっとリッド!それ最後の肉だったのよ!?ここにいるメンバーの分は考えなさいよ!」
「いや、そのお肉食べたのほとんどイリアだからね?」
「うっさい!ルカちゃまのくせに!」
いつも通りの食堂の風景に戻っていく中、シャーリィはじっと目の前のスープ皿を見つめていた。中に入っているオニオンスープが冷めきってしまっていることはわかっているが、どうしても口をつける気になれない。
「シャーリィ?」
すぐ隣からセネルの声がして、体がびくりと震える。
「どうかしたのか?具合でも悪いのか?」
兄の心配そうな顔を見て、慌ててシャーリィは無理やり笑顔を作りだす。
「だ、大丈夫だよ。ちょっとぼーっとしてただけだから」
「そうか?食事だってまったく食べてないじゃないか。つらいなら、部屋で休んでるか?」
「そ、そうだね…ちょっと、休もうかな」
「ああ。部屋まで送ってってやる」
「大丈夫だよ!お兄ちゃんまだ食べてるでしょ?一人でいけるから」
「そうはいくか。部屋に戻る途中で倒れたらどうする」
「ほ、ほんとうに大丈夫だから!」
兄の優しさが、今は苦しい。その後なんとかして付いてこようとする兄の申し出を断って、シャーリィは一人食堂を後にした。
「………はぁ」
廊下を歩きながら、大きなため息をつく。
(お兄ちゃんに悪いことしちゃったかな…でも、具合が悪いわけじゃないのに心配かけたくないし…それに、)
私はアデルに記憶を取り戻してほしくないのだと、
あの場所で、あのタイミングで、あの雰囲気の中で、どうして言えようか。
(…こんなこと、思っちゃうなんて。最低だ、私…っ)
どんっ
「きゃっ」
「ひゃぁっ」
下を向いて歩いていたせいで、誰かにぶつかってしまった。謝らなければ、と顔をあげて、
ピンク色の髪の毛が、一番初めに目に入った。次に、ふわりとした綺麗なワンピースが。大きく見開かれた水色の瞳が。
相手が、つい最近ギルドに加入したばかりの王女様だと気がつくまで数秒かかった。
「すみません、よそ見をしていたものですからっ…お怪我はありませんか?」
その間に王女様は先に立ち上がり、シャーリィに向かって手を差し伸べてくれている。王女様の後ろには仲間の男の人がいて、しゃがみこんだままのシャーリィをのぞきこんでいる。
(だめ、だ。だめ、だめ、だめっ!)
いくら自分を叱咤しても、本能に刷り込まれてしまっている恐怖心には耐えられなかった。
その手から目をそらし、勢いをつけて立ち上がって、後ろに向かって走り出した。
その人達から逃げ出した。
「あ、」
王女様が何か言いかけていたけれど、振り返ることなんてできなかった。
一刻も早くこの場から逃げたくて、目的地も決めずに両足を動かした。