1章「そして彼女は目を覚ます」
□15話
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エステルが、悲しそうな顔でわたしを見つめている。
「私のせいで、あなたに大変なお怪我をっ…本当に、すみません…」
私は、どうやら医務室のベッドで寝ているようだ。エステルが、ベッドのそばにある椅子に座って私の手を握っている。
「あなたは、命の恩人です。あなたがいなければ私は…いえ、ガルバンゾ国は、」
エステルの声が涙で詰まった。
私の手を握るエステルの手は、震えている。
(あれ?おかしいな…この、光景は)
エステルの震えている姿も、かけられた声にも、この手の温かさにも覚えがあった。
そして、何も意識していないのに、わたしの手は勝手にエステルの手を握り返し、わたしの口が勝手に動く。
「あなたが…無事で、良かった」
すると、エステルの目から涙が溢れた。
「ありがとう、ございます…」
(そうだ、これは…私の記憶だ)
この光景は、少し前…わたしがサレと戦って、依頼に失敗して、ギルドに戻ってきた時の記憶。
クラトスに怒られて、すごく泣いた後。消灯時間ぎりぎりになって、彼女達が医務室を訪ねてきた時のことだ。
そこで初めて、わたしは彼女達の名前を知った。
ガルバンゾ国という国の王女様、エステル。
エステルの友達で、研究者のリタ。
そして、ガルバンゾ国のギルドで働いており、星晶採掘場を調査したいというエステルの依頼を引き受けたユーリ。
3人の故郷であるガルバンゾ国とサレのいるウリズン帝国は、星晶を巡って争い合っているらしい。
そして、サレは戦いを有利な方向に持っていくためにエステルを利用しようとしたのだ。
「もし、あの時…あなたが助けてくださらなければ、わたしはサレに捕まっていました。もしそうなっていたら、ガルバンゾ国とウリズン帝国の争いは、さらにひどくなっていたことでしょう」
エステルが、涙をぬぐいながら語る。
「ありがとう、ございます」
エステルの後ろにいたユーリが、少し身をかがめて私を覗き込んできた。
「俺からも礼を言わせてくれ。お前は俺の恩人でもあるからな。こいつに何かあったら、俺は殺されるとこだった」
「ほんと、冗談じゃなくそうなってたでしょうね。とにかく、その……助かったわ。あんたのおかげで、このギルドにも置いてもらえることになったし」
リタは、少し目線を反らせて顔をしかめている。そして、「礼を言う時は相手の目を見るもんだろ」と言ったユーリの足をふんずけた。
「いって!お前なぁ…」
「うっさい!言われなくてもわかってるわよ!」
「リタは照れているんですよ」
「ちょ、エステル!?べ、別に照れてなんかっ…」
「わりぃな、嬢ちゃん。こいつ普段からあんま礼を言う習慣がないから、慣れてねーんだ」
「うるさい!だいたい、礼儀がなってないのはユーリの方でしょうが!」
「あぁ?俺がいつ、礼儀を忘れたって?」
「数えきれないくらいあるわよっ!ねぇ、エステル!」
「え、ええええ!?えっと、その…まぁ、それもユーリの良い所ですし…」
「おい、無礼なところは否定しないのかよ…」
「自覚がないなら、今ここで全てを暴露してあげましょうか?あんたのその礼儀の無さと教養の無さからきた無礼の数々をね!」
覚えている。
リタとユーリの言い争いも、少し困った顔でエステルが止めに入ることも。
そして、この後私がいう言葉も。
「お礼を…言ってもらうようなことじゃ、ないよ」
少し目を見開いて、3人が私を見つめてくる。
「わたしが、勝手に守りたいって思ったの。勝手に、守るって約束したの。」
彼女の、エステルが困っている姿を見て、居てもたってもいられなかった。後のことなんて考えてもいなかった。
相手の強さや自分の強さだとか、勝つとか負けるとか、そんなことも考えていなかった。
「でも、結局…わたしは、サレに勝てなかった。わたしを守ってくれたのは、エステルの方だよ?わたしを助けるために、死のうとまで、させちゃっ…」
枯れたと思った涙がまた溢れてくる。わたしは、記憶の中のわたしと一緒に涙を流す。
『それなら…わたしは、この命を自分で絶ちます。あなたの思い通りになんて、させません!』
サレの攻撃をくらって、エステルの腕の中で動けなくなったあの時に聞いた、あの必死な叫び声が耳に蘇る。
わたしのせいだ。
わたしが弱いからだ。
弱いくせに、一人で戦って、負けてしまった。
クラトスが言っていたことは正しい。わたしは弱いのだから、あの森で仲間とはぐれてはいけなかった。囮になって仲間を逃がすことよりも、仲間と共に走って道を切り開くべきだった。
そしたら、仲間と一緒にエステルを助けることもできたかもしれない。サレに勝てたかもしれない。
ヘーゼル村への荷物だって、壊されずにすんだかもしれない。
「ごめんっ…なさっ…」
クレアが、あんなに心配していた村のためだったのに。ヴェイグが何よりも大切にしていた依頼だったのに。二人に笑ってほしかったのに。
わたしが、彼らの笑顔を奪ってしまった。
「…過程はどうあれ、結果としてエステルを含めて俺達が今ここに居られるのは、お前のおかげだ」
ふと、大きな手が頭に添えられる。
「エステルのために戦ってくれて、ありがとな」
顔をあげると、ユーリと目が合った。ユーリは私の頭にのせた手で、乱暴に頭を撫でてくる。
その手がやけにあったかくて、心がすっと落ち着いていく。
「…アデル、あなたはサレの攻撃からわたしを守ってくれました。命を落とそうとしてまで私を守ってくれたのは、あなたです」
エステルが、私の手を握る力を強めた。
「謝らなければいけないのは、私の方です…」
再びエステルの目からこぼれる涙。
いけない、またエステルを泣かせてしまったというのに、私の目から流れる涙は止まらない。
「あーもうっ!ばっかじゃないの!?」
「リ、リタ…馬鹿というのは、いくらなんでも…」
「馬鹿よ馬鹿!見ず知らずの人間のために依頼ほっぽりだして体はって死にかけて、だというのに勝てなくてごめんなさいだなんて、馬鹿以外の何ものでもないわっ!あんたはね、もっと胸を張るべきなのよ!!そんな風に泣かれたら、礼を言いに来たこっちが気まずいでしょうが!!」
「ご、ごめんなさっ…」
「謝るの禁止!」
「は、はいぃっ!」
あまりの勢いに呆気にとられ、いつのまにかわたしの目の涙は止まっていた。
「くっくっくく…」
「な、何よユーリ!何笑ってんのよ!」
「いや…リタ、お前エステルといい、こいつといい、こーゆータイプに弱いよな」
「ななななんなのよ急に!言いたいことがあれば、はっきり言いなさいよ!」
「お前こそ、ちゃんとはっきり言ってやれよ。要は、このお嬢ちゃんのやったことは立派なことなんだから、自信持てって伝えたいんだろ?」
ユーリの言葉に、リタの顔が耳まで真っ赤になる。
「別にっ…あたしは、ウジウジされるのが嫌なだけよっ!」
「まったく、素直じゃねーの」
「それもまた、リタの良いところです。アデルも、そう思いますよね?」
「うん。リタって優しい人だね」
「はぁっ!?だからあんたは…いや、もういいわ。疲れてきた…」
がっくりとうなだれるリタを見て、ユーリとエステルが笑う。
(仲、良いな…)
彼らが初めに医務室に入ってきた時、ユーリとリタからは今までアデルが関わってきた人達とは少し違う印象を感じていた。
どんどん他人との距離を縮めていこうと関わっていくアドリビトムのメンバーとは逆で、彼らは自然に他人と距離を置く。
他人を寄せ付けないわけではない。ただ、他人との間に一線を引いている。そんな感じがした。
だけど、こうしてエステルを挟んで話している3人に心の距離は感じられない。これはきっと、仲間だから許される距離感なのだろう。
「とにかく、俺達もしばらくの間このギルドで働くことになったからよ。これからよろしくな、アデル」
ようやくリタとの口論がひと段落ついたユーリが、アデルを振り返る。
「そうなのです!これからは、アドリビトムの一員として私もアデルの力になれるよう頑張りますね!」
エステルは、嬉しそうに頬笑んでずっと握り続けているアデルの手を優しく両手で包んだ。
「国には帰れないしね、しばらく厄介になるわ」
リタもようやく、アデルの目を見てそう言った。
(ギルドで働くってことは…つまり、)
「仲間に…入れてくれるの?」
初対面でも強く結ばれているとよく分かる、彼らの絆の中に、自分も入れるのだろうか。
そう尋ねると、少しきょとんとした顔をした後、エステルがほほ笑んだ
「その許可は、私達の方からとらなければいけませんね。私達を、あなた方アドリビトムの仲間に入れていただけますか?」
嬉しかった。
今は心の距離を感じるけれど、仲間になればもっと近づけるようになる。
優しい彼らに、近づける。
そう考えると、嬉しくて嬉しくて、心がはじけ飛びそうだった。
「嬉しいっ…「嫌だ!!」
風景が、消えた。
「そんな国の奴らと、どうして仲間にならなきゃいけないんだっ…!」
「エミ、ル…?」
エミルが、少し離れたところから私を睨んでいる。
「…結局、一度も謝らないのね。」
「マルタ?」
エミルの隣に、急にマルタが現れた。少し悲しそうな顔で、うつむいている。
「そもそも、ヘーゼル村への支援物資を届けられなかったのだって、そいつらのせいでしょ?アデルを怪我させたことは謝ってきても、支援物資をめちゃくちゃにしたことは謝らないのね」
「仕方ないわよ。価値観が違うんだから」
「ルビア…!」
マルタの隣には、ルビアがいる。いつも笑っているルビアが、悲しそうな顔でこちらを見つめている。
「その人達は、支援物資がどれだけ大切なのかわからないのよ。搾取される苦しみっていうのを知らないんだもの。店に買うものがないなんて体験をしたことがないから、当然だわ」
「ち、違うよ…エステル達は、悪くないよ?悪いのは、わたしだもの。わたしが、一人で戦いにいったから、だから」
どれだけ必死に離しても、エミル達はわたしを見ない。
「…俺は、わかんねーよ」
「カイウス…」
ルビアの隣にいるカイウスは、無表情だった。だけど、その目は怒りに燃えていた。
「なぁ、どうしてそんなに…普通に人を殺せるんだ?」
「人殺し?どういうこと、カイウス?」
「見えないの?アデル」
カイウスの後ろから現れたのは、シャーリィだ。少し震えながら、おびえながら、シャーリィがエステル達を指差している。
「シャー、リィ」
「よく見て、その人たちの足元…足の、した」
足の下?
いつのまにか、私は黒い黒い地面の上に立っている。
シャーリィの言葉に、ようやくわたしはエステル達の方を見た。
エステル達は少しだけ悲しそうな、それでいて諦めたような顔をしている。
その足の下の床は、なぜかガラス張りのように透けて見えた。
「ひっ…!」
何人いるのか、数えたくないほどの、
命を失った人間が、彼らの足元に埋まっている。
五体満足な体はほとんどない。黒ずんだ体の至るところから、さらに黒い血が流れてる。
「そうだな」
ユーリが、口を開いた。
「俺は、人を殺した。……けどな、そういうお前らはどうなんだ?」
「ユーリ?何を言ってるの?」
「人はね、アデル。犠牲なしには生きられないのよ」
「リタ?」
「誰だって同じ。あんた達は、それを受け入れられないだけよ。だから、他人のせいにして罪から逃げたいんでしょ」
「ち、違うよっ…皆が、そんなことするわけないものっ!そうでしょ?」
助けを、
救いを求めるように、エミル達の方を振り返る。
だけど、
「そん、な……」
エミル達の足元にも、たくさんの死体が苦しそうな顔のまま埋まっている。その体は傷こそついていないが、どれもやせ細っていて、とても人には見えない姿だった。
「ねぇ、ウソでしょ?嘘だよね?みんな、優しい人達だもの。困ってる人を助けるために、頑張ってるじゃない。殺すはずないもん、そうでしょ?ねぇ!!」
「くっくくっ…あはははは!」
いきなり、黒い黒い世界に明るい笑い声が響いた。
「あなた…だれ?」
わたしのすぐ後ろに、金色の髪の少年が立っていた。白い服を着た、緑の瞳の少年はぞっとするほど綺麗な笑顔でわたしにささやいた。
「あれ、僕のこと忘れちゃった?ほんっと君って残酷だよね。ま、それもそうか。僕らのこと見捨てたんだもん。覚えていたくなんてないよね、自分のしでかした過ちなんて」
「みすて、た…?」
「そうだよ。君は、僕らだけじゃなくて世界を見捨てた。ほんっと、世界樹もどうしてまた君を選んだのかな。ほら、自分の足元もよく見つめてごらんよ。都合良く自分の罪だけ忘れるだなんて…許さないから」
震えている。
体の震えが、とまらない。
「さぁ、ちゃんと見なよ!」
見てはいけない。
そう心が叫んでるのに、少年がわたしの髪を掴んで、無理やり顔を下へと向けた。
そして、目が合った。
足元に沈んでいる、幾千もの抜けがら。命を失った肉体。かつて人だったはずの者達。
彼らが、みな足元から私を見つめている。魂が無いはずなのに、口だけが動いてる。
まるで、地響きのような低い声が、たった一つの言葉を繰り返し繰り返しつぶやく声が、私の体を貫いた。
『コノ、ウラギリモノ』