1章「そして彼女は目を覚ます」

□14話
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「あら、クラトスさん。丁度いい所に。」

夕食を終えて自室に帰る途中、通りかかったホールでアンジュに呼び止められた。

「…まだ、仕事をしているのか?」

もう夜も遅い時間だというのに、アンジュはいつものギルドの窓口に立っており、手元には依頼の資料と思われる紙が山積みにされていた。

「もう終わろうと思っているんですけれど、終わるためにはちょっと男手が必要なんです」

アンジュはそう言って、目線で自分の足元を指した。

不思議に思って近づくと、アンジュのスカートに細い腕がしがみついているのが見えてぎょっとした。

「………何をやっているんだ、こいつは」

アンジュの立っている執務台の下には、(いったいこの小さな隙間にどうやってもぐりこんだのか)アデルが小さく丸まってうずくまっている。
さらに、アンジュのスカートをしっかりと握りしめており、離す様子はまったくない。

「いつのまにか眠りこんでしまったみたいなんです。起きる様子はまったくないし、申し訳ないんだけどこの子を部屋まで運んでもらってもいいでしょうか?」

いつも周りが引くほど前向きで、好奇心の塊で、底が見えないほどの体力馬鹿な彼女からは考えられない姿である。

「何かあったのか?」

「さぁ。聞いても何も答えませんし…ただ、目が真っ赤に腫れてましたから、何かはあったんでしょうね」

なんとなく、想像はつきますけど。

アンジュはそう小さくつぶやき、悲しそうに顔をゆがめた。

「仲間が仲間を憎む姿を見る事は、彼女にとって相当な傷を与えるだろうって…わかっては、いたんですけどね」

「…いずれは、知らなければならないことだ。」

「わかっています。けど……彼女には、知らないままでいてほしかったと思っている自分がいるんです。このままでいてほしい、変わらないでいてほしいって。…彼女が人のことを綺麗だと信じてくれることに、すごく救われていたから」

ギルドマスター失格ですね、わたしは。

アンジュはそう言って自嘲気味に笑う。

「…本当につらいのは、幼いころから大国の横暴に耐える生活を強いられてきた子達だというのに」

この船に乗っているメンバーは、直接にしろ間接的にしろ、大国の被害にあってきたものばかりだ。

そして、その被害の受け止め方も人それぞれである。彼らはまだ子どもであり、全員が現実と過去を割り切って考えることなどできはしない。

「エミル君や、マルタ…そして、ルビアとカイウス君。たぶんシャーリィもだと思うけど、あの子たちがガルバンゾ国の人達を仲間だと受け入れる事は難しいと思います。」

彼らは感受性が高く、優しいからこそ与えられた傷が強い。

だが、大国に生活を奪われ、大切な人を奪われ、それで憎むなと言う方が酷だ。

憎い相手を仲間だと受け入れることが出来ず、そして受け入れられない自分に対しても傷つくだろう。

「始め、わたしはあの人達をギルドメンバーとして受け入れるべきではないと思っていました。……例え、メンバーの中に大国に対する偏見がなかったとしても」

「それは、そうだろうな。…あまりにも、リスクが大きすぎる。」


ギルドマスターとしては、それが正しい選択肢だ。


なにせ、相手はガルバンゾ国の王女に、指名手配中の犯罪者(に、仕立て上げられた男)、さらに騎士団からの依頼から逃げ出してきたガルバンゾ国を代表する研究者である。

犯罪者を匿った罪だけでなく、王女を誘拐した罪まで押しつけられる可能性がある。もちろん、ユーリはそのようなことはしないだろうが、ガルバンゾ国側がその気になれば簡単にこのギルドはつぶされてしまう。

王女を取り返すために、犯罪者を捕えるために、研究者を連れ戻すために、

ガルバンゾ国騎士団が、紳士的な対応をとってくれるとは限らないのだ。

「それでも…私には、あの人達をギルドから追い出すなんてこと、できなかった」

ギルドを守る責任は彼女にある。
まだ、ようやく成人したばかりの女性の肩に、このギルドの命運がかかっている。

彼女はギルドマスターとしての立場を理解しているし、行動力もあれば決断力もある。

にもかかわらず、彼女がギルドを危険にさらす道を選んだ理由は、

「この子が連れてきた人達を…この子が、体を張って守った人達を、私が守らないわけにはいきませんから」

血まみれになって、ボロボロになって帰ってきたアデル。彼女がそうまでしてあの王女様を守った理由は、たった一つだ。

困っている人がいたら、助ける。

そうするように教えたのは、アンジュだった。

「ガルバンゾ国の人たちが入ってきたことは、仲間にとってもギルドにとってもあまり歓迎できない部分はあります。ですが、アドリビトムは中立のギルドです。これを機に仲間が持っている大国への偏見を捨てられたら…この子が、人と世界の本当の姿と、現実と向き合ってくれたら。それだけでもあの人達を仲間として受け入れる意義があると思います。

だけど、それでも…現実を知った上で、綺麗なままでいてほしいと願うのは私のわがままだと思いますか?」

いつものアンジュからは考えられない弱気な発言に、クラトスは思わず吹き出した。

「………過保護だな」

「そうかもしれません。…そういうクラトスさんも、この子にはずいぶん甘いですよね」

アンジュの言葉に、今度はクラトスの表情が渋くなる。

「ガルバンゾ国の人たちを守るために、この子が大けがして帰ってきた時のクラトスさんは、見者でしたよ」

痛い所を突かれた。

にこやかに笑っている女性は、すでにいつものアンジュで、こうなってしまった彼女には勝てるはずがないということはすでに経験積みだ。

……いったい何歳離れているのかは数えたくないが、時にこの年下の女性には畏怖すら感じる。

とにかく、この場は逃げた方が得策だろう。

クラトスは身をかがめアンジュの執務台の下にいるアデルを無理やり引きずり出す。

「こいつを部屋に届ければいい、という話だったな」

「まぁ、ありがとうございます。よろしくおねがいしますね」

クスクス笑いながら、アンジュが小さな声でつけたした「パパ」という言葉は聞こえないふりをした。
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