1章「そして彼女は目を覚ます」
□3話
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アンジュは、いつものように一人ギルドの書類作業と向き合っていた。
ギルドに寄せられてきた依頼に目を通し、分類し、達成期限の短いものから優先的に依頼リストへ登録していく。
たいして大変な作業ではないのだが、今日はまったく進まない。
原因はわかっている。
1時間ほど前に起きた、あの出来事のせいだ。
『アンジュ、今さっき世界樹を見たか!?』
血相を変えたウィルが甲板からホールに飛び込んできた。
『え?私はずっとここで作業してたから見ていませんが…』
『そうか、見なかったのか…。いや、ついさっきなんだが…世界樹が、光ったんだ』
『世界樹が?』
『ああ。見間違いかとも思ったが、一緒にいたミントやクレスも同じものを見ていた。ミントとも話たのだが、もしかしたら、あの現象は…』
『アンジュさん、聞いてください!もうカイウスったらね、さっきの依頼で…』
『俺だけのせいじゃないだろ!?そもそもルビアが!』
『だってカイウスがあんなこと言うから!』
『はいはい、落ち着いて二人とも。
すみません、ウィルさん。ちょっと行ってきますね』
『いや、構わない。それに、俺の話は…あまりに非現実的だ。忘れてくれ』
ウィルはそう言うと、研究室へと戻って行った。
依頼から帰ってくるなり喧嘩を始めたルビアとカイウスをなだめ、少し説教をし、和解させ部屋へ戻らせた後、アンジュは作業を再開しながらウィルの会話を思い出す。
ウィルが何を言いたかったのか、なんとなく察しはついていた。
おそらく、彼はこう続けたかったのだろう。
(もしかしたら、予言に記された救世主が誕生したのではないか?)
世界に危機が訪れた時、世界樹が生み出すと予言されている救世主…ディセンダー。
しかし、過去の天災、殺戮、戦争、それらの歴史のどこにもディセンダーがあらわれたという記録はない。
(『非現実的だ』と言われても…しかたがないのよね)
でも、もし先ほど光ったという世界樹から、本当に救世主が生まれたのだとしたら?
戦争が終わる。
貧しい者が、力のある者に虐げられなくなる。
飢えることがなくなる。
誰も傷つかなくなる。
平和な世界がくる。
そんな世界になると、教会で教えられたし、私も人に教えてきた。
…だが、しかし。
戦争をどうやって終わらせる?
どうすれば、格差がなくなる?
どうすれば、飢えがなくなる?
どうすれば、傷つけずにすむ?
どうすれば、誰もが平和を手に入れられる?
(ああだめだ、仕事が進まない)
どれだけ考えても答えがでるわけではない。
とにかく、目の前の作業に集中しなければ…
アンジュがそう決意し、新しい依頼の束を開き始めたその時、操舵室の方からリッドの声がした。
「ルバーブ峠に降りるぞー」
轟音を立てながら、船が静かに下降していく。
ルバーブ峠の依頼を受けていたのは、たしか今日はカノンノだけだ。
「アンジュさん、ただいま!」
「おかえりなさい、カノンノ。…あら、そちらの方は?」
カノンノの後ろから、知らない女の子があたりをきょろきょろ見渡しながら歩いてくる。
「紹介しますね、さっきルバーブ峠で会ったアデル。アデル、こちらはアンジュさん。」
「はじめまして。私はアンジュ・セレーナよ。このギルド『アドリビトム』のリーダーをしているわ」
「はじめまして。わたし、アデル」
アンジュが握手をしようと手を差し伸べると、アデルはきょとんとその手を見つめている。
「アデル、初めて会う人とは手を握って挨拶するんだよ」
「てを?わかった!」
アンジュはカノンノの言葉に初めて手を差し出す彼女の動作に違和感を覚えつつも、その手を握った。ドキッとするほどやせ細っている彼女の手は冷たい。戦争に巻き込まれた村の子どもなのかもと思ったが、それにしてはきれいな格好をしているところが気になる。
「えっと…アデルはどこから来たの?依頼の話かな?」
「いらい?」
「あ、違うんです!アデルには、記憶がないんです。」
カノンノの言葉に、アンジュの思考が止まった。
(記憶がない?)
「1時間くらい前、空を光の玉がすごい勢いで通り過ぎていって、ルバーブ峠の頂上で止まったのを見たんです。それで、気になって行ってみたら、彼女が光に包まれて浮かんでて…」
(1時間くらい前に、空から降りてきた?)
「どこから来たのかも、どこへ行く予定だったのかもおぼえてないらしくって。だから、思いだすまでここで一緒に生活できないかなって思って一緒に来てもらったんです。剣も使えるみたいだから、ギルドでも働けるだろうし…アンジュさん、いいですか?」
カノンノの提案を、アンジュはほとんど聞いていなかった。
世界樹が光ったその時に、空から降ってきた記憶のない少女。
まさか。
まさか、まさか。
目の前の、この少女が
(予言の…救世主だっていうの?)