ヴァンジェ ―異端の花嫁と獣の王者―
□Chapter13. 『崩壊』
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ディアナたちの背後に立っていたのは、豪奢なドレスを身に纏った三十代くらいの女性だった。
それだけならば、特に驚きもしなかったのだが、女性の額には穴が空いており、そこから血がどくどくと流れ落ちているのだ。
その穴は、間違いなく銃創だろう。
先程の骸とは違った恐怖心が芽生え、ぞくりと全身総毛立つ。
「どうして……?」
紫色に変色した唇が、わなわなと震えつつもゆっくりと動く。
「どうして、貴女は私の主人を殺してしまったの……?」
女性の悲哀と非難を帯びた視線が、ディアナへと固定する。
女性の言葉に耳を傾けながら、まさかまさかと焦燥感と恐怖心が膨らむ。
「私は、何度もやめてって言ったのに……!! 貴女は私の主人を殺した!! いいえ、それだけじゃない!! 私も子供も、みんなみんな、あの場にいた者を貴女が殺したのよ!!」
女性は激しく髪を振り乱し、ディアナを指差して糾弾する。
女性の瞳の奥では、憎悪の炎が燃え盛っていた。
先刻までの死人そのものの様子とは違い、今では信じられないほどの力が漲(みなぎ)っている。
この人はおそらく、ディアナが殺害した人間の一人なのだろう。
「ち、が……」
咄嗟に口から飛び出した否定の言葉に、女性は一際まくし立てる。
「何が違うって言うの!! 貴女が殺したのは事実でしょう!? 人殺し!! この、人殺しが!!」
「……や、めて……」
小刻みに震える両手で耳を塞ぎ、一歩、また一歩と後ずさる。
ここにはディアナだけではなく、フェイもいるのだ。
これ以上の叱責には耐えられない。
それなのに、女性から目が離せない。
思うように身体が動かない。
「――人殺し」
背後から、別の侮蔑の声が飛んでくる。
おそるおそる振り返れば、そこには身体のどこかに銃創があったり、首が曲がっていたり、刃物で斬られた痕を持っていたりと、致命傷を抱えている無数の人々が、ディアナに氷のごとく鋭く冷ややかな眼差しを向けて佇んでいた。
きっと、この人たちもこの手で葬ってきた被害者なのだろう。
頭から冷水を浴びせられた心地になり、さっと顔から血の気が引く。
「人殺し!!」
「私は殺されなければならないほどの罪を犯したというのか!?」
「子供は何も関係ないでしょう!?」
「どうして――どうして、平気で人の命を奪えるの!!」
「……やめて……もう、やめて……」
がくがくと膝が震え、今にも崩れ落ちそうになる。
隣でフェイが何か言っているのが聞こえたが、意味を為して頭に入ってこない。
呼吸が辛くなり、喘ぐように口を開いた刹那、最も恐れていた言葉が通路に響き渡った。
「――化け物!!」
その叫び声が鼓膜を貫いた瞬間、時が止まった気がした。
目の前の景色が色褪せ、頭の中で様々な記憶が急速に蘇ってくる。
声を高らかに、ディアナを見せびらかす男。
下卑た笑みを顔に張りつけ、ディアナをじろじろと品定めする人々の、不快な視線と話し声。
ディアナを買おうとした中年の男の、脂ぎった手。
喉笛が食いちぎられた遺体と、口内に広がる血の味。
悲鳴が飛び交い、逃げ惑う人々。
ディアナを化け物だと罵倒する声。
そして、拍手と共にディアナを称賛する男。
「……あ……あ……」
全ての音が遠ざかっていく。
自分の唇から発せられたはずの声が、耳に入ってこない。
視界が狭まり、全てが黒く塗り潰されていく。
(……嫌だ……嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!!)
もう何も聞きたくない、見たくない。
全てから、逃げてしまいたい。
「い……いやああああああああああああ!!」
きつく目を瞑り、ディアナを責め立てる目に背を向け、ただがむしゃらに逃げ去った。