ヴァンジェ ―異端の花嫁と獣の王者―

□Chapter6. 『救済の光』
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静寂に包まれた図書室の中で、ぱらぱらとページを捲る音が妙に響いて聞こえる。

ディアナは図書室の隅で、読みたい小説の山の横で、これまた小説を読み耽っていた。

気持ちが沈んでいる時や、自分のことを考えたくない時には、物語の世界に浸るに限る。

自分と全く関係のない世界に没頭していれば、余計なことを考えずに済む。

その行為が現実逃避に過ぎないと分かっていても、一心不乱に本を読み進めていく。

一度顔を上げて息を吐き出し、ちらりと隣の席を窺ったものの、もうそこにはヒースの姿はない。

先程まではディアナに付き合って一緒に読書をしてくれていたのだが、ヒースの時間を拘束しているみたいで、自分自身に嫌気が差し、一人になりたいからと言って退室してもらったのだ。

ヒースがディアナを案じてくれているのは、痛いほどに分かっている。

しかし、今のディアナは鬱屈とした気持ちを抱えているため、いつヒースに八つ当たりをしないかと考えると、気が気ではない。

視線を前方へと戻し、もう一度細く息を吐き出す。

(……私……駄目だな……)

ノヴェロ国に戻ってきてもう一週間が経つのに、未だにあの悪夢に心が囚われたままだ。

以前ならば、一日暗い気持ちをやり過ごせば、次の日には通常通りに戻っていたというのに。

ヴァルの優しさに甘えていたからか、かつてないほどの衝撃を受けてしまった気がする。

ふと、また鬱々とした感情が湧き上がっていることに気がつき、慌てて頭を振る。

(……ううん、駄目だって落ち込んでばかりいる方が、もっと駄目。これ以上、周りに迷惑をかけないためにも、いい加減逃げるのはやめなきゃ……)

己を叱咤激励して奮い立たせ、ぱたんと本を閉じる。

とにもかくにも、ずっと部屋の中に引き籠もってばかりいる現状を、まずどうにかしよう。

椅子から立ち上がって小説の山を持ち、本棚に足を向ける。

夕食の時間までここで読書をしているつもりだったため、かなりの冊数の本を持ち出してしまったと嘆息する。

(よく、これだけ集めてきたな……)

ある意味自分自身に感心し、一冊ずつ本を元あった場所へと戻していく。

丁寧にその作業を繰り返していくうちに、踏み台が必要なほど高い場所に戻さなければならない本もあり、微かに眉根を寄せる。

(……どうして踏み台を持ち出してまで、本を取ってきちゃったんだろう)

今さら過去の自分に腹を立てても仕方がないのだが、そこまでして取り出す必要はないだろうと、恨みがましくなってしまう。

いつまでも立ち尽くしているわけにはいかないから、踏み台を取りにいこうと踵を返したところで、後ろから声をかけられた。

「――あれ、姫? 姫も本を読みにきたの?」

蜜の滴るような華やいだ声が耳朶を打ったので振り返れば、そこにはフェイの姿があった。

「……フェイ? どうして、貴方がここに……」

「俺、元王子だからある程度は城の出入りが許されているんだよ。だから、ここの図書室には割とよく来るんだ。ここ、いい蔵書をたくさん取り揃えているから」

「そう……。私、この一週間、図書室に長い時間いたんだけど、フェイに会うのは今日が初めて」

「まあ、よく来るって言っても、通い詰めているってほどじゃないからねー」

「そっか。……私はちょうど読書が終わったところだから、この本仕舞ったら失礼させてもらうね」

「それなら、姫のお供しようかなー」

「え……いいよ。フェイは、今来たばかりでしょう?」

「そうだけど、せっかくこうして会えたんだし。何かのご縁だと思って、ちょっと俺に付き合ってよ」

フェイはにこにこと屈託なく笑い、ディアナの返事を待っている。

どうやら無理をしているわけではなさそうだから、無下に断ることもないだろう。

「……うん、分かった。それなら、こちらこそお願いします。この本、すぐに戻しちゃうから、ちょっと待ってて」

今度こそ踏み台を取りにいこうとした矢先、フェイに手にしていた本をひょいと取り上げられた。

そして、背の高い彼は難なく本を元の棚へと戻す。

あっという間の出来事で、思わず目を瞬く。

「姫は小さいから、こういう時大変でしょ?」

「……私、そこまで小さくない。多分、標準。フェイが大きいだけ」

「そう? でも、標準よりは少し小さいような……」

「そんなことない」

あまり小さいと連呼されるのは、気持ちのいいものではない。

ものすごく気にしているわけではないのだが、馬鹿にされている心境になってしまう。

自然と唇を尖らせていたディアナを宥めるように、フェイがぽんぽんと頭を撫でてきた。

「ごめん、ごめん。もう言わないから、機嫌直して?」

「……別に、機嫌が悪くなったわけじゃないけど」

決まりが悪くなってそっぽを向くと、フェイがくすりと笑う気配がした。

これ以上ここに留まっていては、もっとからかわれてしまいそうな気がして、彼に向き直って口を開く。

「……お供するって言ってくれたけど、私は薔薇園を散策する予定なの。それでもいい?」

「いいですとも、お姫様」

フェイはごく自然な仕草でディアナの手を取り、そこに口づけを落とす。

まるで、舞踏会での出来事を再現しているみたいだ。

ゆっくりと放された手を、きゅっと握り込む。

「それじゃあ、行こう」

「かしこまりました、お姫様」

今度は執事がするように、胸元に手を当てて恭しく頭を下げる。

「……フェイ。貴方は私の従者でも何でもないんだから、そんなことしなくていい」

「まあまあ、たまにはいいじゃない」

何が楽しくて、ディアナなんかの従者の真似ごとをしているのか、理解に苦しむ。

でも、本人が楽しそうなのだから別に構わないかと、早々に諦める。

そうしてフェイを連れ立ち、長時間世話になった図書室を後にした。
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