ヴァンジェ ―異端の花嫁と獣の王者―
□Chapter5. 『祝福の宴』
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「お待たせして申し訳ありませんでした、妃殿下」
「……私に対しても、そんなに恭しくしなくていいです。私は元々、身分が低かったから……だから、話しやすい話し方でお願いします」
「……何だか、ノヴェロの王族って素朴だね。普通、王族ともなれば権力を誇示して、他者とは違うって主張したがるものだと思っていたけど……」
「そういう貴方だって、あまり王族らしくないと思います」
「そうかもね。……じゃあ、ディアナも普段通りの喋り方でいいよ。君だけ敬語っていうのも、おかしいし」
「あ、ありがとう……」
「うん。それじゃあ、改めてよろしくね」
エルバートはディアナの手を掬い取るなり、彼女の手の甲に口づけを落とした。
「あー、エルばっかりするい! 俺も姫にキスの一つくらい、したい!!」
すかさずフェイもディアナの手を取り、同じように口づけを落とす。
ヴァルの額に、ぴきりと青筋が立つ。
「あ、あの……」
両手をそれぞれ別の男に取られ、ディアナは困惑したように眉尻を下げる。
「ねえ、姫。そろそろ次の曲が始まるから、今度は俺にエスコートさせてくれない? 最高のリードをしてあげるから、ね?」
「フェイ、抜け駆けはずるいよ。ディアナ、フェイと踊り終わったら、次は僕のお相手をお願いできますか?」
「え……私、そんなに踊るのは得意じゃないし、連続で踊るのはちょっと……」
一度に二人の男からワルツのパートナーを申し込まれ、ディアナはどうしたものかと戸惑っているみたいだ。
そんなディアナの反応すら楽しんでいるらしいフェイたちに、ヴァルは舌打ちをしたい衝動をぐっと堪える。
すると、今まで静観していたヒースがとうとう耐えかねたのか、後ろからディアナを抱きしめた。
「ヒース?」
「……最近、ディアナは俺のことを全然構ってくれないのですから、俺のことを優先するべきです。他の男と踊るくらいなら、俺と踊ってください」
ヒースは、ディアナの手を握っていたフェイの手をぺしりと叩き落とすと、自分の方に引き寄せて指先に唇を這わせた。
「おー、従者くん。大胆ー」
「これが、思わぬダークホースって奴だね」
「み、みんな……だから、踊るのは……」
男三人に挟まれる形になり、ディアナは困り切っているようだ。
先刻まではあんなにも堂々としていたのに、今ではすっかり困り顔で目を泳がせている。
おそらく、これまでこんな事態に陥ったことがなく、どう対処すればいいのか分からないのだろう。
ふと、彼女は助けを求めるようにこちらをじっと見つめてくる。
ヴァルとしても、いい加減我慢の限界だった。
ディアナから周囲の男を勢いよく引き剥がし、即座に彼女を自分の腕の中に収める。
「うわっと!」
「あー……怒らせちゃったみたいだね……」
「何故、貴方がこんなことをする必要があるんです?」
「――黙れ、下衆が」
三人三様、好き放題言葉を並べるフェイたちを、射殺すくらいの気持ちで睨み据える。
フェイとエルバートは、さすがに調子に乗り過ぎたかと言わんばかりに苦笑いを浮かべて顔を見合わせ、ヒースは図々しくも不満そうに唇を尖らせる。
そんな彼らを一瞥してから、無言でディアナの手首を掴み、その場から引き離していく。
背後から何やら不平不満を訴える声が飛んできたが、知ったことか。
「ヴァ、ヴァル……! もうちょっと、ゆっくり歩いて……!!」
後方を振り返れば、ディアナが躓(つまづ)きそうになりつつも必死に歩いている姿があった。
普段のディアナは動きやすい格好をしているため、ヴァルがすたすたと進んでしまっても何も言ってこなかったが、今はドレスに身を包んでいるのだ。
ドレスには慣れていないようだし、この歩幅のままでは酷に違いない。
「あ……悪い」
慌てて歩幅をディアナに合わせれば、彼女はほっと安堵の吐息を漏らした。
ディアナに歩調を合わせながら、バルコニーへと向かう。
今はあそこには先客がいないようだから、二人きりになれるだろう。
バルコニーに向かう途中、給仕の者から二人分のシャンパンを受け取り、バルコニーへ続く窓を開け放つ。
すると清涼な夜風が頬を撫で、広間に籠っていた熱気を吹き飛ばしてくれるようだった。
バルコニーに出ると、二人並んで夜空を見上げる。
夜空は満天の星々と、若干欠けている月で彩られていた。
あと少し舞踏会を開く日が早ければ、満月が見られたかもしれない。
隣を見下ろせば、彼女はちびちびとシャンパンを舐めるようにして飲みつつ、ぼんやりと夜の空を眺めていた。
今日は、ディアナの強さと弱さを鮮烈に目の当たりにした。
バスカヴィル国ともエルバートとも手を組むと、その場で即決できたほどの大胆さ。
もしヴァルだけだったならば、ウォーレスの交渉に応じられた自信はないし、自らエルバートに取引を持ちかけるという発想ができたかどうかも怪しい。
ディアナはきっと、切り捨てるべきものと何が何でも譲れないものを見極める目を持っているのだろう。
そして、どれだけ傷つけられようと、辱められようとも、耐え忍ぼうとしてしまう弱さ。
人によっては強さと受け取るのだろうが、ヴァルからすれば、ただ自分のことを大切にできていないだけのように見えた。
おそらく、ディアナは自分一人で抱え込めば済む話だと思っているのだろう。
自分が傷つくことで他の誰かが哀しむなど、想像さえしていないに違いない。
その姿は、頼ることを知らない、ただ無情な風雨に打ち萎れるしかない、儚い花のようだった。
強さも弱さも目にしたが、その結果得た感情は、何が何でも彼女を守りたいという庇護欲だった。
傲慢かもしれないが、ディアナの強さでさえ、一人で生き抜くための術にしか思えなかったのだ。
きっと、本当に誰にも頼れない環境でこれまで生きてきたのだろう。
しかし、これからは違うのだと教えてあげたい。
でも、いざ口にしようとすると、なかなか気の利いた言葉が思いつかず、結局沈黙し続けるしかなかった。
「……ねえ、ヴァル」
夜空を見上げていたディアナの瞳が、ゆっくりとこちらへと向く。
そのエメラルドグリーンの瞳は夜闇の中、神秘的に感じられ、思わず息を呑む。
何も言えずにいるヴァルに、ディアナは微かに目元を和ませる。
「本当に……守ってくれて、ありがとう。ああいう場で誰かに守ってもらったの、初めてだったから……心の底から感謝している」
ディアナの喜びに満ちているはずの言葉が、やけに悲痛に響く。
(……やはり、こいつは――)
守られるということを、知らないのだ。