ヴァンジェ ―異端の花嫁と獣の王者―

□Chapter4. 『今宵、貴方とワルツを』
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翌朝。

今日は雨が上がり、空が綺麗に澄み渡っている。

雨のおかげで、空気まで清浄になった気がする。

ディアナはヴァルと共に、バスカヴィル国の王都へ赴くため、結界を抜けたすぐ先にある、バスカヴィル国辺境の駅へと訪れていた。

花嫁行列の際には、伝統によって馬車を移動手段としたが、今のご時世では大掛かりな移動には蒸気機関車を使う。

今回、バスカヴィル国に出向くのは、招待を受けたヴァルとディアナ、身の回りの世話をするために付き添ってくれるヒースとベニタ、それから数人の侍従だけだ。

そのヒースたちも、ディアナたちが乗る、身分が高い者が利用する一等車には乗車できないため、今は傍にいない。

サイラスも来るものだと思っていたのだが、彼はヴァルが城を留守にしている間、代わりに指揮を執る必要があるから、残るらしい。

(そういえば、ヴァルって機関車に乗ったこと、あるのかな……?)

バスカヴィル国で暮らしていたディアナは、もちろん何度も利用した経験があるが、ヴァルの場合はないだろう。

普通の獣人は、それこそ王にでもならない限り、国外に出ることはないはずだ。

隣に佇んでいるヴァルをちらりと見遣り、そっと口を開く。

「ヴァルは機関車に乗るの、初めて?」

「ああ、ないな。お前はあるのか?」

「うん、そんなにたくさんってわけじゃないけど。でも、一等車に乗るのは初めて」

「そうか」

「うん」

そこで、会話が途切れる。

でも、これは今に始まったことではない。

ディアナたちにとっては、これが自然体なのだ。

互いに会話の糸口がある時には長く話し込んだりもするが、普段から多くを語らうわけではない。

決して仲が悪いわけではなく、ディアナもヴァルも口上手ではないからだ。

それでも、少しも沈黙が苦痛にならないところが、ヴァルと一緒にいて気楽に思える最大の理由だ。

もしかしたら、二人の間に流れる静寂が心地よいからこそ、無理してまで会話を続けようとする気が湧かないのかもしれない。

少なくとも、ディアナはそうだ。

ふと、遠くから汽笛が聞こえてきた。

機関車の駆動音まで拾えるようになったということは、きっとすぐに姿を現すだろう。

そうこうしているうちに、ディアナたちの前に黒い鉄の塊が駅に滑り込んできた。

幾度目の当たりにしても、この圧倒的な大きさには慣れそうにない。

隣にいるヴァルは初めて目にするからか、薄く口を開いたまま機関車を凝視している。

「……ヴァル、来たから乗ろう?」

ヴァルの袖を引いて移動を促せば、彼はこちらに向かって頷き、すたすたと機関車に乗り込んでいった。

初めて乗車する割には、その動きは慣れているものに見える。

(……もしかして、機関車の乗り方も前もって調べておいたのかな……)

用意周到なヴァルならば、ありえない話ではない。

ディアナもヴァルの後に続いて機関車に乗り込み、空いている個室に一緒に入る。

座席に腰を下ろすと、その座り心地のよさに目を見張る。

「ふかふか……」

思わず座席の感触の感想を口に出し、他にはどんなところが一般車と違うのかと、きょろきょろと辺りを見渡していたら、不意に向かい側に座っているヴァルと目が合う。

ヴァルの唇は微かに綻んでおり、明らかにディアナの反応を楽しんでいるようだ。

「……一等車に乗るのは初めてだって、言ったじゃない……」

「別に、何も言っていないだろう」

言い訳がましく口にしたら、かえって子供じみている気がしてきて、何となく居心地が悪くなった。

ヴァルの視線から逃れるように窓の外へと目を向けたものの、まだ発車する気配はない。

動き出してしまえば景色を楽しむふりができるのに、これでは彼と直視しないようにしているだけだと、一目瞭然だ。

密かに溜息を吐いて窓から視線を引き剥がし、再びヴァルと向き合う。

「……ヴァルは初めて機関車に乗ったのに、随分と落ち着いている」

「一応、それなりに物珍しく見て回ったつもりなんだけどな」

「じゃあ、どうしてこっちをじっと見ているの」

「お前の反応が面白いから」

「……私は見世物じゃない」

不機嫌そのものにむくれて見せたが、内心は別にそこまで嫌な気がしていない。

こうやってヴァルと些細な言い合いをするのも楽しいものなのだと、最近になって分かってきた。

(……うん。恋愛云々を抜きにしても、こういう風に少しずつ相手のことを知っていくのは、大事)

今までまともな人との付き合い方をしてこなかったからか、こうしたちょっとしたことでも、ディアナにとってはとても新鮮に感じられる。

ヴァルも感情的にさえならなければ、普段は至って落ち着いた気質なのも相まって、人と関わることに不慣れなディアナでも、気後れしないで接することができる。

これはいい傾向だと、胸中で何度も大きく頷く。

やがて、蒸気の上がる鋭い音が鼓膜を突き刺し、緩やかに機関車が走り出したと思ったら、次第に速度が上がっていく。

静かな振動に身を預けつつ、車窓の外へと視線を動かす。

ノヴェロ国と接する国境線沿いの駅から発車したため、窓の外に広がる景色は何もない、草原だけが広がっている。

(やっぱり、国境線の近くには建物とか造らないんだな……)

たとえ建築したとしても、そこを利用しようとする人間はいないだろう。

獣人の棲み処の近くに身を置くなど、常人では考えられないはずだ。

そのため、最初からこの辺りを開拓しなかったに違いない。

ヴァルはどうしているのかと窺えば、彼もディアナと同じように、座席の肘掛けに頬杖をつき、殺風景な景色を眺めていた。

獣人であるヴァルの目には、この光景がどう映っているのだろう。

少し気になったものの、ヴァルは考え事に耽っているようだったので、ディアナも大人しく流れていく景色をぼんやりと見ていた。
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