ヴァンジェ ―異端の花嫁と獣の王者―

□Chapter2. 『獣の城』
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(え……えっと……?)

ヴァルは言いづらいことを切り出した時よりも、もっと深い皺を眉間に刻みながら、ぷにぷにとディアナの頬を指先で弄ぶ。

痛くはないから、力を加減してつねっているのだろう。

というか、これは一体どんな意図があってやっているのか。

途方に暮れてヴァルの顔を見つめていると、彼はぼそりと言葉を零した。

「……そういうことは、安易に男に言うな」

怒っているのか、照れを必死に隠しているのか、ヴァルは不機嫌そうな顔をしているものの、ほんの僅かに頬が赤らんでいる。

その様子が何だか可愛らしく思え、内心微笑ましく眺めていたら、彼は鋭い眼光でこちらを見据えてきた。

感情が表に出にくいため、表情には出ていなかったと思うのだが、気配で悟ってしまったのだろうか。

優れた観察眼だと胸中で称賛しつつ、これ以上ヴァルの眉間の皺が深くならないようにと、小さく頷く。

一応了承の意を示したからか、ヴァルはディアナの頬から手を放した。

「ほら、行くぞ」

つねられた部分を咄嗟に擦(さす)っていたディアナに、ヴァルがぶっきらぼうに声をかける。

人によっては怖いという印象を受けてしまわれかねないヴァルに対し、自分でもよく分からないが、どうしてかこの短いやり取りの間に好感を抱いていた。

(きつい言い方にならないように、ちょくちょく気をつけてるみたいだし……意外と可愛げあるし……)

本人に言ったら今度こそ本気で怒られそうな言葉を頭の中に並べながら、こくりと頷く。

「うん」

少しだけ先に歩き出していたヴァルの元に小走りで駆け寄り、そのまま先程と同じように隣を歩く。

やはり、またもヴァルはディアナの歩幅に合わせて歩いてくれている。

こうしてディアナのことを女扱いしてくれるのは、本当に今までヒースしかいなかったため、妙にこそばゆい。

落ち着くのかそうでないのか、よく分からない気持ちを持て余しつつも、大人しくヴァルの隣で歩き続けていると、彼はとある扉の前で立ち止まった。

「今日から、ここがお前の部屋だ」

そう言うや否や、眼前の扉をそっと開けてくれた。

何だかんだで女の扱い方に慣れているのではと思ったところで、扉の先に広がっている部屋の内装が視界に飛び込んできた。

扉の前で突っ立っているのもどうかと思い、おずおずと中に足を踏み入れる。

部屋はディアナがこれまで使っていたものよりも遥かに広く、隅々まで手入れが行き届いており、清潔感に満ち溢れていた。

一瞬、アリシアが本来使用するべき部屋だったのではないかと考えたものの、ノヴェロ国へ赴く前に送ったディアナの家具の数々が、すぐに目に留まり、間違いなくここが新しい自室だと確信する。

綺麗に整頓されて配置されているためか、自宅に置いていた時よりも、数段高級感が増している気がする。

きょろきょろと部屋を見渡していたら、ふと扉の前でディアナの様子を眺めていたらしいヴァルと目が合う。

「気に入ったか?」

「うん、すっごく気に入った。本当に、ここが私の新しい部屋でいいの? 広さとか、姫の部屋とあんまり変わらないんじゃないかってくらい、贅沢な気がするけど……」

部屋の内装や、本来アリシアの侍女としてここへ訪れる予定だったことは既にヴァルに明かしているから、間違えたということはないだろうが、ディアナには分不相応に感じられて確かめずにはいられなかった。

ディアナがそう問いかければ、ヴァルは眉間に皺を寄せた。

「侍女としてここに来たとしても、大役を任されるのはお前だと聞いていたんだが……まさか、獣人だとバスカヴィルでは不当の扱いを受けるのか?」

「えっと……」

ヴァルの指摘はあながち間違っていないので、返事に窮してしまう。

それにしても、ウォーレスが包み隠さずアリシアの侍女の正体が獣人だと打ち明けていたとは、驚きだ。

(まあ……隠していても、いつかはバレちゃうかもしれないなら、最初から正直に話しておいた方がいいって判断したのかも)

下手に隠し事をすれば、かえって要らぬ猜疑心を抱かせてしまう可能性がある。

バスカヴィル国にとってはノヴェロ国は脅威そのものだから、何をするにしても誠意を見せておく必要があるのだろう。

ならば、ディアナを身代わりの花嫁として送り出す際も、正直に事情を話しておくべきだったのではないかと思わなくはないが、非常事態だったからそこまで気が回らなかったのかもしれない。

あるいは、王族ではない娘をサクリフィスにしたと知られれば、獣人が納得しないと危惧したからなのか。

(結局、私自ら種明かししちゃったわけだけど……)

でも、ディアナの正体を知ってもヴァルは受け入れてくれたのだから、結果良ければ全てよしだ。

獣人のくせに人間の国に入り浸り、肩入れしているのかという目で見られたわけでもないから、本当によかったと安堵したものだ。

それはともかく、ヴァルの質問にどう答えたものかと考えあぐねていると、彼は深々と溜息を吐いた。

「……やはり、人間は醜い生き物だな。自分たちとは違う、それだけの理由で獣人を拒絶するのだから」

ヴァルが吐き捨てた言葉に、何も反論できない。

実際、その通りだからだ。

理解できないから、遠ざける。

分からないからこそ、相手を傷つける。

人間はそういう生き物だと、確かに自分はこの身を以って思い知らされてきた。

だが、だからと言って人間という括りで彼らの全てを決めつけるのは、間違っている。

ギディオンやレイフみたいに、思うところがあっても優しくしてくれる人間もいるのだ。

ヴァルの言い方では、人間全員を否定している気がしてならない。

それでは、人間が獣人を恐ろしい生き物だと信じ込んでいるのと、何も変わらないのではないのか。

しかし、ここでディアナが人間を庇うのも何か違う気がする。

庇い立てできるほど、ディアナとて人間が好きなわけではない。

返答に窮しているうちにヴァルがこちらへと歩み寄り、どこか遠慮がちにディアナの頬へ触れた。

「……ここには、お前を傷つける奴はいない。いたとしても、すぐに排除してやるから安心しろ」

排除という単語に、背筋が薄ら寒くなる。

いくら何でも、それはやり過ぎではないかと口にしようとしたところで、ヴァルはディアナの頬から手を離し、こちらに背を向けてしまった。

「夕食時になったら、また迎えにくる。それまで、ゆっくり休んでいろ」

それだけ言い残すと、ヴァルは扉の向こうへと姿を消してしまった。

扉が完全に閉ざされたのと同時に、何気なくバルコニーに繋がっている大きな窓へと目を向けた。

身代わりの花嫁行列の間は曇っていた空が、今は素知らぬ顔で晴れ渡っている。

「……人間と獣人、か……」

この二つの種族が分かり合える日は、果たして訪れるのだろうか。

溝を埋めるのが難しいのであれば、せめて今まで通り、棲み分けをはっきりさせて争いが起きなければいい。

どちらの種族の未来もこの空みたいに澄み渡っていて欲しいと、心から願った。
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