ヴァンジェ ―異端の花嫁と獣の王者―

□Chapter18. 『悪魔の末裔』
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数日後、澄んだ青空が心地よい日に、支度を済ませたディアナとヴァルは、馬車に乗り込んだ。

これからヴァルの実家に顔を出すため、バスカヴィル国で滞在する間、ディアナたちの身の回りの世話をする使用人には、先に結界付近へと出立してもらった。

ヴァルにレベッカにきちんと礼を伝えたいと申し出たところ、こうして取り計らってくれたのだ。

ヴァル曰く、あの馬鹿な姉に礼をする必要などないとのことだが、やはり世話になった相手なのだ。

誠心誠意込めて、感謝の気持ちを伝えておきたい。

がたごとと馬車が進んでいき、時間をかけてようやくヴァルの実家が見えてきた。

やはり広い牧場を経営しているからなのか、見かけない顔も見受けられる。

おそらく、彼らはここで雇われている人たちなのだろう。

その中には、ヴァルの両親であるアーロンとハンナの姿もある。

やがて馬車が停車すると、あらかじめヴァルが実家に挨拶に向かうと知らせておいてくれたからか、ハンナが嬉しそうに歩み寄ってきた。

「あらあら、いらっしゃい。ディアナ。ヴァルも、おかえりなさい」

「ただいまと言うほど、長居はしないが」

「滅多に顔を出さないんだから、いいじゃない。言ってくれたって」

頬を膨らませて怒ってみせるハンナは、どことなく幼く見える。

口に出していいものか悩ましいところだが、少女めいた可愛らしさがある。

そんな義母に、ぺこりと頭を下げる。

「ご無沙汰しております、お元気そうで何よりです。あ、これ、よかったら皆さんで召し上がってください」

手土産を渡せば、ハンナは目を丸くして受け取ってくれた。

「あらまあ、わざわざどうもありがとう。あとで、おいしくいただくわね」

茶目っ気たっぷりに片目を瞑った義母に、思わず口元が綻んでしまう。

「あの、レベッカはいる? この間のお礼を言いたいんだけど……」

先程、馬車の中で辺りを見回した時には、レベッカの姿は見つけられなかった。

首を傾げて問うと、ハンナは家の方に視線を投げた。

「今は家の中で、子供をあやしているところよ。多分、傍を離れるわけにはいかないだろうから、悪いけど家に上がってってくれる?」

「え? レベッカには子供がいるの?」

「あら、言ってなかったかしら? レベッカには、去年産まれたばかりの赤ちゃんがいるのよ?」

「全然、知らなかった……」

完全に初耳だ。

大体、初対面の時もこの間も、赤ん坊の姿はなかった。

そもそも、結婚していることさえ知らなかったのだ。

(でも、ヴァルも結婚したんだし、レベッカが既婚者でも別におかしな話じゃない……)

夫に当たる人にも会ったことがないのだが、レベッカは一体どんな生活をしているのだろう。

ディアナの戸惑いが伝わってしまったのか、ハンナが説明してくれた。

「レベッカはね、旦那さんと子供と一緒にこの近所に住んでるんだけど、親孝行な娘だから、わざわざ手伝いにきてくれているのよ。旦那さんは建築士で、普段は近くの街に働きに行っているから、あんまりこっちには顔を見せないのよ。それで、二人共働いているから、時々アーヴィンたち兄三人のお嫁さんが持ち回りで赤ちゃんの面倒を看てくれるけど、今日はレベッカがちゃんとお母さんをしながら、お手伝いをしてくれているのよ」

「そうだったんだ……」

レベッカの行動力というか根性に、驚かされる。

赤ん坊の世話をしながら仕事にも励むなんて、生半可な覚悟でできるものではない。

たまに親戚が赤ん坊の世話を引き受けてくれるとはいえ、そんなにしょっちゅうは頼めないだろう。

今までは偶然、ディアナが訪問した際には預かってもらえていただけに違いない。

呆気に取られるディアナに、ヴァルがそっと耳打ちをしてくる。

「別に、そこまですごいことじゃない。あいつの体力が底抜けにあるだけの話だ」

ヴァルはあまり姉の努力を認めたくないみたいだが、それでもやはり素直にすごいと感動してしまう。

ハンナへと向き直り、もう一度頭を下げる。

「それじゃあ、少しだけお邪魔します」

「はい、どうぞ」

踵を返そうとした直前、不意にアーロンが近づいてきた。

「……来たのか」

ぼそりと声をかけられ、そちらに身体を向けて再び挨拶の言葉を口にする。

「お邪魔しています。お久しぶりにお会いできて、嬉しいです」

丁寧に会釈をしてから顔を上げれば、義父はじっとこちらを見つめていた。

どうしたのだろうと疑問符が浮かぶ中、ふっとその目元が和らぐ。

「……表情が、前よりもずっと柔らかくなったな。雰囲気も明るくなった」

重低音が、耳に心地よく響く。

まさかそんなことを言われるとは予想だにしていなかったため、一瞬呆気に取られてしまったが、すぐににっこりと微笑む。

「……ヴァルのおかげ」

それだけで充分に伝わったのか、アーロンは満足そうに頷いてくれた。

それから、家の方を顎で示す。

「レベッカの子供を見ていくといい。少しは、将来の予行練習になるだろう」

義父が発した言葉の意味がすぐには理解できず、数拍の間が空いてしまったが、思考が追いついた途端、全身がぼっと熱くなっていく。

(そ、それって……)

気が早い。

少なくとも、ディアナにはまだ早過ぎる話だ。

立場上、いずれは向き合わなければならない問題なのだが、現段階では気持ちが追いつかない。

咄嗟に俯くと、隣から呆れ声が降ってきた。

「親父……。まだ、その話は早い」

「そうなのか? お前は王なんだから、跡継ぎは必要だろう」

「俺に言うのは構わないが、こいつの前では配慮してやってくれ」

そう苦言を呈するなり、ヴァルがディアナの手首を掴んできた。

そして、そのまま家へと足を向ける。

「レベッカのところに顔を出したら、すぐにバスカヴィルに行くから。またしばらく会えないかもしれないが、二人共健康にだけは気をつけろよ」

去り際にちらりと両親を一瞥し、すたすたと歩き出す。

ディアナも慌てて振り返り、二人にそっと頭を垂れる。

それから前を向き、ヴァルに問いを投げる。

「あれだけで、いいの? 確かに、今日中にバスカヴィルに到着しなきゃいけないけど、もう少しお話ししても、そんなに影響は……」

「親父はともかく、お袋は一度喋り出すと長いからな。あれくらいで、ちょうどいいんだ」

なるほど。

ハンナがいたから、出立の時刻に響くことを恐れて早々に話を断ち切ったのか。

そう納得している間にヴァルと共に玄関の前に立ち、彼が目の前の扉を押し開けた。
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