ヴァンジェ ―異端の花嫁と獣の王者―

□Chapter17. 『揺り籠からの目覚め』
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馬に揺られる中、ふと視線を落とす。

その先には、夕日に照らされた銀髪が光を反射し、淡く輝いていた。

体勢から、どうしてもヴァルに身を預けなくてはならないのだと頭では理解していても、こうも密着状態が続くと息が詰まりそうになる。

ディアナからは、ふわりと石鹸の清潔な香りが漂ってきて、鼻先を掠めていく。

自分からこの乗り方にしろと強要した手前、今さら下りろとも言えない。

そもそも、馬車は先に走っていってしまったのだ。

城まで彼女を歩かせるなど、言語道断だ。

とはいえ、馬に跨らせるわけにもいかない。

ディアナは、丈の短いワンピースを着ているにも関わらず、平気で足を広げて跨ろうとしていたが、女にそんな真似をさせるわけにはいかない。

しかも、気まずさに拍車をかけるように、先程から沈黙が続いている。

何か話題を振るべきかとも思うのだが、咄嗟には出てこない。

こういう時、口が達者な人は羨ましい。

そんなことを悶々と考え込んでいたら、不意に彼女が口火を切った。

「……ヴァル。その、ごめんなさい……」

唐突に謝罪の言葉を告げられて面食らうヴァルを、ディアナがおずおずと見上げてくる。

「今さらだけど……急にあの場からいなくなっちゃったりして……心配、かけた?」

「驚きはしたが……行き先が分かってからは、特に心配はしていない。だから、気にするな」

「そっか……。あと、迎えにきてくれてありがとう。ヴァル」

こちらに向かって、ディアナが淡く微笑む。

そのあまりにも綺麗な微笑みに、密かに息を呑む。

前々からこうして微笑むことはよくあったが、夕暮れの中で目にした微笑みは、今まで見てきたもののどれよりも美しかった。

上手く表現できないが、とても自然で柔らかな表情だ。

もっとはっきりと感情表現をしてもいいと思うのだが、その辺りはまだ本人の意志だけではどうにもならないのだろう。

きっと、もっと多くの時間をかけなければならないのだ。

「ヴァル?」

黙りこくったヴァルに、ディアナが不思議そうに小首を傾げる。

その無防備な表情が、ひどく胸を掻き乱す。

だが、そんな気持ちから目を逸らそうと急いで口を開く。

「……そういえば、何故俺の実家に行ったんだ? あそこには、やかましい家族しかいないのに。特にレベッカとか」

「えっと……」

ディアナは僅かに言い淀み、目を伏せて何事かを考える仕草をしてから、ヴァルを見据えてきた。

「ちょっと……女の子同士で話がしたくなって。男の人にするには、恥ずかしい内容だったから……」

ディアナの言葉に、なるほどと内心で呟く。

確かに、同性の間でしかできない会話というものはある。

王城にもディアナと歳の近いメイドは何人もいるが、王妃相手となると向こうは身構えてしまうだろう。

その点、ディアナの義理の家族に当たるレベッカとは、互いに気安く会話を楽しめるのだろう。

しかし、あまりディアナには姉とは仲良くして欲しくないのが本心だ。

レベッカのことが嫌いなわけではないのだが、あの口やかましさがディアナに伝染したら嫌だ。

ディアナはレベッカと話すのに抵抗がないみたいだが、影響だけは受けないで欲しい。

「……楽しかったか?」

「うん。相談にも乗ってもらえたし、すごく有意義な時間が過ごせた」

あの騒がしい姉に相談したところで、まともな解決策が見出せるとは欠片も思えないのだが、ディアナが嬉しそうにしているから、それでよしとする。

ふと何を思ったのか、突然彼女がさらにぴったりとくっついてきた。

ぽふんとディアナの頭が、自身の胸板に当たる。

「……何をしているんだ?」

「何となく、こうしてみたくなっただけ」

無邪気に目を細めるディアナに、悪女めと胸中で吐き捨てる。

その上、きゅっと服まで掴んできた。

ほんの少しでも身を屈めれば、彼女の吐息が首筋に触れてしまいそうだ。

試しているのかと勘繰ったが、いつの間にかディアナの頬が照れくさそうに赤らんでいることに気がつく。

双眸を伏せ、うっすらと唇を開けている様は、やけに艶っぽい。

そんな顔をされてしまうと、ヴァルもどう対応すればいいのか分からなくなってしまう。

これまでみたいに、ヴァルの反応を楽しむように口元を緩めているのであれば、何の躊躇いもなく悪態をつけたのに、これではこちらまで妙に意識してしまう。

ディアナから視線を引き剥がし、前方に続く道にだけ意識を傾けようと努力していた最中、突如としてある可能性が脳裏に閃く。

(まさか……)

そんなことはあるはずがないと否定する一方で、もしかしたらと微かな希望に縋ってしまう。

今すぐにでもディアナを問い詰めたい心境に駆られるが、ぐっと唇を真一文字に引き結ぶことで堪える。

でも、その「もしも」の可能性が僅かでも芽生えたのであれば。

手綱を片手で握り直し、放した方の手で彼女の頬に触れる。

すると、弾かれたようにディアナがこちらへと向き直る。

彼女が顔をこちらに向けたため、行き場を失った手をもう一度その頬に宛がう。

そのまま、その滑らかな感触を楽しむように指先を滑らせる。

「ヴァル……?」

いきなりどうしたのだろうとでも言いたげな目で、ヴァルを凝視してくる。

そんなディアナの頬は、熱くて柔らかくて指先から溶けてしまいそうだ。

喉の奥から何かがせり上がってくるのに、言葉にしてしまえば箍が外れてしまいそうで、無理矢理飲み下す。

「……何でもない」

ただ一言、素っ気なく告げる。

ディアナは戸惑いに瞳の奥を揺らめかせていたものの、やがて伏し目がちになってこちらから視線を外した。

顔を伏せる直前、どこか不満そうにも寂しそうにも見える表情を浮かべているように映ったのは、激しい目の錯覚だったのだろうか。

(――ディアナ)

特に用もないのに声に出して名を呼ぶのは憚られ、心の中で呼ぶ。

もし、いつかディアナがヴァルに想いを寄せてくれていると確信できたら、今までみたいに大人しく待っていられるだろうか。

こうしてディアナの温もりを感じている今も、自制心との戦いだった。

この理性が溶け落ちてしまわぬよう、彼女の熱を帯びた肌から手を離した。
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