ヴァンジェ ―異端の花嫁と獣の王者―

□Chapter14. 『化け物が生まれ落ちた日』
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「さあ、乗れ」

ウォーレスが持つ権力とは非常に大きいものらしく、あの後、誰にも咎められることなく、こうして引き取られた。

手渡された外套にすっぽりと包まれたディアナは、大人しくウォーレスの指示に従う。

ウォーレスが待たせていたらしい馬車の中へと、おずおずと乗り込む。

その間、ウォーレスは扉を支えてくれ、ディアナが腰を下ろしたのを確認してから乗り込んできたが、その行為が優しさ故のものではないと、目を見ればすぐに分かった。

ウォーレスはただ、ディアナが万が一にも逃げ出さないようにと、見張っていたのだ。

外套を貸してくれた理由も、単に血塗れの小娘に馬車の中を汚されたくなかったからなのだろう。

馬車に乗せた後は、さすがに逃げ場がないと踏んだのか、ウォーレスは座席に腰かけるとゆったりと足を組み、窓枠に頬杖をついた。

ディアナの正面を陣取るために、座席の隅で縮こまっている小娘に合わせ、わざわざウォーレスも向かい側の席の隅に腰を下ろしたのだ。

息を押し殺し、膝の上できゅっと拳を握る。

やがて、馬車は静かに動き出した。

がらがら鳴る車輪の駆動音と馬の蹄の音に耳を傾けていると、こちらを眺めていたウォーレスがおもむろに口火を切った。

「何故、警戒している」

口を噤んだまま、素直に答えるべきかと悩んでいたら、ウォーレスが威圧的な眼差しでさっさと答えろと急かしてきた。

おずおずと彼を見上げ、慎重に口を開く。

「……貴方のことを、よく知らないからです」

そう返答した途端、ウォーレスが露骨に眉根を寄せた。

相手の反感を買ったのは、一目瞭然だ。

果たしてどう出るかと神経を張り詰めていると、彼は細く息を吐き出した。

「……敬語は使わなくていい。呼ぶのも、ファーストネームを呼び捨てにしてくれて、構わない」

「……どうして?」

あまり不興を買うとどうなるか分かったものではないから、本人の希望通りに話しやすい口調で問う。

首を傾げるディアナに、ウォーレスは満足げに微笑む。

「お前は、私と対等に接するだけの資格があるからだ」

「私は、貴方に保護されなければ自分の身も守れない、ただの子供」

「だが先程、あの場で己に害を為そうとした男を一撃で殺しただろう?」

ウォーレスの言葉により、そういえばあの時何が起きたのか覚えていないことを思い出す。

口にするべきか否かで悩んだが、このまま知らずにいるのも不気味だ。

意を決し、思い切って疑問を投げかける。

「あの、ウォーレス。おかしな話かもしれないけど……私、その時の記憶がないの。その、問題がなければ、何があったのか教えて欲しい」

そう願い出るや否や、彼の瞳に興味の色が浮かぶ。

「ほう……意識がない状態で、あの攻撃を仕掛けられたのか。いや……理性が吹き飛んで、本能のままに行動したから、意識されずに記憶に残らなかったのか」

独り言めいた発言に戸惑っていると、ウォーレスは興味深そうにこちらを見つめてきた。

心なしか、楽しんでいるようにも見える。

「いいだろう。己の潜在能力の高さは、よく知っておいた方がいい。驕(おご)りは自滅に追いやるだけだが、お前の場合はもっと自覚するべきだ」

固唾を呑んで身構えるディアナに、ウォーレスは喜色の滲んだ声音で告げた。



「――お前は一切の躊躇もなく、あの豚の喉笛を噛み切ったのだ」



突きつけられた現実に、やはりという納得と、どうしてという絶望が同時に込み上げてくる。

あの時、ディアナは刃物の類いは一切持っていなかった。

それに、あの傷口や口の中に広がる血の味で、何が起きたのか、大体見当がついていた。

ただ、認めたくなかっただけだ。

だが、他者から言葉にされたことにより、もう目を背けることはできない。

唇を噛み締めて俯くディアナに、ウォーレスは意外そうな声を上げる。

「もう、取り乱しはしないのだな」

「……泣き喚けば、やり直せるの?」

ゆっくりと顔を上げ、ひたと葡萄色の瞳を見据える。

「どんなに騒いだところで、過去はやり直せない。なら……罪は罪と認めて、償うべき」

一度唇を引き結び、自分の意思を確認してから言い放つ。

「だから、私は罪を償いたい。でも……それは、貴方の望むところじゃない。私が王立騎士団の営所に行って自首しようものなら、貴方は全力で止めるでしょう? ……違う?」

「年齢の割に、賢く聡明なのだな。悪くない。女は情に流されやすく、理論的に考えるのは苦手だと思っていたが、考えを改める必要がありそうだ」

「……ただ、私が薄情なだけだと思う」

本音を言えば、こんなにも落ち着き払っている自分が、異質に思えてならない。

しかし、だからといってさも感情が掻き乱されている風に演じられるほど、器用でもない。

そもそも、演技をしたらしたで、やはり尋常ではない。

ウォーレスはディアナの意見を気にも留めず、夜の街に視線を流す。

「それにしても……お前は記憶を失っていると報告を受けていたが、もしかして覚えているのか」

視線を戻してディアナを探る目が、すっと細められる。

この反応からして、ディアナが記憶喪失の状態の方が、ウォーレスにとっては都合がいいのだろうか。

理屈ではなく、本能が相手の思惑を敏感に察する。

とはいえ、さすがに理由までは思いつかない。

ここで誤魔化す必要性が見つからないし、仮に嘘を吐いたところで、どうせすぐに見破られてしまうだろうから、正直に答える。

「ううん、記憶はない。でも、思い出はなくても知識があるから、そんなに苦労していないだけ。……それより、どうしてウォーレスが私のことを知っているの? どこまで知っているの?」

ディアナの問いかけに、ウォーレスは足を組み直して淡々と言葉を紡ぐ。

「私は、宰相だからな。これまで存在しなかった後天的な獣人を発見したとなれば、即座に耳に入る。お前は獣害に遭った一人なんだが、奇跡的に一命を取り留めただけではなく、害獣にならずに獣人となった。それで、お前は害獣を研究する施設で保護されていたんだ。……だが、ある日昏睡状態に陥っているはずのお前が、施設から失踪したんだ」

「……私、昏睡状態だったの?」

今でははっきりと意識が覚醒しているため、昏睡状態だったと言われても、腑に落ちない。

「ああ、そうだ。調査の結果、そこの研究員の一人が愚かにも欲に目が眩み、闇市に売り飛ばしたという。それで、私が直々にあの場に出向いたんだ」

「貴方じゃなくても、部下に行かせればよかったんじゃないの?」

「普段ならば、そうするところだったがな。だが、お前は非常に稀少な存在だ。それに、後天的な獣人が如何様(いかよう)なものか、この目で確かめたかったのだ。……結果は、いい意味で予想を裏切ってくれたがな」

ウォーレスから受けた説明を頭の中で反芻し、現在の自分が置かれている状況を、少しずつ理解していく。

「……もし、私が貴方の期待に沿わない子供だったら、貴方はどうしたの?」

「先程も言っただろう。お前の存在そのものが、稀少なのだと。だから、たとえ私の期待を裏切ったとしても、保護はしていた。ただ、その場合は行き先が研究所になるだけだ」

「そこでの私の扱いは、被験者?」

「必然的に、そうなるだろうな」

目を伏せ、どちらの未来がよかったのかと考える。

(ウォーレスは、私に働いてもらうって言っていた。つまり、ウォーレスは私のことを一応、一個人として見てくれている)

研究の対象として見なされるのか、労働者として雇われるか。

まだ、後者の方が人として認めてもらえている気がする。

そうなると、ある意味ではウォーレスの目に留まってよかったのかもしれない。

そっと息を吐き出し、再び彼の顔に眼差しを向けた。
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