ヴァンジェ ―異端の花嫁と獣の王者―
□Chapter5. 『祝福の宴』
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やがてオーケストラの演奏していた曲が終わりを迎え、ワルツもつられるように終わる。
ヴァルは小さく華奢な手を取り、その手の甲に口づけを落とす。
普段のヴァルならば、絶対にこういうことはしないのだが、男はワルツの相手をしてくれた女に、こういう形で礼を伝えなければならない。
それに、ディアナが嬉しそうにしているから、たまにはこういうのもいいかと思えてしまう。
(……ディアナは、気づいていないんだろうな)
ディアナは、表情の変化に乏しい。
だが、その瞳の奥に、いつもあらゆる感情が顔を覗かせているのだ。
目は口ほどにものを言うという諺(ことわざ)があるが、彼女は分かりやすく表情に出さない分、その傾向が顕著だ。
だから、よく見ていれば分かるのだ。
本当のディアナは感受性が豊かで、傷つきやすい一面があるのだと。
しかし、そのことを彼女に伝えるつもりはない。
もし伝えてしまったら、瞳の奥の感情の揺らぎさえも消えてしまう気がするからだ。
一曲目の演奏が終わったため、周囲がざわざわとざわめく。
中にはダンスのパートナーを変える人間もいるから、自然と騒がしくなったのだろう。
さすがに二曲続けて踊るほどワルツが好きなわけではないし、ディアナも踊り慣れていないだろうから、その場を離れようとした途端、足早にこちらへと向かってくる人影があった。
「――ディアナ!!」
赤い長髪を翻し、ヒースが血相を変えてディアナの元へと駆け込んでくる。
「ディアナ、大丈夫ですか?」
「ヒース、どうしたの?」
きょとんと目を瞬かせるディアナの肩を、ヒースが険しい面持ちで掴む。
「どうしたの、じゃありません。あんな下劣な輩に侮辱されたのです。気分は悪くありませんか? 吐き気はしませんか?」
さりげなく、先程の不埒な男を貶めているように聞こえるのは、間違いなく気のせいではないはずだ。
ディアナは何度か瞬きを繰り返した後、ふわりと微笑んだ。
微笑んだと言ってもかなり控えめだが、普段は無表情を貫いている彼女からすれば、最上級の感情表現だろう。
「大丈夫、ヴァルが守ってくれたから」
ディアナの返答に眉根を寄せた後、ヒースは渋々ながらもこちらに向いた。
「……ディアナを助けてくださり、ありがとうございました。ですが、これで貴方のことを認めるわけではありませんので、お忘れなきよう」
「俺は一体、何を貴様に認められなければいけないんだ……」
この従者は、どこか感覚がずれている。
でも、そのことに関してディアナは何も言及していないということは、気にする必要がないのか、それとも単に慣れてしまっているだけなのか。
そんなやり取りを交わしていたら、フェイとエルバートまでディアナに近寄ってきた。
どうしてディアナの周りには、こうも男が集まるのか。
(美人だから……なのか?)
隣に佇んでいるディアナを、ちらりと見下ろす。
ドレスを身に纏い、めかし込んでいる彼女は、誰の目から見ても美しく映るのだろう。
下世話な話だが、身体つきはどうしようもないから、せめて着るものだけでも慎みを持って欲しくて、できるだけ露出の少ない、落ち着いたデザインのドレスを選んだのだが、それでもディアナには匂い立つような色香がある。
むしろ、あえて飾りが少ないからこそ、彼女の本来の可憐さと艶やかさが際立ってしまっている気がする。
だが、見た目に惑わされて引き寄せられてきているのだとしたら、猛烈に腹が立つ。
せめて、内面を知ってから判断してもらいたいものだ。
そんなヴァルの心情など知る由もなく、フェイは軽薄な笑みを浮かべる。
本当に、この男はいけ好かない。
「ご機嫌麗しゅう、姫。それから、おめでとう。素敵な旦那様がいて、よかったね?」
「ありがとう、フェイ。うん、ヴァルは自慢の旦那様」
この返事に、こちらはどう反応したものなのか。
眉間に皺を寄せて考えていると、ディアナがそっと上目遣いにこちらを見上げてくる。
その瞳には悪戯っぽい光が宿っており、完全にヴァルの反応を楽しんでいるのだと窺えた。
時折、ディアナが魔性の女に見えてしまうのは、ヴァルの気のせいなのだろうか。
即答したディアナに、フェイがおどけて肩を竦める。
「わー、姫。それ、惚気(のろけ)? 妬けちゃうなあ」
「さあ、どう思う?」
「……ディアナ、この汚らわしい男は誰ですか」
挑発するように小首を傾げたディアナに、ヒースが不機嫌そのものに問いかける。
「わ、その質問、いくら何でもひどくない?」
「そうだよ、ヒース。その言い方は、相手に失礼でしょう。……えっと、こちらは先代のノヴェロ王のご子息のフェイ。フェイ、こっちは私の従者のヒース」
「どうも。……へー、姫の従者は随分と美形だねぇ。やっぱり姫くらい美人に仕えるとなると、見た目もよくないと駄目なの?」
「そういうわけじゃないけど……」
「ご挨拶頂き、ありがとうございます。それと、明らかに悪影響になりそうですので、そんなにディアナに近づかないでください。目障りです」
「……最後の一言、完全に個人的な感想だよね?」
「……ごめんなさい、フェイ。ヒースには、私からもよく言って聞かせておくから」
「あー、別に俺は気にしていないから、大丈夫だよー」
「そう言ってもらえると、助かる。……そういえば、フェイのご両親は参加していないの? フェイ一人だけ?」
元王位継承者と同様、先代の王と王妃も、王位とその妻の座を退いてからも、一年間は公の場に顔を出さなければならない。
そのため、挨拶の一環としてディアナは訊ねたのだろう。
「ん? ああ、母は体調崩して、父は元々こういう場が苦手だからね。二人共欠席させてもらったんだ。だから姫の言う通り、今日は俺だけ」
「そう……。お母様にお大事にって、伝えておいてくれる?」
「姫のお願いとあらば、喜んで」
「――フェイ殿、僕もそろそろノヴェロ王妃殿下に挨拶させてもらって、いいかな?」
歓談していたディアナとフェイの間に割り込み、エルバートはにっこりと微笑む。
好青年然とした笑顔なのに、有無を言わせぬ迫力がある。
「どうぞー。というか、俺に殿なんてつけなくていいよ。俺、もうそんなに偉くないから」
ヴァルに対する皮肉かと一瞬思ったが、別にそういうわけではないらしい。
そこに未練はなく、ただ畏まられるのは嫌だという意思のみが伝わってくる。
「そう? じゃあ、お言葉に甘えてフェイって呼ばせてもらうけど……僕はどうしようかな」
「いやー、殿下は現役で王子様やっているんだから、殿下は殿下でしょう」
「でも、僕もあんまり畏まられるのは嫌かな。王位継承者というわけでもないし、気安く呼んでもらえると助かるんだけど」
「そう? じゃあ、エルって呼ばせてもらうよ。エルバートって長いからさー」
「うん。母もそう呼んでいたから、そっちの方がいいな」
和やかにフェイと歓談した後、エルバートは改めてディアナに向き直った。