ヴァンジェ ―異端の花嫁と獣の王者―

□Chapter4. 『今宵、貴方とワルツを』
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徐々に陽が中天へと向かい、日差しが昼のものに変わってきた頃。

ヴァルは執務室で書類作業をこなしながら、隣に立つサイラスの話に耳を傾けていた。

「……と、仕事の話はここまでだ。……それで、どうよ? 姫さんとのお付き合いとやらは?」

横目で見遣れば、サイラスはにたにたと笑い、ヴァルの反応を窺っていた。

仕事の面ではサイラスは非常に優秀なのだが、個人的なことにまで首を突っ込んでくるところは、不快感を催す。

書類に目を通しつつ、眉間に深い皺を刻む。

「……いちいち、貴様に報告する謂(いわ)れはない」

「そんな寂しいこと、言うなよー。お前の恋愛相談に乗ってやったんだから、その後の進展くらい教えてくれても、いいだろー?」

馴れ馴れしい態度に舌打ちをしたい気分だが、確かにディアナのことで愚痴を漏らしてしまったのは、事実だ。

こんな奴の前で、迂闊にも弱音を吐き出すのではなかったと、悔恨の波が押し寄せてくる。

だが、過ぎたことをいつまでも嘆いていても仕方がない。

諦めの溜息を吐き、渋々と口を開く。

「……別に、以前までと何かが大きく変わったわけではない。たとえ短くても、一日のうちに二人きりの時間を必ず作るようになっただけだ」

ディアナからの突拍子もない申し出を受け、一週間が経つ。

ディアナは宣言通り、面白味の欠片もないヴァルに、前よりも積極的に関わるようになってきた。

些細なことにも興味を持ち、少しでもヴァルを理解しようとする姿勢は、ひどく好ましく映る。

とはいえ、そんなことまで暴露すれば、相手の気が済むまでからかわれることは目に見えていたので、余計な情報は口に出さない。

しかし、それでもサイラスにとっては面白く感じられたらしく、ますます笑みを深める。

「へーへー? 随分、初々しいじゃねぇか。若いお二人さんには、お似合いの付き合い方だと思うぜー?」

ひとしきり愉快そうに声を立てて笑うサイラスに、無視を決め込む。

ペン先にインクをつけ、署名が必要な欄にさらさらと書き込んでいく。

しばらく紙を捲る音とペンを走らせる音だけが部屋の中に響く時間が過ぎ、ようやくサイラスはヴァルをからかうのに飽きたらしい。

憎たらしい笑顔を引っ込め、真顔になって声をかけてくる。

「……それで? 姫さんがノヴェロ王妃を続けるのはいつまでだって、向こうは言ってんだ?」

実質的なサクリフィスを務めるのは、ディアナだ。

その事実は変わらないが、彼女がノヴェロ国王妃の座に据えられるのはいつまでなのか、こちらは聞かされていない。

ディアナ自身はアリシアが保護されるまでだと思い込んでいるらしく、気になってバスカヴィル国にそのことに関しての文書を送ったのだが、未だ返事がない。

それだけ審議に揉めているのだろうと、返事がないからこそ、かえって察しがつく。

もう一度溜息を落とし、手にしていたペンを机上に置く。

「まだ、何の音沙汰もない。……それが、答えなんだろう」

「はー……あれかねぇ? 王女でもない姫さんをこのままずっとノヴェロ王妃にしておくのは、嫌なのかねぇ?」

「……ディアナはあの国で不当な扱いを受けていたらしいからな。そう扱ってきた輩が、内心なかなか認められないといったところか」

バスカヴィル国の使者と行った、会議のことを思い出す。

あの時、ウォーレスとかいうバスカヴィル国の宰相は、ディアナを高く買っている様子だったが、他の者は別に手立てがないから、仕方なく表面的には納得しているふりをしているだけという雰囲気だった。

みっともなく、血筋だの身分だのとこだわる姿勢には辟易したものだ。

あれなら、まだウォーレスの方が潔くてマシだと思えた。

「でも、本物の王女様ってのは未だ行方知れずで、しかも元々お飾りでしかなかったんだろ? だったら、このまま姫さんが王妃でいてくれて、いいと思うんだけどなあ……。大抵、バスカヴィルの王女様って奴は、我儘で気位が高い女ばっかりって、聞くじゃねぇか。その辺、姫さんはいい子だよなあ。一応、本人としては理不尽な目に遭っているだろうに、文句も言わねぇし、自分にできることを一生懸命頑張っているし。使用人たちからも、自分たちなんかにもよくしてくれてるって、報告受けたくらいだからなあ……」

宙を睨んでぼやくサイラスに、小さく頷く。

「……で? ヴァルよ。だんまりを決め込んでいるあちらさんに、こっちはどうするよ?」

「……明日には、バスカヴィル主催の舞踏会がある。こうなったら面と向かって、本物の王女とやらが見つかろうとも、何があろうとも、ディアナをこのままずっと俺の妻にするって、話をつけてくる」

「おー、格好いいねぇ。王様」

サイラスに顔を向け、猛獣のごとく瞳をぎらつかせたヴァルに、彼が楽しそうに笑いかけてくる。

でも、その目には鋭い光を湛えている。

「……まあ、あちらさんがいつまで経っても煮え切らない態度を貫いているんだもんな。曖昧なままにされるのは、性に合わねぇ。いいぜ、好きなだけ暴れてこいよ」

「……何も俺は、暴力沙汰を起こすとは一言も言っていないんだが」

溜息混じりに睨みつければ、サイラスは相変わらず鷹揚(おうよう)に笑う。

「あー、言葉の綾って奴だ。そのくらいの意気込みで、白黒はっきりつけてこいっつうな」

「もちろん、そのつもりだ」

「なら、これ以上俺が口を挟む必要はねぇな。……ところでよ、ヴァル。お前、ワルツとか踊れんのか? 舞踏会だろ?」

「当たり前だ。ダンスでは、男が女をリードしなければならないからな。そこは抜かりはない」

「まあ、意外と男の方がダンスでは誤魔化しが利かねぇからな……。よかったぜ、姫さんが恥かかずに済みそうでよ」

小さく鼻を鳴らし、再び書類へと視線を戻したら、今度は含み笑いが聞こえてきた。

「……今度は、どうした」

「いやー? ワルツという、姫さんと密着できる絶好の口実があって、よかったなーって親心がつい疼いちまってよ」

「……いつ、貴様が俺の親になった。しかも、貴様のは全然親心ではないだろう。邪心だ、邪心」

「ほう? それなら、お前は下心なしに姫さんと踊れると?」

「何故、ただ踊るだけなのに邪念が湧き上がると思うんだ……」

再度ペンを動かしながら、深い溜息を吐く。

午後にはディアナとの練習の総復習が待ち受けているというのに、余計な口出しをされると気が散りそうだ。

苛立ちをペン先に込めたら、紙面の端にインクが飛び散ってしまった。
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