ヴァンジェ ―異端の花嫁と獣の王者―
□Chapter2. 『獣の城』
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衝撃的なノヴェロ国王との対面を果たした後。
ノヴェロ国の大臣の一人と思しき男性がやんわりとノヴェロ国王の行動を諌め、ようやく強い戒めから解放された。
バスカヴィル国の使者とノヴェロ国の要人の間に大変気まずい空気が流れていたものの、彼らは場所を移して外交を進めている。
情に流され、ディアナが己の身元を打ち明けてしまったため、もしかしたらバスカヴィル国にとって不利な状況に陥ってしまっているかもしれない。
(私……何をやっているんだろう……)
今頃になって自分の浅はかさに考えが至り、胸中には罪悪感が渦巻いている。
最善を尽くすためにここまできたのに、その全てを自ら壊してしまうなんて、愚の骨頂だ。
思わず溜息が零れ出てしまい、隣を歩いていたノヴェロ国王がディアナを案じるように見下ろしてきた。
「……気分が優れないのか?」
「え? ……あ、いえ。全然問題ありませんので、お気になさらず」
しまった。
今は、まだこの城の構造に不慣れなディアナを気遣い、ノヴェロ国王自ら新しい王妃の私室まで案内してくれているというのに、つい考え事に没頭してしまった。
だが、それも仕方がないと思う。
彼は自分の仕出かした行動を今さら恥じているようで、その居心地の悪さがこちらにまで伝染してきている状況なのだ。
思考が現実逃避をしたがっていたとしても、無理もない。
それでも、自ら城内案内を買って出てくれる辺り、律儀で親切なのだろう。
臣下に任せておけばいいものを、自分から些細なことまで引き受けるとは、もしかして王族の出ではないのだろうか。
そんな考えを裏付けるように、敬語で返答したディアナに対し、ノヴェロ国王は露骨に眉根を寄せた。
そうすると眼光までもが鋭くなったように見え、普通の女であれば怯え竦んでいたかもしれない。
しかし、幸いディアナは普通の女とはかけ離れているためか、ノヴェロ国王の表情を目の当たりにしても、不快に感じたのだろうかと疑問に思う程度だった。
「あの……?」
「……悪いが、かしこまった態度を取るのはやめろ。俺はその……元は平民だから、妙に恭しくされると、反応に困る。だから、できれば普段通りの話し方にしてくれると助かる」
ノヴェロ国王の言葉を受け、やはりと胸中で呟く。
失礼に当たると承知の上で思ってしまったのだが、彼の身のこなしにはお世辞にも優雅さはない。
動き自体は綺麗なのだが、王者の振る舞いというよりも騎士のものに近い。
でも、その姿勢をディアナは好ましいと思った。
頂点に立つ者特有の、傲慢も不遜もノヴェロ国王からは感じられない。
だから少しは抵抗を感じたものの、快く彼の要望を受け入れられた。
「分かりました……じゃなくて、分かった」
「あと……陛下って呼ぶのも、やめて欲しい。自分のことを呼ばれている気がしなくて、落ち着かない」
歯切れ悪く主張してくるノヴェロ国王を見ているうちに、何だかだんだん気の毒になってきた。
(この人……本当に実力だけで、王様にされちゃったのかも……)
他国からすれば信じられない事態だが、ノヴェロ国では当然のようにまかり通っている制度だ。
先代の王の息子であっても、自分よりも武に秀でている者が現れてしまうと、あっという間に王位継承者の座から引きずり下ろされてしまう。
そのため、当代のノヴェロ国王みたいに、これまで平民だったのにある日突然王位を手にしてしまうということは、よくあることなのだ。
だが、よくあることとはいえ、当の本人からしてみれば現実感が湧かなくて困惑しているに違いない。
(だったら、せめて私くらいでも居心地の悪い思いをさせないように、気をつけよう……)
身代わりといえど、そのくらいのことはお安い御用だ。
おこがましいという気持ちが払拭できたわけではないが、こうして身代わりだと発覚した今でも親身に接してくれているのだ。
その恩に報いたい。
「それじゃあ……貴方のことは、なんて呼べばいい?」
名前すら知らないからそう訊ねれば、ノヴェロ国王は呟くように己の名を口にした。
「――ヴァル。俺の名はヴァルだから、そう呼んで欲しい」
「……ヴァル……」
舌の上でノヴェロ国王――ヴァルの名を転がした途端、不可解な感情が込み上げてきた。
奇妙な懐かしさと、泣き出したくなるような衝動が一度に襲いかかってきて、心が波立つ。
(……何……?)
理解できない感情が暴れ狂う胸の内を押さえつけようと、胸元をきつく握り込む。
このままではよく分からない心情に振り回されてしまいそうで、慌てて口を開く。
「えっと、それじゃあ私のことはディアナって、呼んで欲しい。私も……身分が高いわけじゃないから」
「分かった」
ふと、そこで会話が途切れる。
体調について訊ねられるまで、ヴァルは必要最低限のこと以外は口にしなかったから、話し上手というわけではなさそうだ。
かくいうディアナもどちらかといえば口下手なので、人のことをどうこう言う筋合いはない。
しかし、ヴァルとの間に横たわる沈黙は決して息苦しいものではなかった。
話を続けなければという強迫観念が襲ってこない静寂だから、かえって気分が落ち着く。
(会話がなくても平気な人なんて、ヒース以外では初めてかも……)
ドレスを身に纏っているディアナの歩幅に合わせてくれているのか、ヴァルの歩調はゆったりとしたものだ。
おかげで、ドレスの裾が足に纏わりつくため、少々歩きにくいものの、そこまで苦戦を強いられてはいない。
さりげない優しさに自然と心が弾んだ時、ヴァルがどこか決まり悪そうに口火を切った。
「その……先程は悪かった。人前で、あんな……」
唐突に謝罪された所為で、一瞬何のことかと目を瞬かせたが、即座に玉座の間で抱きしめられたことだと察する。
(確かに、びっくりはしたけど……)
ここは羞恥に頬を赤らめるような場面なのかもしれないが、それよりも驚きが先立ったからか、あの時も今も不思議と恥ずかしいとは思わなかった。
混乱はしたものの、別に気にしてはいないと言おうとして、一旦口を噤む。
(……ううん。この言い方だと、ヴァルの男としてのプライドを傷つけちゃうかも……)
本気で何とも思っていないのだが、それはそれで、ヴァルを男として見ていないと言い渡すようなものだ。
元々、ディアナは男女を区別して考えていないからこそ意識していないだけなのだが、そんなことを初対面のヴァルが知っているはずがない。
今こそ知恵を振り絞れと己を叱咤激励し、慎重に言葉を選ぶ。
「……えっと……謝らなくて大丈夫。その……ヴァルだったから、全然嫌じゃなかったの」
これでどうだと内心胸を張っていたら、何故かぴたりとヴァルが足を止めた。
ディアナの顔をまじまじと見つめ、何とも言えないような表情を浮かべている。
その面持ちに、まさか変な物言いをしてしまったかと、自分の発言を心の中で復唱した途端、取りようによっては相手に気があると言っているようなものだと、今頃になって気がつく。
急いで弁解しようとした矢先、不意に片頬をむにっとつねられた。