ヴァンジェ ―異端の花嫁と獣の王者―
□Chapter1. 『身代わりの花嫁と獣の王者』
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(早く、ウォーレスにこのことを知らせなきゃ……!!)
ディアナは血がこびりついている冠をぎゅっと胸に抱き、王都に引き返してきた時同様、ヒースが操る馬の背に揺られながら王城へと向かう。
路地裏で騎士の遺体やアリシアの冠を発見した後、彼女の行方を捜そうとしたのだが、巧妙に痕跡は消されてしまったらしい。
捜索の手がかりになるものは、何も残っていなかった。
獣人のディアナたちだからこそ探知できる匂いがないかとも思ったのだが、それすらもなかった。
そうこうしているうちに、これ以上捜索に時間を費やしても無駄だと切り上げ、現状をウォーレスに報告するべく、彼がいると思しき王城へと馬を急がせている。
それに、たとえウォーレスがそこにいなかったとしても、王城にいる誰かが彼の居場所を把握しているだろう。
(それと、ギディオン様にも知らせて……王立騎士団に話を通して、姫の捜索に人員を割いてもらって……ああ、駄目だ。騎士団の犠牲も相当なものなんだから、もしかしたら協力してくれるほど人が残っていないかもしれない……)
これから為すべきことは見えているのに、現実が分厚い壁となって行動に制限がかかってしまう。
ままならない状況が歯痒くて、苛立ちから唇を噛み締める。
「……ディアナ。もしかしたらこの状況は、俺たちが思っているほど簡単に片付く問題ではないかもしれません」
不意に、ヒースがぽつりと言葉を零す。
背後を振り仰げば、彼は険しい顔つきで前方を見据えていた。
「俺からすれば、全部がただの偶然だとは考えられない。何者かの思惑がなければ、ここまで一気に国を揺るがしかねない事態は引き起こせないはずです」
ヒースの発言に、思わず眉根を寄せる。
確かにディアナも、王都に到着するまでの間、誰かが手引きをしなければ、王都に害獣は現れなかったかもしれないと考えていた。
だが、行方知れずとなったアリシアの件まで考慮すると、悪い想像ばかりが脳裏に浮かぶ。
「……誰かが、内乱を起こそうとしているってこと? しかも、少人数じゃなくてある程度の規模のある集団が……」
口にしただけで、背筋をひやりとしたものが撫で上げていく。
――内乱。
その単語が、ぎゅっと胃を引き絞る。
もしもヒースの考えが現実のものとなっていたとしたら、甚大な被害が予想される。
バスカヴィル国は、軍事国家でもあるのだ。
どこの国よりも、武器は飛躍的に進歩している。
ディアナがフォルスで生み出している拳銃という武器も、現時点ではこの国にしかない代物だ。
だからバスカヴィル国の場合、他国との戦争よりも自国での内紛の方がより事態は深刻化する。
俯いて考え込み始めたディアナを気遣ってか、ヒースが控えめに口を開く。
「これは、俺個人の憶測に過ぎません。まだ本当にそうだとは決まったわけではないのですから、そんなに振り回されないでください。――もう、城に着きます」
ヒースの宣言通り、城門が目前に迫っていた。
しかし、そこで強烈な違和感を覚える。
いつもは城門付近に守衛を担当している騎士が立っているのに、今は人っ子一人いない。
これでは、あまりにも不用心ではないか。
(見張りをさせる騎士さえいないってこと……?)
それはいくら何でもおかしいと考える一方で、胸の奥が妙にざわつく。
王城でも、何かが起きている。
そして、それはディアナたちにとって歓迎できない事態に違いない。
そんな考えが脳裏を過っていく。
「……ヒース! 急ごう!!」
常日頃は静かに話す自分の声とは思えないほど、切羽詰まった声は大きかった。
ヒースは力強く頷き、城門をくぐり抜けたところで馬上から降り立つ。
ディアナも馬の背から飛び降り、ヒースが馬の手綱を城門付近の木にくくりつけるところを確認するや否や、城の内部に向かって駆け出す。
城内へと足を踏み入れた途端、どこからか濃厚な血の臭いが漂ってきていることに気がつく。
さすがに、ここまで害獣が出没したとは考えられない。
王都に姿を現した害獣は、ディアナが認識した範囲では全て駆除できた。
もしかすると、ここでも刃傷沙汰が起こったのかもしれない。
(どうして、こんなに一度に事件が起きるの……!?)
困惑を極めた頭では、まともにものを考えられない。
そう判断し、とにかく今は自分の目で現実を確かめるしかないと、臭いの根源を辿っていく。
そして辿り着いた先に立ちはだかる、重厚な扉の前で愕然と立ち尽くす。
そこは間違いなく、玉座の間に続く扉だった。
顔から血の気が引き、意味もなく唇がわななく。
本能が逃げろと、激しく訴えかけてくる。
これ以上信じ難い現実を目の当たりにしてしまったら、心が限界を迎えるかもしれないと。
(……だったら、何なの)
怖じ気づきそうになる己を叱咤し、臆病な自分を奮い立たせるように扉を勢いよく開け放つ。
「……え……?」
間抜けにも、第一声は呆けたものだった。
だって、何が眼前に広がっているのか、すぐには理解できなかったのだ。
贅の限りを尽くした煌びやかな玉座の間には、赤黒い水溜まりができていた。
臭いの発生源は、間違いなくあれだろう。
さらに、その上には一人の男性がうつ伏せに倒れ込んでいる。
顔が伏せられているため、一目見ただけでは誰なのか判別できなかったが、琥珀色の髪や背格好から、じわじわとおぞましいものが侵食するように、思考が現実に追いついてしまった。
「……マリウス殿下……?」
その人物の名を口に出した途端、猛烈な吐き気に襲われた。
立場上、血は何度もいくらでも目にしてきた。
今だって、頭から返り血を浴びている有様だ。
でも、いつまで経っても慣れる気配はない。
あくまで、慣れたふりをしているだけに過ぎない。
ましてや、今、突きつけられている光景の中にいるのは、現バスカヴィル女王の王婿なのだ。
この事実を何の抵抗もなく受け入れることなど、国民であればできるはずがない。
異分子と見なされているディアナでさえ、ここまで動揺しているのだ。
他の人であれば、どれほど取り乱すことだろう。
しかも、マリウスは身体中をめった刺しにされて殺されたと見て取れる。
(……誰がこんな、惨(むご)いこと――)
「――ディアナ? 何故、お前がここにいるんだ」
肩を掴まれ、はっと我に返る。
気がつけば、ディアナの目の前にはウォーレスが立っており、こちらを見下ろしていた。
ウォーレスの他にも幾人もの大臣の姿があり、ディアナが駆けつけた時には既に彼らはここにいたのだと窺い知れた。
どうやらマリウスの遺体に目が釘付けになっていた所為で、玉座の間全体の様子を把握し切れていなかったらしい。
ディアナはウォーレスに問いかけられたことによって本来の目的を思い出し、急いで口火を切る。
「……ウォーレス。私とヒースは王都から害獣を引き離して駆除していたんだけど、戻ってきたら路地裏に、これが……」
そう言って、おずおずと血塗れの冠を差し出す。
ディアナが差し出したものに、さすがのウォーレスも目を見張る。
「これは、アリシア王女殿下の……?」
「……多分、間違いないと思う。それから、姫の護衛をしていたらしい騎士の遺体もたくさんあって……とにかくウォーレスにこのことを報告しなきゃって思って、貴方がいそうなここに戻ってきたの。そうしたら――」
「――この惨状を目の当たりにした。そういうことか?」
ウォーレスの確認するような言葉に、力なく頷く。
ディアナは、可能な範囲内の最善を尽くしたつもりだ。
それなのに全く結果が伴っていなくて、己の無力さを思い知らされた心地だ。
「……でも、姫の生死はまだはっきりしていない。私個人の意見になるけど、路地裏に流れていた血の量からして、あの場で殺害された可能性は低いと思う。だから――」
アリシアの捜索のために人員を割いて欲しいと頼み込もうとした、その時。