トラワレビト〜咲き初めの花 媚薬の蝶〜

□第六章 『秘めごと』
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夕餉の時刻。

お玉の怯え切った姿が頭から離れず、家光様と共に夕餉を摂っていても箸が進まない。

あんなに身体を動かしていたのに、少しも食欲が湧かなかった。

「どうした? どっか調子でも悪いのか?」

私が、ほとんど食事に手をつけないからだろう。

家光様も箸を止め、心配そうにこちらを見つめてくる。

大丈夫だと返事をしようとした時、ふと彼なら例の青年について何か知っているかもしれないと思い当たる。

あんなにも家光様と似ている人だったのだ。

もしかしたら、彼の親類縁者かもしれない。

得体の知れない人物の正体を暴こうと、思い切って口を開く。

「あの、家光様。一つ、訊いてもよろしいでしょうか?」

「ん? 何だ?」

緊張のためか喉が渇き、こくりと唾を飲み込む。

「家光様と外見が瓜二つのご兄弟とか親戚とかって、いらっしゃいますか?」

そう疑問を投げかけた途端、家光様の目が愕然と開かれた。

唇を震わせながら、彼はおそるおそるといった風情で問いかけてくる。

「どうして……そんなことを訊くんだ?」

「……実は、家光様によく似ていらっしゃる御方が夕方、私の部屋にいらっしゃったんです。家光様にそっくりだったのにも驚きましたが……今思うと、何故将軍でもない殿方が大奥に入ってこれたのか不思議で……。この城の主である貴方様なら何かご存知ではないかと――」

私の言葉を遮るかのように、家光様が自分の膳を左へ薙ぎ払った。

膳は開け放たれたままの障子戸を通り抜け、縁側を飛び越えて庭へと落ちた。

皿や椀の中身は宙を舞って土の上へ散らばり、あるいは染みを作り、食器は耳障りな音を立てて割れ、見るも無残な惨状が出来上がった。

それでも動こうとしない家光様に戸惑いつつも、私は立ち上がって彼の傍へ寄り、腰を下ろして俯いているその横顔を窺う。

家光様の顔は血の気が失せ、ひどく青ざめていた。

「家光様、顔色が――」

家光様に向かって右手を伸ばすと、ぱしんと乾いた音を立てて振り払われた。

振り払われた手は赤く腫れ、じんじんと痛む。

私は思わず息を呑んだ。

彼に手を振り払われたことに驚いているわけではない。

家光様の纏う空気が、こちらの心が病んでしまいそうなほど重たかったからだ。

どうしたのかと問いかけようとした矢先、彼に強い力で右手首を掴まれた。

「い、家光様……放してください……。い、痛っ……!」

放して欲しいと懇願した途端、先程とは比べものにならないほど右手首を掴む手の力は強まり、このままでは骨を折られてしまうのではと恐怖心が芽生えていく。

こうなったら護身術を使うしかないが、利き手を拘束されている上に膝立ちをしている今の体勢では、あまりにも分が悪い。

たとえ立ったとしても、右手首を掴まれたままでは、前のめりになって家光様を巻き込んで倒れてしまうだろう。

そこまで考えて、だったら彼諸共倒れ込めば自然と相手の力は緩むだろうから、その隙に拘束から逃れられるのではないかと思いつく。

上手くいくかどうかは分からないが、何もやらないよりは余程ましだ。

私はそろそろと立ち上がり、前のめりになると全体重をかけて家光様に身体をぶつけ、そのままの勢いで畳の上へ倒れ込んだ。

予想通り、いきなり押し倒された彼は虚を突かれたらしく、私の右手首は解放された。

早く身を起こそうとしたら、今度は肩を掴まれて後方へ押し倒された。

畳へ背中をしたたかにぶつけた衝撃で、息が詰まる。

呼吸が上手くできなくて苦しくなり、反射的に咳き込む私を家光様が感情の読めない目で見下ろしてくる。

気がつけば、私はかえって自分を追い詰めてしまったことを、視界に天井が映っていることや家光様に覆い被られている状況によって悟った。
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