トラワレビト〜咲き初めの花 媚薬の蝶〜
□第五章 『影』
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家光はしばし黙りこくった後、深く息を吐き出した。
「……悪い、いきなり喚(わめ)いちまって」
「いえ、こちらこそ身も弁(わきま)えない発言をしてしまい、申し訳ありませんでした」
あんなにもみっともない家光の姿を目にしたはずなのに、正盛は少しも動じていない。
あくまで淡々と、謝罪の言葉を口にした。
その態度がどこか春日局と似通っており、ぞっと鳥肌が立つ。
正盛はこういった性質の持ち主だと、物心がついた時から一緒に育ってきたから熟知していたはずなのに。
お万と共に過ごしているとまともな感覚が戻ってくるから、改めてこの城にいる人間たちの異質さを思い知らされる。
「……らしくないって言えば、本当に今日のお前はよく喋るな。そんなに情けない俺が、気に食わなかったのか?」
家光は己の心に突如現れた恐怖心を誤魔化すように、あくまで軽い口調で問いを投げかける。
すると、正盛は僅かに首を捻って思案する素振りを見せた後、心当たりがあったのか、おもむろに口を開く。
「おそらく、お万様と言葉を交わしたからでしょう。あの御方と話をしていると、不思議と口が軽くなってくるんです。だから、普段よりも口数が多いのかもしれません」
ほとんど感情を表に出さない正盛がどこか嬉しそうに微笑んだ途端、苛立ちがぽつり、ぽつりと雨粒のように心に染み込んでいく。
どこか人間らしさに欠けていた彼が、僅かと言えども情緒というものを手に入れ始めたのだ。
嬉しくないはずがない。
しかし、きっかけがお万というのが気に入らない。
お万にも正盛にも交友関係を広げて欲しいとは思うが、二人が仲良くなるのだけは阻止したい。
主の側室に手を出そうとするほど正盛は愚かではないが、万が一ということもある。
そんな心配をしてしまうくらい、お万は魅力的で愛くるしい少女なのだ。
割と真剣に考えを巡らせていると、正盛がふと何かを思い出したかのように口を開く。