トラワレビト〜咲き初めの花 媚薬の蝶〜

□第三章 『愛しい君と』
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「お万!」

私がこれから生活する部屋と案内され、少し経った頃。

華美過ぎず品のある内装に心を奪われていた直後、上様が何の断りもなしに私の部屋へ入って来て、勢いよく抱きついてきた。

衝撃に耐えようとしたが、不意打ちだったもので飛びついてきた上様もろとも畳の上に倒れた。

私は呻(うめ)き声を上げつつ上体を起こそうとしたが、彼がちっとも起き上がろうとしてくれないので、上手く身動きが取れない。

それだけではなく、上様は甘えるように私の首元へ顔を埋(うず)めている。

殿方にのしかかられた状態で息苦しい上、自分の匂いを嗅がれていると思うと、怒りで頭に血が上っていく。

「上様! 貴方様は高貴な御方なのですから、やっていいことと悪いことの分別ぐらいつけてください!!」

「てめぇ、お万のことを押し倒してるんじゃねえよ!!」

私が声を張り上げて怒鳴ったのと、部屋の中をうろうろと歩いていた十六夜が威嚇し始めたのは、ほぼ同時だった。

上様は渋々といった様子で起き上がり、攻撃を仕掛けてきた十六夜を難なく捕らえながら、身を離してくれた。

しかし、彼は拗ねた子供みたいに口を尖らせている。

「上様じゃなくて、名前で呼んでくれって文に書いたじゃないか。文の中でしか、名前で呼んでくれないのか?」

上様はどうやら、身体をどかせと怒られたことよりも、名前で呼ばれなかったことによって機嫌が悪くなってしまったらしい。

三年間、髪を伸ばすために田安屋敷で過ごしていた折、彼とは頻繁に文の遣り取りをした。

本人は私に会いたかったらしいけれど、立場上、政務で忙しく城から離れるのが難しかったのだという。

一応、顔合わせをする機会はあったものの、ほんの数回程度だ。

そのためか、会えない時間の埋め合わせをするかのように、私が返事を書くよりも早く、上様の純粋さや優しさが詰まった文が、毎日手元にやってきた。

だから今では、以前よりも彼を好ましいと思う。
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