トラワレビト〜咲き初めの花 媚薬の蝶〜
□第一章 『堕ちた聖女』
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まだ夜明け頃にも関わらず、私はゆっくりと瞼を持ち上げた。
尼の朝は早い。
慶光院の宗派は臨済宗であり、朝餉の前には常に読経しながら座禅をするのが習慣なのだが、それよりも前に心身共によく目覚めるよう、院内の掃除をするのだ。
起き上がると素早く布団を片付け、寝間着から衣と袈裟へ着替え、頭巾を被(かぶ)る。
手早く身支度を整え、顔を洗おうと井戸へ向かうと、既に何人かの弟子たちが洗顔していた。
「あ、院主様。おはようございます」
弟子の一人が私に気づき、手拭いを持ったまま慌てて頭を下げた。
私に、そこまでかしこまらなくてもいいのに。
そう思いつつ、こちらも挨拶を返す。
「おはようございます。みなさん、朝が早いんですね。いい心がけです。でも、睡眠時間もしっかり取らないと身体を壊してしまいますからね」
院主らしくいいところは褒め、注意するべき点を指摘すると、その場にいた彼女たちは微笑んだ。
「院主様、心配なさらなくても大丈夫ですよ」
「そうそう、この生活にはとっくに慣れていますし」
「春になったので、起きるのが楽になりましたもんね」
「……ごめんなさい。余計なお世話でしたね」
口々に言う弟子たちに対し、私は苦笑いを浮かべた。
院主らしくあろうと思うばかりで、なかなか進歩しない自分が歯痒い。
どうすれば、先代の院主様のように立派に務めを果たせるのだろう。
私は悶々と悩み、気分を切り替えようと思い切り顔に冷水をかけた。
春の朝はまだまだ寒く、顔を洗っているうちに眠気が吹っ飛んだ。
肌を傷つけないよう、手拭いで優しく拭う。
そろそろ本堂に向かおうとした矢先、未だ彼女たちが残っており、何やら神妙な面持ちをしている。
「あの、どうかしましたか?」
「……院主様。先日の上様のお言葉、どう受け取ったのですか? お二人がご一緒にいるところを見ましたけど、とても仲がよろしいご様子でしたが……」
「貴女たち、まさか覗き見してたのですか。そのような真似をするなど、恥を知りなさい」
私が目を眇め、淡々とした口調で叱責した途端、弟子たちは揃って肩を竦めた。
その様子に、私は深い溜息を吐く。
上様の来訪から、既に五日が経つ。
いや、彼女たちの感覚からすると、まだ五日しか経っていないと思っているのだろうが、このような話は一体どのくらいで忘れてくれるものなのか。
私は手拭いを物干し竿に引っかけ、弟子たちをじろりと睨む。