トラワレビト〜咲き初めの花 媚薬の蝶〜
□序章 『運命の邂逅』
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「聞いた? 上様がここに来る理由って、ただ院主様にお会いするためだけなんですって」
「院主様、絶世の美女だって有名だもの。そりゃあ、殿方だったら一度はお目にかかりたいでしょうよ。でも普通はいくら美人でも、相手が尼なら会いに来ないわよね」
伊勢の神護山慶光院の院主に会いたいと、上様――将軍様の使いから言伝を預かったのは、つい先日のこと。
ここは男子禁制の場所だが、相手が上様だったため、申し出を断るに断れなかった。
そして今日、院主である私は弟子たちと彼の来訪を待っているのだけれど、彼女たちはいつになく落ち着きがない。
私はしばらくの間、暖かい日差しを浴びながら満開の梅を眺めていたが、いつまでも噂話に花を咲かせている弟子たちへ視線を移し、小さく溜息を吐いてから口を開く。
「いい加減にしてください。日の本の頂点に有られる御方が、わざわざこの伊勢の尼寺まで来てくださるのです。突然の申し出だったから大したおもてなしはできませんが、礼儀までもが欠けるなど言語道断。言葉を慎んでください」
厳しい口調で窘(たしな)めれば、みんな不満そうな表情をしたものの、大人しく私の言葉に従って口を噤んだ。
その様子に私は、ほっと胸を撫で下ろす。
弟子たちは私のことを「院主様」と呼んでくれているが、実際はまだ院主になりたての上、みんなよりもずっと年若い。
そんな自分の言動が間違っていないか、不安を覚えてばかりだ。
院主としてさらなる修行を積まなければならない、ただでさえ忙しい時期なのに、上様が私との謁見を希望していると聞いた時は、途方に暮れてしまった。
一体、彼は何を考えていらっしゃるのだろう。
私に会ったところで、何の利益もないというのに。
天下人に対する疑問ばかりが、私の胸中に蓄積されていく。
口に出していないだけで、結局のところは弟子たちと考えていることは変わらないと気づき、苦笑を零す。