ヴァンジェ ―異端の花嫁と獣の王者―

□Chapter7. 『忍び寄る影』
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ノヴェロ国は、本当にのどかな風景ばかりが広がっている。

バスカヴィル国ならば、辺境にでも赴かない限り、お目にかかれない景色だ。

ヴァルの実家へ向かう道も、辺りにはほとんど民家すらもない。

これでは生活をしていて不便ではなかったのかと、つい余計な心配をしてしまう。

彼の肩越しに、ぼんやりと窓の外の風景を眺めていたら、ふと牧場が見えてきた。

青々とした芝生が広がる地に、牛や馬、羊に山羊、豚、鶏、牧羊犬などの姿が視界を横切る。

牧羊犬以外は、それぞれ広々とした柵の内で思い思いに過ごしている。

ヴァルの実家は、牧場の近くにあるのだろうか。

そんなことを考えつつ相変わらず窓の外の景色に目を向けていると、馬車が牧場へと入っていった。

「……ヴァル? 馬車が牧場の中に入っていったけど……」

「ああ、ここが俺の実家だ」

「え……? ヴァルの実家って、牧場を経営しているの……?」

予想外の展開に、思わず目を見張る。

これはディアナの勝手な思い込みなのだが、ヴァルの実家は騎士を輩出しているような家系なのだと予測していた。

そのくらい、ヴァルの立ち居振る舞いは騎士らしかったのだ。

それなのに、眼前に広がる光景はやはりのどかな牧場で、想像と現実の落差にぽかんと口を開けてしまう。

(……で、でもこれなら確かに、そんなに緊張しなくて済むかも……)

そうこうしているうちに馬車が止まり、ヴァルがディアナから手を放す。

そして、先に馬車から下りたヴァルが、こちらへと手を差し伸べる。

別にヴァルの手を煩わせずとも一人で下りられるのだが、先程までのディアナの様子から案じてくれているのだろう。

ヴァルの厚意に甘え、その手を取って地面へと降り立った直後、甲高い声が耳をつんざいた。

「あ、ヴァル! やーっと帰ってきたのね!! ってことは、その子が嫁? やだ、すっごく可愛い!!」

ディアナたちの前に現れた女性は口元を手で覆っているにも関わらず、よく通る声でヴァルに話しかけてきた。

見たところ、ヴァルとそこまで歳が離れていないようだから、彼の姉だろうか。

首を捻ってその女性をまじまじと見つめていると、不意に彼女と目が合った。

「初めまして。ヴァルの姉の、レベッカです。いつも弟がお世話になっています」

「あ……こちらこそ、初めまして。ディアナといいます。本当に、こちらこそヴァルにはお世話になっていて――」

「――やだもう! 声まで可愛いとか反則!! もう何これ、お姫様? 天使? 女神!?」

「え、あ、あの……」

ディアナの言葉を遮って歓声を上げた、ヴァルの姉であるレベッカの反応に、困惑してしまう。

レベッカの言動からディアナへの嫌悪が伝わってこなかった点には安堵したが、ここまで手放しに褒められると、嬉しさや気恥ずかしさよりも動揺が勝ってしまう。

助けを求めてヴァルを振り仰ぐが、諦めろと言いたげに溜息を吐かれただけだった。

「あ! こんなとこで突っ立っていても、あれよね。中に案内するわ。他の家族も紹介するから」

「――その必要はないわ、レベッカ」

声がした方へと振り向けば、五十代近い女性がこちらに歩み寄ってきていた。

その後ろには、ヴァルの兄と思しき人たちや父親らしき人も続く。

(あ……本当にヴァル、お父さんとそっくり)

顔立ちもだが、雰囲気がよく似ている。

不意にヴァルの父親と視線が交錯したので頭を下げたのだが、彼は仏頂面のまま何の反応も示さない。

レベッカとは打って変わり、義父に当たる人はディアナのことが気に入らなかったのかと一瞬思ったが、それにしては嫌悪感や拒絶の類いは感じ取れない。

もしかしたら、向こうも向こうで出方に迷っているのかもしれない。

「ちょっと、父さん。せっかく嫁が挨拶に来てくれたんだから、挨拶くらいしたらどうなの?」

レベッカが腰に手を当て、さも呆れたと言わんばかりに大仰な溜息を吐く。

だが、ヴァルの父は娘の言葉にも特に何も反応しない。

ヴァル以上に愛想の欠けた態度に、つい目を瞬く。

「あー……主人のことは気にしないでちょうだいね?」

ヴァルの母親らしき女性に申し訳なさそうにされ、慌てて首を横に振る。

「いえ、そんなお気遣いなく。……あ、改めてご挨拶させて頂きますね。ヴァルの妻の、ディアナといいます。どうぞ、よろしくお願――」

「――きゃああああああああああ!! 何、この子!! 可愛いわねぇ。お姫様? 天使? 女神!?」

レベッカとほぼ同じ反応をされ、思わず絶句してしまう。

ついでに、ディアナの話を最後まで聞かないところまで、そっくりそのままだ。

「あらあら、こんなに可愛らしいお嬢さんがうちの愚息のお嫁さんだなんて……。ああ、挨拶をすっかり忘れていたわね。私はハンナ。それで、そっちが夫のアーロンで、長男のアーヴィン、次男のジェービズ、三男のキーファ」

「……よろしく」

「よろしくね、ディアナ」

「初めまして、キーファです。弟がお世話になっています」

三兄弟のそれぞれ挨拶をされ、慌ててもう一度頭を下げる。

そして顔を上げると、紹介された家族を改めて見つめる。

(みんな、それぞれちょっとずつ両親に似ていたり、どっちかにすごく似ていたり、色々……)

ヴァルの父親であるアーロンは赤い髪に、紫の瞳を持ち、母親であるハンナは栗色の髪に、グリーンの瞳を持っている。

アーヴィンは赤い髪にグリーンの瞳、ジェービズは栗色の髪に紫の瞳、キーファとレベッカは母親と同じだ。

そこで、ふとヴァルだけが両親の色素を受け継いでいないことに気がつく。

彼の髪は闇のような漆黒で、瞳の色は熟れた果実によく似た深紅だ。

顔立ちこそアーロンに似ているものの、こうして見るとヴァルだけが異質に見える。

もしかすると、色素は祖父母のどちらかから受け継いだのかもしれない。

そう納得したところで、不意に強い視線を感じた。

そちらへと目を向けると、アーロンと視線が絡んだ。

彼はここに顔を出してからまだ一言も発していないが、何か言いたいことでもあるのだろうか。

不思議に思ってまっすぐに見つめ返していると、重たげな口が開かれた。

「……お前が、ヴァルの嫁か」

「はい」

質問というよりは確認のような言葉に躊躇なく頷けば、アーロンはそっと目を伏せた。

「そうか」

一体どうしたのだろうと首を傾げるディアナの手を、レベッカがひしっと掴んできた。

「ほーら、父さんのことは気にしなくていいから、家の中に入ろう? すぐにお茶の準備をするから、待っててね」

「あ、これ大したものではありませんが……」

「え、お土産!? わざわざ持ってきてくれたの!? それじゃあ、さっそくいただくね!!」

ディアナが差し出した紙袋を受け取るなり、レベッカは朗らかに笑う。

そして、そのままディアナの手を引っ張って家の中へと案内していく。

他の家族もレベッカに続き、ぞろぞろと移動を始める。

未だアーロンのことが気にかかったが、何となく振り返ってはいけない気がして、大人しくレベッカの後をついていった。
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