トラワレビト〜咲き初めの花 媚薬の蝶〜

□第二十一章 『魔を司る者』
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「お万ー、お万ってばー。俺が悪かったって。だから、出てきてよ」

簾越しに私を呼ぶ声が聞こえてくるものの、とてもではないが返事をする気にはなれず、部屋の片隅で蹲(うずくま)ったまま耳を塞ぐ。

私のことなど放っておけばいいのに、何故そう熱心に声をかけてくるのか。

膝の間に顔を埋めてこっそりと溜息を吐いていたら、この部屋の主であるお玉が私の肩を叩いてきた。

「お万ちゃん……そろそろ許してあげたら? あのままずっと縁側で待たせるのは、さすがに可哀想だよ」

「……だったら私に構わないで、自分の部屋に戻ればいいのに」

「まあまあ……忠長様だって、きっとそこまで悪気はなかったんだろうから。ね?」

「悪気なくあんなこと言った方が、許せないわよ!!」

そもそも、どうしてお玉は忠長様の擁護をしているのだろうか。

私の話を聞いているにも関わらず、この反応はあまりにもひどい。

何だか信じていた友達に裏切られた気分になり、顔を上げて彼女のことを恨めしげに睨む。

そんな私に、お玉は苦い笑みを零してから口を開く。

「忠長様は殿方なんだし、たまにはそういうことを言う時もあるよ」

「でも、いちいち口に出す必要ないでしょう!?」

「殿方って、好きな子をいじめたくなる時があるみたいだし」

「悪趣味の極み!!」

「そこまで言わなくても……というか、お万ちゃん。上様にはそういうこと言われたことないの?」

「……少しはある、かも」

「でしょう? だったら、忠長様の件も見逃がしてあげようよ」

「……どうしてお玉は、忠長様擁護派なのよ」

何となく面白くなくて疑問を投げかければ、彼女は檜扇でこちらに風を送りながら答えてくれた。

「忠長様、ああ見えても結構優しいよ? 無理強いとかしないし」

「はあ!?」

信じられない話が耳に飛び込んできて、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

忠長様が本当はいい御方で、優しいとは私も知っている。

でも、男女間のやり取りにおいては優しいとは微塵も思えない。

それどころか、肉食獣のような目をされたりもする。

そういう意味では、彼は警戒するべき人物ではないのか。

私がぽかんと口を開けていると、お玉はくすくすと笑みを漏らした。

「本当だってば。無体な真似はしない御方だから。ちゃんと嫌だって意思表示すれば、手は出さないから」

実際に忠長様と夜伽をしたお玉が言うならば、信じてもいいのだろうが、一度意固地になってしまった手前、どんな顔をして彼の元へ戻ればいいのか分からない。

小さく唸り声を上げる私の頭を、彼女が幼子をあやすように撫でる。

「大丈夫、大丈夫。ほら、忠長様に謝る機会ぐらいあげようよ」

「うー……分かったわよ」

渋々と頷き、こうなったらどうにでもなれと若干自棄(やけ)になって立ち上がり、簾がかかっているところへ向かう。

簾を少しずらして身体を滑り込ませれば、縁側でずっと私が出てくるのを待っていた忠長様と目が合う。

彼が口を開こうとした寸前、咄嗟に先手を打つ。

「あ、あの!!」

私の方から口を開くとは思っていなかったのか、忠長様の目が軽く見開かれる。

その反応から、自分がいかに意地を張っていたのかをまざまざと思い知らされ、自然と頬が火照っていく。

「あ、あの……取り乱した挙句、忠長様が謝罪してくださってたのに、意地を張っちゃって……その、こちらこそごめんなさい。貴方様のおっしゃる通り、いつまでも色事に過剰反応しちゃうのはどうかと、今なら自分でも思いますし……その、だから、あの……!!」

きちんとこちらにも非があったと謝りたいのに、こういう時に限って上手く言葉が出てこない。

何か言わなければと懸命に頭を働かせていると、彼は小さく微笑んだ。

「いいよ、それ以上謝んなくて。からかい過ぎた自覚はあるし。お詫びになるか分かんないけど、お万のお願い、一つ叶えてあげるから。ね? だから許してくれる?」

小首を傾げる忠長様に、こくこくと何度も頷く。

「は、はい。ゆ、許します」

「そう、ありがとう」

この言い方はおかしかったかと言った後になって不安になったが、彼は安堵した様子を見せるだけで、特に私のことを馬鹿にしているようには見受けられない。

そのことに安心し、ほっと胸を撫で下ろす。

それにしても、頼みたいことはこれと言ってないのだが、どうしたものか。

断ろうかとも考えたが、向こうは詫びたいと申し出てくれたのだから、下手に断る方が失礼かと思い直して言葉を胸に留める。

どうしようかと頭を悩ませていたら、ふとあることが思いついた。

「で、では……あの、水浴びをしませんか? 足限定ですけど」

「は?」

虚を突かれたかのように、忠長様が瞠目する。

元はと言えば、このことで私が怒りを露わにしたのだから、驚かれても無理はない。

私は耳まで熱くなるのを感じつつ、早口にまくし立てる。

「あの……私の自惚れかもしれませんけど。私が暑い暑いって言ってたから、水浴びしようっておっしゃってくださったんですよね? なら、お言葉に甘えようかなって……。そ、それに……」

言葉が喉を閊(つか)え、全身が燃えるように熱くなっていく。

私は生唾を飲み下した後、震えそうになる唇を何とか動かす。

「……忠長様がおっしゃってたじゃありませんか。私の肌を見てみたいとか、そういった意味合いのことを。お詫びどころか嫌がらせ同然でしょうけど……す、少しだけならお、お見せ致します……」

何だか、色々と終わったような気がする。

だが、時間と場所は違えど他の側室たちは忠長様に肌を見せているのだ。

私の場合は手を出されるわけでもあるまいし、膝から下を晒すくらいなら、自分の中で一応許容範囲に留まっている。

言ってしまったものは仕方がないと腹を括ったところで、ふと彼から反応が返ってこないことに気がつく。

やはり、はしたなかったかと後悔していると、忠長様は無言のまま口元を片手で覆い、こちらからゆっくりと顔を背ける。

「忠長様……?」

「……ごめん、ちょっと頭冷やしてくる。物理的な意味で」

もごもごと話す忠長様の横顔は、心なしか赤い。

まさか、私の言葉に動揺したのか。

そう理解した途端、あの海千山千の忠長様がと、驚愕のあまり心の中で叫ぶ。

じっと凝視してくる私の視線に耐え切れなくなったのか、彼は足早にどこかへ向かい始めた。

「忠長様、どちらに?」

「……頭を冷やしてきます」

あの忠長様が、ついに敬語になった。

信じ難い現実を目の当たりにし、絶句してしまう。

遠ざかっていく彼の後ろ姿を茫然と見送っていたら、簾越しに震える声が聞こえてきた。

「あの忠長様を惑わすなんて……お万ちゃん、恐ろしい子……」
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