トラワレビト〜咲き初めの花 媚薬の蝶〜
□第二十一章 『魔を司る者』
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夏の昼間は、どうしてこうも暑いものなのか。
そして何故、こんな暑い時に忠長様は私の膝の上で昼寝をしようとしているのか。
それは、つい先程のこと。
何の前触れもなく、彼が私の部屋へとやって来たかと思えば、いきなり膝枕してもいいかと訊いてきたのだ。
別に、忠長様が私の元へ遊びにくるのは一向に構わないのだが、そういうのは非常に困る。
だから、きっぱりと断固拒否したのだが、彼に諦める様子は未だ見受けられない。
私は檜扇で煽(あお)ぎながら、こちらにくっついてこようとする忠長様の頭を手で軽くぺしぺしと叩く。
よくは分からないが、数日前の一件でどうも私は彼に気に入られてしまったらしい。
嘆息しつつ、横目で忠長様のことを睨む。
「……忠長様、今日は暑いです」
「そうだねぇ。まあ、夏なんだから今日に限らずとも暑いねぇ」
涼しい顔をしているから平気なのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
言葉通り、忠長様は着流しの襟元を緩め、うっすらと汗ばんだ首回りに手で風を送っている。
その色気のある姿に、何だか見てはいけないものを目にしてしまった気分になり、さりげなく視線を逸らす。
こちらの心情を察しているのか察していないのか、彼はにやにやと笑いながらまだひっついてこようとする。
「忠長様、暑苦しいです」
「家光には膝を貸してあげてたのに、どうして俺は駄目なわけ?」
「家光様に頼まれた時は、暑い時期じゃありませんでしたから。こんなに暑ければ、家光様相手でもお断りしますよ」
「じゃあ、涼しくなったらいいの?」
「……いえ、それでもお断りします」
「何で?」
「何でって……」
忠長様は勘の鋭い御方だ。
だから、私が丁重に断る理由などお見通しだろうに、わざわざ口に出させようとするのだから、性格が悪い。
私は深々と溜息を吐き、彼の方へ向き直ると半眼で見遣る。
「……私は家光様のことを、一人の男性として愛しております。ですから、そういった触れ合いは嫌いじゃありません。ですが、忠長様のことは――」
「ああー、はいはい。分かった、分かった。……まさか、家光への思いの丈を語られるとは思ってなかったよ」
忠長様はひらひらと手を振って私の話を遮り、うんざりしたように肩を竦めた。
「忠長様が何でっておっしゃるから、説明したのに……」
「はいはい、俺が悪かったよ」
訊かれたことを答えたまでなのに、彼は不貞腐れた子供みたいに唇を尖らせた。
私は苦笑いを浮かべ、宥(なだ)めるように声をかける。
「……私が家光様に好意を抱いてること、そんなに気に入らないんですか?」
相手の神経を逆撫でないよう、ゆっくりとした口調で話しかければ、忠長様は小さく頷く。
「まあね。俺、家光のこと相変わらず嫌いだから」
「左様ですか……。でしたら、わざわざ話題に出さなければよろしいのでは?」
「俺だって、好き好んで口にしてるわけじゃないよ。でも、お万があいつにしてたことを俺にはしてくれないから、比較対象としてあいつの名前を出すしかなかったの。分かった?」
その言い方では、まるで私が悪いみたいではないか。
案外、忠長様も家光様同様、精神的に成長し切れていない部分がある。
おそらくは、育った環境が彼らの心の成長を阻んでしまったのだろう。
だから、こうして駄々っ子みたいな反応を示されると、時々対応に困る。
家光様の場合は根が素直なので、子供とそれほど相違ない対応を取れば大抵機嫌が直るのだが、忠長様の場合はまた少し違う。
彼は基本的にその時の気分で機嫌が左右されるらしいので、その時の運次第といった具合だ。
今日はどのくらいかかるかと窺っていると、不意に何かを思いついたのか、ぱっと忠長様が目を輝かせた。
「そうだ。膝枕が駄目なら、水浴びはどう? 御湯殿に行って、桶に水を張って涼を取ろうよ」
「水浴び……」
確かにそれは気持ちよさそうだが、同時にとてつもなく嫌な予感がする。
本能が告げる警告に意識を傾けつつ、おずおずと口火を切る。
「忠長様……。水浴びって、足を水に浸けるだけですよね?」
念のため確認を取るや否や、彼は不思議そうに目を瞬く。
「それなら、わざわざ御湯殿まで行く必要ないでしょ。着てるもの、全部脱ぐに決まってるじゃない」
「絶対、嫌です!!」
私は心の底から叫び、急いで立ち上がると忠長様から距離を取る。
殿方に肌を見せるだなんて、言語道断だ。
素足を晒すだけでも、恥ずかしくてたまらないというのに。
ましてや、こんなに明るい時間に素肌を晒すなど、拷問に等しい。
咄嗟に襟元をきつく掴んでいると、彼は呆れた風情で視線を投げかけてきた。
どうして私がそんな目で見られなければいけないのかと、苛立ちが過った。
「お万、今さら純情ぶるのはどうかと思うよ? 何て言うか……見苦しいから」
「見苦しくても何でも、嫌なものは嫌なんです! それに、私の肌なんか見たっていいこと一つもありませんから!!」
自分でも何を口走っているのだと、内心呆れはしたものの、これだけは譲れない。
頬にじわじわと熱が集まり、怒りと羞恥のあまりぷるぷると身を震わせていると、忠長様が楽しそうに笑い声を上げた。
より一層苛立ちが募り、彼のことを視線で射抜く勢いで睨みつける。
「何がおかしいんですか!!」
「いや、ごめん……。まさか、そう返ってくるとは思わなくて……。ああ、おかしい」
笑いを堪えようとしているらしいが、忠長様の口元はぴくぴくと引きつっており、余計に怒りが込み上げてくる。
頬を膨らませる私に、彼は先刻までの無邪気な笑いを収め、艶然とした笑みを浮かべた。
その笑みが視界に映った途端、身の危険を感じてまた一歩後ずさる。
「それに……お万の肌を見たら、いいこといっぱいあるよ? その白くて滑らかな肌に舌を這わせて、色づいたところから食んだら、さぞかし美味――」
全ての言葉を耳にする前に、私は近くにあった座布団を拾い上げ、そのまま忠長様の顔面に叩きつけた。
「……この変態!! 私の視界に入らないで!! 汚らわしい!!」
激しい怒りで頭の中が沸騰した所為か、それ以上忠長様に浴びせる罵詈雑言が思いつかない。
持て余した怒りをどうすればいいのか分からず、とりあえず隣のお玉の部屋に一時避難した。